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アイドルという修羅~乃木坂46秋元真夏卒業コンサート観察日誌~

乃木坂46秋元真夏さんの卒業コンサートを横浜アリーナで観てきた。

私は乃木坂46には「あざとくて何が悪いの?」という番組で演出をしていた時に大変お世話になった。今や中心メンバーとなった山下美月さんには人気企画となったあざと連ドラ第1弾の主演を務めてもらったし、そのスピンオフには今回卒業となった秋元真夏さんにもスタジオに来ていただき、その後も、与田さんや岩本さんにも色々と力を貸していただいた経緯もあり、僭越ながら拝見させて頂いたわけだ。

さて、今回の主役は、秋元真夏さんである。

彼女は白石麻衣さんや西野七瀬さんらとともに乃木坂1期生として結成当時(2011年)からグループを引っ張り、2019年からは2代目のキャプテンに就任。乃木坂に興味がない人も、知っている方が多い存在なのではないだろうか。

そしてその後、1期生の中心メンバーだけでなく、2期生もほぼ全員が卒業し、1期生は自分一人という状況でキャプテンとして人気グループを引っ張っていくことって、なかなか大変だよなってことは、乃木坂をずっと追いかけてきたわけではない”にわか”の私ですら容易に想像がつくわけだけど、今回のコンサートで印象的だったことが2つある。

まず一つ目。
後輩たちが口々に「真夏さんはいつも褒めてくれる」と、涙ながらに心からの感謝を伝えていたが、これは秋元さんの視点から言い換えると「褒めている」のではなく、「良いところに目を向ける」(実際、秋元さん自身もそう表現していた)という、組織のリーダーとして必要不可欠な素養を彼女が持ち合わせていたことの立派な証明のように思えた。

減点方式ではなく、加点方式で人と向き合う。

これって言葉で言うのは簡単だけど、大きい組織のトップとして様々なメンバーや同僚と接する際に、実行し続けることってなかなか難しい。だってミスられたり、報告を怠られたり、遅刻されたら誰だってムカつくし、迷惑だから。そうなった時、人は悪いところにばかり目が良き、マイナスの感情に大きく支配され、その人の良いところなんて一瞬で忘れてしまう。

だけど秋元さんは、全てのメンバーに「いつも褒めてくれる(もちろん時には”指摘”(「怒る」という言葉を後輩たちが使わなかったのも印象的だった)してくれた)」というリーダー像を刻み込んでいた。これは本当に凄いし、素晴らしいキャプテンだったんだなと思った。

「いつも褒めてくれる人」って言葉にすると2秒くらいで言い終えられるけど、11年言われ続けるほどの人になることって(しかも”乃木坂46”という、ある意味で”個性”という名の鎬の削り合いの場で)そんなに簡単なことじゃない。自分の感情や事情や状況が最も大事なアイドルの中で、それはさておき、まず相手のポジを見つけ続ける作業って、自己犠牲の分量もえげつないことの証明だから。

そしてもう一点。
これは結構個人的に慄いたんだけど、彼女が涙ながらに語ったラストスピーチの一節にある。

初めはアイドルになった理由も、すごく目立ちたがり屋で、人前に立ちたいとか、いろんな人の注目を集めてみたいとか、みんなに見られたいとか…。そういう理由からアイドルを始めたんですけど、今こうしてアイドルの幕を閉じる瞬間に思うのは、皆さんが一番楽しんでくれることをできるアイドルになりたいっていうことでした。
皆さんがこれやったら喜んでくれるのかな、とか。次のイベントとかライブとかで、「どこどこの席にいるよ」とか言ったら、それを絶対見つけたいとか思っちゃうし。皆さんが喜んでくれるならもう本当にどんな無理でもできちゃうぐらい、皆さんのことが本当に大好きになりました。

これって何の気なしに聞いてると、「アイドルだったらこの感じ、普通だろ」って思う人も多いのかもしれないけど、割と凄い覚悟だなと、自分は恐怖すら感じてしまった。

なぜかっていうと、「皆さんを楽しませる」ことが目標であるという点においては、僭越ながら私の仕事であるバラエティ番組の演出も同じだから。

だけど秋元さんの言葉から伝わった思想は、同じだけど全く違った。

最も異なるのが、我々は「皆さん=視聴者」との関与が間接的で、アイドルは圧倒的に直接的な関与であること。つまり、私たちは演出・制作した”番組”を通して皆さんとつながって、時には楽しませることに成功し、時には「つまらない」と拒絶される。これは非常に刺激的で魅力的な仕事ではあるけど、それと同時に常に自分のセンスは世間にアジャストできるのか?という残酷な確認作業の連続で、精神的にも摩耗する。だけど、”番組”という一つの”フィルター”みたいなものを通して、なかば間接的に評価や評判や感想が届く。

