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【空前絶後の超絶無職】人を愛し、人に愛され続けている男

こんにちは、shotaroです。
1日1コンテンツを始め、はや5日目。

改めて1日1コンテンツとはなんなのかTwitterでもInstagramでも語ってこなかったので、ここに振り返り書いていく。

どうするねん

それは、毎週火曜日21:00配信中のネットラジオITAYA RaDioの収録終わりに、相棒のabnaと夜ご飯を食べていた時の話だ。

「これからどうするねん」

香川出身のabnaは讃岐うどんよろしく、いりこで出汁をとった関西弁でこう問うてきたのだ。


退職するという話は9月上旬頃から相談をしていた。
退職が決まってからの僕は、踏んでいるように見せかけたカウントのされない反復横跳びを見せつけていた。
abnaからしたら心配や不安や怒りにも似た気持ちが湧き出たのであろう。

とても恥ずかしく、偉そうに夢を語っていた自分と現実のギャップに言葉が出なかった。
その時はそう思った。ただ、上の言葉は間違っている。

ギャップなんてものはあるわけがないのだ。
なぜなら、進捗がないからだ。

「全ての時間を自分に使えることは、とってもうらやましいよ
 1ヶ月何かやり切ってみようよ。なんでもいいから発信してみたら?」

そして、約束をした。
「わかった」と。

noteを書いてみて思うこと

昨日の更新一本目の記事に比べてはリアクションが減ってはいるがLINEで面白かったと言ってくれたり、フォロワーの関係で飛べるURLの貼れないInstagramのストーリーを見て、わざわざ検索して読んでくれた友達がいる。

面白いと思ってもらえていたことに嬉しくも思い、読んでくれた方々にも大変感謝している。


今の僕は、周りに助けられながら生きている。
具体的には飯を奢ってもらっている。本当にありがとう。

大変に申し訳ない気持ちでビールの二杯目を頼むと彼らは言うのだ。

「勘違いしないでいただきたい。
決して奢りではない、これは投資なのだと。」

そこで僕にできることは、もちろん頑張ることなのだが他に今自分にできることはないか?
そう、noteを書くことがあるのではないか?と思った。

オンラインサロン?メルマガ?

僕はオンラインサロンに入っている。
TranSe・大川優介さんが主宰している
「動画好きの、動画好きによる、動画好きのためのコミュニティ」
TranSe salonだ。

毎日の数千字に及ぶ大川さんの記事が毎日の楽しみである。

 noteを面白いと言ってくれるのであれば、恩返しではないが今自分にできることとして、ありがとうの気持ちを込めて毎日書いていこうと思う。
最近読んだ孫正義さんの自伝"志高く"のように、気持ちだけはいつまでも上を向いていきたい。

退職エントリーを書いて以降、これからどうするの?と本当に様々な人から連絡をもらう。

もうその気遣いだけで本当に嬉しい。
その連絡だけで、転職活動はもちろんのこと、コンテンツ作成も頑張っていける。

もっと動画作成が上達した日には是非とも撮らせて欲しいし、なかなか会う機会もめっきり減ってしまったがこれから行うVLOGも是非一緒に撮らせて欲しい。

空前絶後の超絶無職
人を愛し 人に愛され続けている男

ここまで書いてきたことは1,500文字かけたみんなへのありがとうなのだ。

さて、ここからが今日の本題だ。

改めて僕が人と接する時のマインドをここに書きたいと思う。
僕は一度好きになったのならずっと好きでありたいと思っている。
それは、例え相手に嫌われようともだ。


これは大きな原体験がある。

中学生から高校生になる時に大きな間違いを犯した。
中学生の時からなのだが、何かを企画する時には先頭に立って様々な手配をする。

高校に入学してすぐの5月にアルバイトを始めた。
確かこの時期にアルバイトを始めたのは僕だけだったと記憶している。


遊びに誘われても疲れたから行かないと言う理由で断っていた。
だがその裏には
「僕がいなければ特に大きな計画とかは無いだろう。
どうせいつもの感じだから、あいつらはなんもできん」
などと考えていた。

これが大きな間違いだったのだ。

計画と言ったって、どこに集まるとかどこに行くかくらいのレベルだ。
誰にだってできる。
行き当たりばったりだって楽しいじゃないか。


そんなことも考えられないまま時は過ぎ、イベントサークルに入った。
そこからさらに自惚れは拍車をかけた。

おれ、スゴイ!
という謎の気持ちを前面に出し続けた。

気づいたら毎日連絡をとっていた友達はみんな離れていた。


付き合いが悪くなったとかそんなことで離れていったのでは無い。
向き合い方の問題なのだ。

相手の気持ちを大切にする事も、知りにいくこともしなかった。
一度、お前やばいぞ?と助言をくれた友人がいたが、それすらも相手の立場に立ち切って考えることもしなかった。

もう疎遠になってしまった友人だが、本当に僕のことを思って言ってくれたのだと今なら胸が痛いほどにわかる。


大好きな友人たちと、付かず離れずの関係が続いた。

それから数年後の大学2年の時に、東京に住んでいた友人のところへ会いにいった。

申し訳なかったと言う気持ちと、よりこれからも関係性を築いていきたいという思いを胸に。

恥ずかしく、未熟な僕はそれを言葉にしたかは覚えていない。
でも、思う限りの行動をしたと思うし、彼も今までと変わらず接してくれた。


高校から大学生まで極端に連絡を取らなくなったわけでも無いし、年に一回の地元の祭りでは、もちろん仲良くやっていた。

それでも、僕の中にわだかまりがあったのだ。


大人になりにつれ、そのまま疎遠になった友達もいるし、同じ飲み会には参加するけれども前のようには話せない友人もいる。
でも、毎日のように連絡を取り合うような友人もいる。

僕は人との向き合い方を学んだ。
そんな経験から、僕は一度好きになったのならずっと好きでありたいし、例え相手に嫌われようともずっと向き合い続けたい。

今まで出会ってくれた人たちにも、そしてこれから出会う人たちにも。

終わりに

記事にスキをしてくれる皆さん。連絡をくれる友達。Twitterにいいねをくれるフォロワーさんたち。
本当にありがとうございます。

このnoteが誰に届くかもわからないし、参考になるようなことを書けているかもわからない。

書かなきゃ!と勢いづけてしまうと明日の更新が億劫になるので、自分の気持ちを赤裸々に書いていくが、その根元にはいつもありがとうとあなたに届けられるよう書いていく。l

それもまたコンテンツなのである。

goodday!

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