MLBの長期契約が増えている本当の理由(2024年追記あり)
今シーズンオフ、MLBでは大型の長期契約が増えていることが話題だ。
ツインズからFAとなったカルロス・コレアはジャイアンツと13年3.5億ドルの契約を結んだ。(※その後、メディカル・チェックによってこの契約は破棄。)
他にも、トレイ・ターナー、ザンダー・ボガーツはそれぞれ11年契約を。
アーロン・ジャッジは9年契約。ブランドン・ニモは8年契約を結ぶなど、例年以上に長期契約が増えている。
以下は、年毎のトップFA選手の平均契約年数を表したグラフだ。2022年になって明らかに契約年数が伸びていることが分かる。
「なぜ将来がどうなるかも分からないのに、こんな高額かつ長期の契約を結ぶのであろうか。MLBの経営者は何を考えているのか」
そんな疑問が思い浮かぶ人は多いだろう。
当然、MLBの経営陣はお金に対して蒙昧ではない。むしろ様々な観点から経営を鑑みた上で、合理性を持って各契約を決断している。
米国人は日本人以上に契約や数字にシビアだ。
長期契約が増えている背景は必ずしも一つに絞れるものではないものの、2021年と2022年のオフシーズンで明らかに状況が変わった部分がある。
「米国の金利水準」だ。
野球と関係の無い話で面を食らう人もいるかもしれないが、実は昨年から米国金利が急上昇していることが、MLBで長期契約が増えている最大の理由だ。
各種報道等に目を通すと、残念ながらこの最も重要なファクターを見落としたままの推論も多く、とても目が当てられない。
本稿では、なぜMLBで長期契約が増えているのか、その米国の経済的背景の変化とその理論について説明したい。
2022年の米国経済
まず足元の米国経済の状況を見てみよう。
2022年の最大の話題は、何と言ってもインフレーションだ。
米国の前年対比の物価上昇率は、40年ぶりという水準にまで達した。
一時は、前年比+8%まで上昇した。日本も最近は物価高と言われるが、せいぜい3%程度の上昇でしかない。比べてみると米国の物価上昇がいかに急か分かるだろう。
ここまで物価が上がってしまうと国民の生活に悪影響が出てしまう。
ということで、インフレーションを抑えるためには、お金の動きを鈍くする必要があるため、中央銀行は、米ドルの金利を利上げすることによって、一旦景気を冷やそうとしている。
あまり、経済や金融に関心が無い方には難しいかもしれないが、要は、
とだけ抑えておいて欲しい
長期契約と米国金利の関係
では、なぜ米国の金利が上がっていることが、長期契約の増加と結びつくのか。
10年3億ドル(年平均3000万ドル)の契約で考える
例えば、10年3億ドル(年平均3,000万ドル)の契約があったと仮定しよう。
ここでポイントは、球団は契約を結んだその日に、選手に3億ドルを全て支払う必要は無いということだ。
最初の3,000万ドルは1年後に、最後の3,000万ドルは10年後に支払うことになる。(実際には月払いのケースなどもあるだろうが、ここでは簡易的に年1度払いと仮定して話を進める)
1年目の年俸支払いに必要な原資
球団は1年後の年俸を支払うために、1年後に満期が来る利率3%の米国債を買って運用することができる。(米国債は、米ドルを運用する上で最も安全な投資先と考えられている。米国政府が破綻しない限り、必ずお金が戻ってくるのだから)
このとき、一体いくら分の米国債を購入すれば良いだろうか。
答えは、2913万ドルだ。
2,913万ドルを3%の利回りで運用すると、3,000万ドルになる。
逆に言うと、3,000万ドルを支払うのに、必要な原資は2,913万ドルしかないということになる。
2年目の年俸支払いに必要な原資
同様に、2年後に支払う3,000万米ドルは、2年後に3,000万米ドルになる分だけの2年満期の米国債を買えば良い。(金利水準は変わらず3%と仮定する)
2年目の年俸を支払うのに必要な原資は、2828万ドルとなる。
(3,000万ドル/(1+3%)^2 ≒2828万ドルで求められる)
2年分運用できるため、先ほどよりも少ない金額で、300万ドルを用意可能だ。
10年分の年俸を支払うのに必要な原資は、、、
こうやって10年後までまとめて計算してみたのが、以下の表だ。
10年間で3億米ドルの契約を用意するには、実際には約2.56億ドルしか払わなくて済むということになる。
高い金利を利用することで、約4,400万ドルが節約できた。
ほぼ金利がゼロに近い、日本人にとっては、イメージしづらいだろうが、金利がある世界ではこれが成立する。
