【詩】いとしさとせつなさと、鼻汁
鼻をかめばべとべと汚い鼻汁がティッシュを汚すのが人間だ。わたしは鼻をかむたびにその汚さに尻込みし、これまで自分に、ひいては人間に対して抱いていた夢をチューニングする。こんなものが体内から出てくるなんて、人間とはそんなに綺麗なものではないのだ、と夢の下方修正をするのだ。油断すると夢はすぐ上振れする。鼻をかむことで適正な夢のサイズを保つ。ゆえに、花粉の飛ぶ時期や風邪をひきやすい寒い季節においては、夢は概ね適正サイズに保たれる。それ以外の季節には別のチューニング方法が必要となるが、まあ、お花を摘みに行くとよかろう。みなまで言うまい。しかしながら、そうこうしているうちにしまいには鼻汁すら愛おしく感じられてくるのは、もう不思議というほかない。嘘と思うなら自身の鼻汁をしげしげと観察してみてくれたまえ。その色は透明から薄い黄色を経て緑がかった黄色、果ては真緑まで幅が広く、粘性もサラサラからネバネバ、あげくはドロドロまで飽きさせない。どうだろう。わかっていただけただろうか。鼻汁とはただ汚いものではなく、むしろその多彩な色や質感において、われわれを魅了してきさえするのだ。すると、なんだ、鼻汁は(鼻汁でさえも!)夢の精度を保つための適切な標本にはなり得ないということだ。かめばかむだけ味が出るではないけれど、これは反対に人間の愛おしさを増長させているといえそうだ。
人間は鼻汁(はなじる)さえも愛おしい
夢を抱くな食われちまうぞ