だけど秋元さんが11年間向き合ってきたアイドルという職業は、もっと直接的に「皆さん」と関与しなければならない。なぜならば楽しませる相手と、握手会やインターネット上で直接的に関与し、評価され、それが「人気」「ポジション」「選抜」「評価」「批評」という様々なバロメーターで自分の目の前に顕在化する。

これ、想像しただけでゾッとする。

もちろん、自分が「皆さん」を楽しませることができればできるほど、歓声は大きくなり、握手会の列は長くなるという目に見えた成果や快感を得ることができるという輝かしい側面もあるのも承知だが、その逆も想像してみてほしい。

だけど彼女は”涙ながら”に、「今こうしてアイドルの幕を閉じる瞬間に思うのは、皆さんが一番楽しんでくれることをできるアイドルになりたいっていうことでした。皆さんがこれやったら喜んでくれるのかな、とか。次のイベントとかライブとかで、「どこどこの席にいるよ」とか言ったら、それを絶対見つけたいとか思っちゃうし。皆さんが喜んでくれるならもう本当にどんな無理でもできちゃうぐらい、皆さんのことが本当に大好きになりました。」と横浜アリーナに詰めかけた満員のファンに向けた語り掛けたわけだ。

秋元さんが言った「皆さんが一番楽しんでくれることをできるアイドルになりたい」という思いを持ち続け、考え続け、様々な努力、行動を多様なメディアで実行しても、「楽しんでもらえなかった」ら、自分の存在意義は直接的に否定されてしまう。これを11年続けながら、しかも同じ思いや悩みを抱えたメンバー数十名の「いいところに目を向ける」作業を同時並行的に続けるって、マジでクソ大変どころじゃない心労じゃね?それを想像すると、スピーチに感動するどころか恐怖と畏怖で感情がぐちゃぐちゃになってしまった。

我々演出家の仕事の醍醐味の一つに「演者の長所を最大限に引き出す(自分にしか創造できない)舞台を用意する」ことがある。(以下、その実例3つ)

この仕事はとてもやりがいがあって、とても楽しく、充実感があり、時に寝られないくらい忙しい時があっても全然余裕と思えるほどだ。だが、そう思っていられるのは、あくまでも「良いところ”だけ”に目を向ければいい」からだと思っている。
人間だれしも嫌な面はある。だが我々が演出する際には、そこは目をつぶるし、とにかくいいところに向き合って向き合って向き合って、その良い所が最大化される演出や企画を考え続ける。
仮にその演者の嫌なところや自分にとって苦手なところが、良い所を凌駕してしまったら、もうその人とは仕事をしたくないと思うだろうし、自然とオファーからも遠ざかっていく。そんな"選択"(逃避)が我々制作はできる。

だけど、秋元真夏にはその”選択”(逃避)は許されない。
なぜなら彼女は乃木坂46のキャプテンだから。

自分を直接的に「皆さん」の前にさらし、「皆さんが喜んでくれる」最大化パフォーマンスを直接的に表現しながら、メンバーの良い所に目を向け、その良い所を言語化し、伝え、引き出す作業を同時並行的にやっていかなければならないのだ。これは初代キャプテンを務めた桜井玲香さんだって同じだ。だけど、1期生の人気メンバーが自分を残して続々と卒業していってしまった秋元さんの場合、桜井さんとはまた違った種別の労力やプレッシャー、そして何よりも圧倒的な孤独感があったのではないか?このストイックで苛烈すぎる作業に孤独が加わるなんて、想像すらしたくない。だから彼女のスピーチを聞いて自分は感動よりも慄いてしまったのだ。

正直最初に「今こうしてアイドルの幕を閉じる瞬間に思うのは、皆さんが一番楽しんでくれることをできるアイドルになりたいっていうことでした。皆さんがこれやったら喜んでくれるのかな、とか。」この言葉を聞いているとき、なぜここで泣くのだろう?と考えてしまった。で、すぐに「あ、ファンの皆さんへの心からの感謝か」と気持ちを切り替えて聞いていたんだけど、その納得が徐々に慄きへとフェードしていく過程で、「あ、この涙は”感謝”だけに収まりきらない、圧倒的孤独や忍耐や心労や責任感からの解放の涙でもあるのかな?」なんて、色々と考えてしまい、自分の感情が勝手に迷宮入りして、ただただボーっと横浜アリーナ全体を照らすピンク色のサイリウムを見つめている自分がいた。

と、まあ勝手につらつらと彼女の気持ちを想像して書いてしまったが、結局私ごときから言えることは「お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。」しかない。

そして我々制作は、そんな修羅の道を歩む彼女たちの才能を引き出す舞台をしっかりと整えて、彼女たちにとっての「皆さん」に楽しんでもらえる手助けにもつながれば本望なのである。
結局は、俺も頑張ろう。という小学生でもいえる感想に尽きてしまったところで文章を閉じます。



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