白米だけで大学生は生きていけるのか
大学2年のとき、家賃3万円の物件に縁があり、1人暮らしを始めた
収入はもっぱら、長期休みの塾講師と、大学近くの酒屋での配達バイト。塾講師の収入はもっぱら家賃とサークル活動に消えた。生活費は配達バイトで1回あたり5000円。現金でもらえるシフトに週1、2回入ってしのいだ
5000円÷7日=1日715円。これでどうやって生計を立てたのか、今ではまったく分からない。昼に大学近くで500円ランチを食べると、残るのは215円。ほとんど炭水化物に頼っていたように思う。コメ5キロで2000円なので、1合炊いて100円前後。帳尻が合う
ドンキホーテで見つけた安い炊飯器を使っていたのだが、3ヶ月ほどで壊れた。シャープ製だったので、シャープのお客様相談窓口に「このままでは飯が食えない」と嘆いたところ、最新の機種と交換してもらえた。この炊飯器はタフでいまも現役なので、もう10年近く使っていることになる
最も食べたのは、ご飯に、おたふくソースとマヨネーズ、かつお節をかけたお好み焼き風の丼だったように記憶している。ある時、爪の色がおかしくなっているのに気づき、当時付き合っていた彼女から「栄養失調ではないか」と指摘された。以来、少なくとも卵と野菜(キムチかモヤシ)を添えるようになった
部屋にはいろんな人が遊びにきた。友人が冷蔵庫に卵があるのを見つけ「うまいもの作ってやるよ」と、卵を2個割って溶いて、フライパンで焼いたことがあったのだが、自分の感想は「おい、卵を2個も使ったのに焼くだけか」というものだった。1個いくらすると思っているんだ、と憤るほど財布が厳しかった
東日本大震災が起きた時も、ドンキホーテで買った1キロ400円のスパゲッティを自宅で茹でていた。初期微動が長く、いよいよ揺れが大きくなった時に「急いで湯切りをしなければ」と焦った。貧しさのあまり、というよりも、正常性バイアスというもので、人はパニックになった時、自分を落ち着かせるために誤った判断をするらしい
4年生になった頃には、アラが閉店直前に半額になっているのを買って、大根の煮付けを作るぐらいのスキルを身につけていたが、社会人になると、いつの間にか貧乏生活から卒業していた。もし「節目」を見出すとしたら、入社1年目の8月だったように思う。突発的な事件で、別の都市に1週間ほど泊まり込んだ後だった
帰宅すると、玄関に入った時点で異臭がした。その元は、キッチンに置かれていた大鍋の白い物体のようだった。「シチュー作ったか?」記憶を辿っていくと、もともとはカレーのようだった。一面に新しい生命がみなぎっていて、鍋ごと捨てた。これをきっかけに、自炊から遠ざかった
明るい将来がなかなか見通せない中で、貯蓄を増やさないと厳しい気がしている。週5000円は難しいかもしれないが、あの生活をもう一度始める勇気はあるだろうか?と自分に問いかけるのだった
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