2021→2022の金利上昇による「必要な原資」の変化
これまでの計算で分かる通り、米国債の金利が高ければ高いほど、「必要な原資」は少ないということになる。
2021年12月末の長期金利は1.51%だったが、2022年12月末の長期金利は、インフレの影響を受けて3.87%まで上昇している。
先ほどの10年300億米ドルの契約を2021年に結んだ場合と、2022年に結んだ場合と比較してみよう。
同じ10年3億ドルの契約でも、2021年と2022年とで約3000万ドル必要な原資が減ったのだ。
契約の妥当性を考えるには、米国経済の状況も把握が必要
これでMLBで、今年になって急に長期契約が増えてきた理由がお分かりになっただろう。
米国の金利が急騰したことを受けて、長期契約に必要な原資が少なく済むことなったのだ。
もちろん金利情勢は日々変わる。
今後、金利がさらに上がると思えば、来年以降に長期契約を結んだ方が良いであろう。
しかし、今後、金利が低下してくると考えれば、今、長期契約を結ぶのが妥当だ。
実際のところ、金融市場では、来年後半頃にはインフレーションが収まり、利下げが開始されると見る向きも多い。
このあたりの相場観は、球団によって異なるだろう。
MLBの契約が妥当か否かを判断していく場合、選手の実力や前年までの契約の傾向のみならず、こういった米国経済の状況も勘案しないと紐解けない。
むしろ経済の方が大事なときもある。お金に絡む問題は大変複雑なのだ。
贅沢税の問題
本稿は、あくまでも足元で最も変化の大きい米国経済の状況を中心に長期契約が増えている背景を解説した。
しかし冒頭でも述べている通り、必ずしも理由はこの1点のみで説明可能なものではない。
米国金利の上昇で必要な原資が減ったことに加え、長期契約を結ぶことで、平均年俸を抑え、贅沢税を回避しやすくなるのも一つの理由だ。
実際のところ、各契約は、契約年数こそ長いものの、年平均の年俸は想定されているよりも低いケースが多い様に見える。
なお、贅沢税のルールに関しては、むらた氏によるこちらの記事が分かりやすかったので参考として掲載させてもらう。
本稿の計算に関する注意事項
詳しい方であればお分かりの通り、本稿の計算はあくまでも簡易的に金利と長期のキャッシュフローの関係性を知って欲しくて書き起こしたものであり、数学的な厳密性を追求するものではないという点、ご容赦頂きたい。現在価値の算出について、かなり簡易的な計算を用いている。
当然ながら、割引率を求めるには米国債金利ではなく、利払いを勘案しない、スポットレートが適用されるべきであるし、イールドカーブがフラットであるという前提にも無理があるだろう。
また手厳しい方であれば、インフレ率を考慮した実質キャッシュフローをベースにした計算や考え方なども求められるかもしれない。
本稿読者が、MLBへの興味や関心を高めてもらうのが最大の喜びではあるものの、同時に経済やファイナンスについてご興味を持って頂けるのであれば、それはそれで非常に喜ばしいと考えている。
追記(大谷翔平の10年7億ドルの契約について)
2023年12月に大谷翔平が7年10億ドルの長期契約を結んだことが話題となった。
金額も去ることながら、話題となったのは10年後以降に支払いの大半が来るという特異な契約形態だ。
当然上記の「必要な原資」=現在価値 という考え方からすると、これは非常に大谷選手にとっては不利な契約だ。
ただし留意しておきたいのは、大谷翔平の契約について、事前予想では総額5億~6億ドルという予想が多かった。
7億ドルという金額は聞いた瞬間、ずいぶん突拍子も無い数字だと思った。
実はこの「必要な原資」という考え方で言うと、10年5億ドル(毎年均等に5000万ドル支払い)と今回の10年7億ドル(10年後以降に支払いの大半が来る)は大差が無い。むしろ前者の方がやや大きいと考えられる。
よって、今回の契約内容は単にロサンゼルス・ドジャースおよびMLB、また大谷翔平自身のマーケティング目的で、必要な原資は変らないまま、金融の理論を上手に使って、金額を膨らませたものだと言えよう。
もちろん仮に10年5億ドルであったとしても現時点で過去最高の契約であることには変わりなく、今回の手法が大谷翔平の価値を乏すものではない。
だがなぜこのような巨大な金額生まれたのかについては、しっかりと金融的な目線も踏まえないと正しい評価はできないことは間違いない。
なお、youtubeで同様の説明をしているので、良かったら見て頂けると幸いだ。
「大谷翔平の巨額契約とFRBの利上げ政策の誰も知らない関係」