優しさとは
優しい人は素敵だとか、優しい人が理想のパートナーとか世間ではそんな言葉をよく聞くと思います。
今回は優しさとはなんなのかについて書いていきたいと思います。
結論
『その人にとって得があるかどうか』
これだけです。
優しさとは性格や人間性ではなく、俗に言う『優しいといわれている行動』をしてくれて自分に得があったかどうか。
損得で優しさの判断をするものです。
例えば
貴方が子供の時に道で転んだとしましょう。
①それを大丈夫?と駆け寄ってくれる親は優しいですか?
②それとも1人で立ち上がるのが大切だと成長を促す意味で放っておく親は冷たいですか?
優しいというのは行動でしかありません。
①の方を世間は優しいと呼ぶでしょう、下手すれば②の方を批判して叩く人も居そうです。
限度はありますが私は②の方が正しいのではないかと思います。
何故なら①はそういう親でありたいという行動とも取れるからです。
人それぞれの優しさの形というのが有ります。
ただ、優しさは複雑なのです。
筋を通そうとしたときに人は冷酷にならなければいけないことがあります。
全ての人に優しくする、顔色を伺う。
こんなことをしていたら自分というものは無くなってしまいます。
嫌われるくらいが丁度良いのです。
逆に一部の人間に嫌われているぐらいじゃないと誰からも信頼されません。
それは必然です。
人類みな性格が一緒なわけがありません。
全員の顔色を伺っていたら性格が合うものも合いません。
その人本人の筋を通すことで同じ考え方や思想を持つ『仲間』が現れるのです。
優しさという手段はその場を凌ぐのには使えますが後からツケが回って来ます。
何故か分かりますか?
それは貴方自身の為にやっている事だからです。
嫌われたくないから好かれたいから過度に他人を気遣い優しくするのです。
それは優しさという名前の『自己中』です。
何かを得るときには何かを失うなんていいますよね。
痛みと引き換えに価値を貰う仕組みです。
どこでも良い顔なんて出来るほど世の中甘くないのです。
優しくなるな、筋を通すためなら冷たくなること。
これが非常に大切。
優しいなんてものは存在しないのかもしれません。
よく見られたいと自分可愛さ故のエゴでしかありませんので。
筋を通している時に現れた仲間には感謝の気持ちで接することが出来ます。
これは優しくしようではなく自然に心の底から生まれた感情に従って動いているだけです
貴方は優しさに重きを置いて大切なものを見失っていませんか?
今回の記事は以上です。
少しでも多くの方の目に留まりますように。
今日の残りの時間を素敵にお過ごしください。