祈るということ
神社に本当に神様っているのか?
と思う人も少なくないと思います。もう、日本人の習慣として、形式的にやっているだけでしょ?と思う人も少なくないと思います。私個人としては、そう、思う部分と、「本当にいるとしか、考えられない」と思う時と両方、あります。
いないという、最大の理由は、その理不尽さにあると思います。たとえば、今はパンデミック真っただ中です。そして、自己責任の無い人に被害が出ている場合が少なくないと思います。感染症にどこまで、自己責任があるのか、とても難しい話ですが、少なくとも、関係ない病気で入院している人や、高齢者施設で普通に暮らしていただけの人が、ある日突然、集団感染に巻き込まれるなんてことが、あちこちで起こっているのは事実です。
問題はそんな時、神様は救ってくれるのか?
という事ですよね。残念ながら、そんなに単純な話ではないのはわざわざ、語るまでのないことだと思います。しかし、一方でこんな話があるんです。日本の話ではありませんし、感染症が流行する前の話なんですが、多民族、多宗教の国で、命が危険な状態になった患者の家族が、
お祈りをする場合としない場合に分けて、統計を取ったんです。
すると、宗教的な祈りをした家族がいる場合の方が明らかに予後が良いというデータが出ているんです。もちろん、だから神様がいるんだというのは、明らかに短絡的な考えです。ひょっとしたら、人間の意識の力のせいかもしれません。祈りの力、イコール、神様の力とは限りません。
ただ、少なくとも、良くなっているんですね、神様に祈った方が。それも、多民族、多宗教なので、日本にも当てはまる可能性があります。
神様の正体は人間が作り出した、集合的無意識にいる、元型のようなものなのかもしれませんし、本当に神話に出てくるような、人間以前から存在する、超越した存在なのかもしれません(神道は人神を祀っているので、さらにややこしい)。
多くの神話では神様が人間を作ったことになっています(日本神話ではこの辺りは曖昧です)が、実際は人間が神様という存在を想定して、架空に作り出し、かつ、いつしかユングのいう元型になった可能性もあります。
どちらなのか、私にもわかりません。ただ、全くの形式的で実質は無意味なものだとは思えないのです。どういう経緯で発生したのかは不明ですが、神様に祈る、自助努力をしたうえで御祈願するという事は、一定の有効性があるのではないかと思えます。
感染症対策などやめて、皆で祈りましょうと言えば、危険な妄信者に過ぎません。ここは、現実的対策をきちんとした上で、それぞれが信仰している対象に、もしくは、信仰がないなら、自分の先祖や大自然でも良いので、祈ってみることは、まんざら悪いことではないように思います。
特に感染症は自助努力だけでは限界があります。しかし、政治は簡単に変わってくれませんし、サラリーマンだと、上の決定に逆らうことは出来ません。
もちろん、祈ったからといって、即、解決なんかしないと思います。でも、少しでも何かが変わることを私は期待したいです。
ただ、年末年始の寺社参拝は感染症対策として、オススメしません。ぜひ、分散参拝していだきたいと思いますし、自宅で祈っても、効果は変わらないんじゃないかと個人的には思います。あまり、形式にこだわりすぎないで良いと思います。
私達は誰一人、迷惑をかけずに生きてはいけない存在です。生活すれば必ず、ゴミを出しますし、一人では絶対に生きていけません。一人一人が出来ることをするしか、この難局を乗り越えることは出来ないと思います。
仏陀は、お金のある人は困っている人にお金で、無い人は労務で、それも出来ない人はせめて、祈ってあげなさいと言われたそうです。祈りは誰でも出来ます。別に宗教観がなくても良いんです。ただ、感染症が早くおさまるように、祈る。それだけでも、たくさんの人がすれば、見えない支援がわからないように出てくる可能性があると思います。
そんな気休めより、ワクチンだろという話は正論です。ここは、何かの代替になるという話ではありません。1日のわずか、数秒でも、多くの人が祈る。それだけで良いと思います。
神様云々、信じる、信じないの話でもありません。どういう理屈か不明ですが、祈りは何らかの物理現象を起こす可能性があります。
気休めで終るのかどうか、正直、わかりません。何の保証も出来ません。とりあえず、自分で出来る感染症対策など、現実的なことをした上で、祈るくらいはしておこうかなという、一小市民の気持ちです。
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