翌朝
昨夜、何か見える形で残さなければならないと私は考えていた。しかし、オールで挑んだあの刺激的な非日常を目にして満身創痍だった私にとって、"家"はベッドでしかなかった。気がつけば時計の針は9時。初めてここまで寝たような気もする。課題をやらねばならぬ。だがその前に記録として、私の記憶の一部を書き連ねたい。
人間の記憶力なんていうものは全く当てにならない。増してや交通事故によって外傷はないのに脳に大ダメージを食らい、障害だの後遺症だのと戦っていた(今はもうその自覚は薄い)。私の記憶なんてものは直ぐに消え去ってしまう。記憶は消えることなんていうのは現実にはない(らしい)。インプットアウトプットという記憶の出し入れが難しいようだ。拙い文章だが、これを読んで私が内容を思い出すような感想文となればよい。
私がnoteをわざわざ登録しこれを書いている理由は、日向坂46のドキュメンタリー映画「3年目のデビュー」を見たからである。
私は普段から涙脆い人間で、幼少期からさんざん泣き、成長と共にそれはなくなったものの、アイドルと出会ったことで私はまた涙脆い人間となる。よく言えば感情移入しやすく、また感性が豊か。悪くいえば子供だ。目が腫れている、瞼は重い。その点も記録することで、私にとっての「3年目のデビュー」がいかに素晴らしい作品だったかを思い出せるように______
ひらがなけやき、日向坂46を私は知らない。私はれっきとした新規である。その話はいずれアウトプットしたい時に記す。好きになったアイドルを調べようという気持ちは誰よりも強い。それはそうだ。2013年、ももクロに出会ったことで私の人生は変わったのだが、その頃から今までずーっとこの生活は変わっていない。調べようという気持ちの強さほど、その時好きなグループへの愛だと思う。
私はライトオタクを徹底的に嫌っている。この話も以後記したいが、理由を簡単に言うと「地下を推す上でライトでいられないから」「地上は推し方が様々で選択肢があるから」だ。意味はわからなくてよい。私がわかるから。嫌いと言うより苦手なだけかもしれん。出会って、好きになって歴が長いのならば無条件にその好きな人を、グループを知っているだろう。新規は知らないことが彼らより多い。ならば私はその時間を埋めたい。1日で1年を埋めたいとすら思う。
どう考えても内容がそれ過ぎなので本題に入る。日向坂46のこと、私は更に好きになった。なぜか。ここからは少々内容に踏み込むことになるかもしれない。
ドキュメンタリー内容の2時間映画である、序盤は日向坂46の前身であるひらがなけやき部分の内容だ。私はまだその頃出会っていない。ひらがな時代については、先日(といってもかなり前になるが)予告編が放映されていた。それを見返してから映画を見た。歴史は変わらないのだから構成はやはり似てくる。初めての握手会の話、佐々木久美が怒ったTIF2017、改名……。この頃私はアイドルオタクだった。しかも生粋の。なぜ、この時知らなかったのだろう。今でも後悔の念はなくならない。
前半部分後半部分に限らず、本映画は1期生の内容は多いように感じる。それはある意味必然で、日向坂46というグループ(ひらがなけやき)は1期生の熱意が根底にあるからだと私は考える。長濱ねるのコメントでもあったように、"続けてくれた"からこそ今がある。日向坂46の輝きは、僕は1期生の熱意が作り出したものだと思う。日向坂46になってからの部分でも多く取り上げられた"キャプテン佐々木久美"に関する映像の全ては、彼女、そして1期生達の思いを汲んでいることが見ればわかる。佐々木久美が1期生全体を表しているといっても過言ではないのかもしれない。
長濱ねると初めて会った彼女は、「アイドルと握手しちゃった。」とカメラの前でこぼしていた。つまりそれは、同グループの長濱ねるとその他メンバー間での距離を表していた。しかし、時間とともに連帯感が育まれていく1期生を見てこう思うのだ。
「この後改名して東京ドームが決まる未来が待ってるよ。」
2期生、3期生(ここではひなののみ)はどうだろう。映画を見る前も思っていたが、映画を見終えたこの思いは強くなった。「このメンバーで良かった」と。
2期生のメンバーを見ていった時、今だからこそ思うのかもしれないがこんな素晴らしいチームはない。2期生のみでアイドル作れと言われたら、僕は嬉嬉としてプロデューサーやりたい!だのと言い始めるかもしれない。アイドルは可愛いだけでは足りない。2期生は最初から可愛いだけではない"何か"を持っているように感じる。
アイドルを語る上で歴史というのは絶対に切れない存在だ。日向坂46の歴史はそこらへんの地上グループよりも熱い歴史がこもっている(他グループを悪く言っているのではなく、これは客観的に見て言っているつもり)。勿論最初の頃と今の違いから「運営がやってんだからある意味で自演」なのかもしれないが、それを日向坂46のメンバーの歴史だと思うのは筋違いだ。映画を見ると思うだろう。メンバーの類まれな才能と努力を。最初の頃は才能なんてない、欅を蔑んでいるという声もあったそうだ。しかし、このグループは努力することで"見えていなかった"才能を開花させた。
日向坂46が応援される理由は努力だけではないが、その努力によって得られた世界観(ハッピーオーラ)や歴史を見て好きになる人は多いのかな、と思った。
映画の内容に触れるかと思えばあまり触れず、今まで思っていたことをただ書き連ねただけになっている事が否めない。また映画を見た時にでも改めて書いてインプット出来るものを書こうと思う。
昨夜、寝る前に今後の日向坂46の展望を想像してみた。ひとつ私の中で考えたのは、
「坂道に媚びないアイドル性」
ということだ。いずれこれが何かに響くかもしれない。
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