この世には再現できない味がある
この世には再現できない味があるように思う
中学に入学して、水泳部に入った。当時、校内にはプールの隣に体育館と部室棟があり、下校時刻の間際、練習が終わって暑さから解放された運動部員が、叫びながらフルチンでプールに飛び込むのが日常風景になっていた
いま振り返れば本当に些細なことなのだが、中高生にはそれなりの縄張り意識がある。何も断らずに裸でプールに飛び込む輩がいると、水泳部員は急いで次亜塩素酸の固形タブレットを投入し始めるのだった
塩素を入れるのは、合理的な理由があった。屋外だったので、消毒を怠ると翌日には水が濁ってしまう。一応そういう理由を挙げて「今日はもう入れない」と説明するのだが、聞いてもらえない場合、先輩から「今日は液体塩素を撒く日じゃなかったか?」と悪魔のささやきを聞くことになった
液体塩素を侮ってはいけない。固形タブレットよりも強力で、撒いた直後にプールに入ろうものなら、肌はヌルヌル、髪はカピカピになる。間違いなく体の一部がとけている証拠なのだが、10代の発想というのは残酷である
そんな中、柔道部だけは「練習終わってるか?」と顧問が一言、仁義を切ってくれた。水着も着用させていて、好感を抱いていた。そんな柔道部の顧問がある時、「いつもお世話になっているから」と、声をかけてくれたことがあった
氷と粉末パウダーを混ぜて作ったドリンクが余り、好きなだけ飲めと言ってくれたのだった。プラスチック製のクーラーボックスから直接、両手ですくうと、指の感覚がなくなるほどキンキンに冷えていた。もう捨ててしまうからと、何杯も飲ませてもらった
あの味が、忘れられないのだ。今でもエネルゲンが飲みたくなるのは、おそらく、あの夏の記憶が残っているからに違いない。懐かしくなって自販機でペットボトルを買ってしまうのだが、どうも味が違う
味が違うといえば、大学時代にマサイ族の家で飲ませてもらったチャイも、何度も試みたが日本で再現できない
茶葉はケニアで買ったものを使った。水の軟度の問題かと思い、コントレックスで作ってみたこともあるが、やはり違う。グラニュー糖ではなく三温糖や黒糖に変えてみたが、あの味にならない
ちなみにマサイ族もチャイは好きなようで、以前飲んでいたウシの血と乳を混ぜた伝統的な飲料は、儀礼の時しか飲まなくなったとか。彼らに言わせてみれば、「チャイよりもおいしい」らしい
この夏を過ごしていて、もしかすると再現のヒントは、いずれも「暑さ」ではないか、と思うようになった。たとえば、プールを出た直後なら、あのドリンクにたどり着けるのかもしれない。明日は久しぶりに泳ぎに行ってみようか、と思うのだった