廻花は花譜であるということ
はじめに
たると申します。
はじめにこの記事の意図としては、自分の解釈発表会、もしくはお気持ち表明的な意味として今の花譜に対する考えを保存しておくものになります。
自分自身「不可解2」終わりあたりから本格的に追い始めた者なので間違っている点があれば申し訳ありません。報告していただければ修正し、再度書き直します。
花譜について
まずは、前提として「花を、四季の順や分類などに従って記録した図譜。(goo辞書引用)」を花譜という名前の意味としてとらえた上でこの記事を進めます。
現在の花譜と今の花譜の共通点と違い、それぞれの不安について
まず、現在この記事を読まれている方はどのように花譜を知り、どのような花譜が好きですか?もちろん、人それぞれあるでしょうし、話始めれば止まらないものかと思います。ですが、花譜好きには大きい括りがある場合が多いです。
・「初期の物語的なニュアンスの花譜」が好きな人
・その後の「カンザキイオリの恋愛物語を歌う花譜」が好きな人
・「花譜の歌」が好きな人
・「花譜自身の人間性」が好きな人
・「キャラとしての花譜」が好きな人
・「PIEDPIPER」が好きな人
もう少しあると思いますがこんな感じではないでしょうか?ちなみに僕は花譜の人間性が好きな人に当てはまりそうですね。
そして、今花譜好きの人間が苦しんでいる問題、それは「花譜があんまり俺に刺さらない曲を歌っている」問題です。なぜこんなことが起きているのか、原因としては「そもそも花譜はそういうもの」ということにあると思います。
今までの花譜
今までの花譜の曲、個人的にはアルバムに載せてあるものに関しては明らかに曲テーマが決められているように感じます。観測には「別れの曲」「旅立ちの曲」花譜の不可解さを表すような音作り、魔法には「豪快さを表す曲」「聴く人に語りかける曲」花譜の進化性を感じ未来を感じる音作り、狂想には「最盛の曲」「再会の曲」花譜として盛り上がる感情的な歌唱表現が映えるような音作りになってるように思っています。
これに関しては正直、うっすらとは感じていたしアルバムとして統一感を持たせるという点で当然のことではあると思います。しかし、この変化がおそらくPIEDPIPERにおける「花譜」という名前の理由の一部であり、プロジェクトとしてやりたいことなんだろうなと思っています。
これからの花譜
これからの花譜も同じようにアルバムごとに1、2個テーマを決めコンポーザーに依頼していくことでしょう。ここから戻って「花譜があんまり俺に刺さらない曲を歌っている」ということについてもここで語ります。
現在、「寓話」というアルバムの発売が決定しているわけですがここに収録されている曲、おそらく全体的な雰囲気としてですが、「クラブで流れるようなピコピコ音楽」「ザ・青春曲」的なノリのものが多く感じられます。実際、これ自体は全く問題はなく現在聴ける曲だけでもかなり良いものになっていると思います。
で す が 、問題があるんです。あります。いいえ、あります。
一体何が問題なのか、「コンポーザーが違うから曲調同じにしても幅が広すぎるだろ!!!!!!!!!!!!!!!」といったところです。まさに刺さらないんです!
頑張って曲を追うにしても、楽しんで聴けるようになるにはかなり時間を要しますよ!!!!!!!!!!!!!!
これ多分花譜本人が一番追うの向いてるよ….音楽オタクさん….
今までの、これからの花譜
今までの花譜に関しては本当にカンザキイオリありきのものだったんだなと、つくづく実感します。今までの曲調の変化にしてもカンザキイオリという共通点があったからこそ、花譜さえ追っていれば花譜が80%以上は楽しめるというとても恵まれた環境にあったんですねぇ….
ところで、この違いで一番苦しんでいるのはどの花譜好きでしょうか。個人的には「花譜の歌」が好きな層だと思っています。もちろん、「初期の物語的なニュアンスの花譜」「カンザキイオリの恋愛物語を歌う花譜」が好きな人も苦しんではいると思いますが、そんなのはもうだいぶ前か怪歌でやられて、今まだ残ってる人なんてほぼ亡霊みたいなもんですよ。もし、また同じメンバーが集まっても当時と同じようなものは作らないでしょうしね。
そんなところで花譜への苦しみについてはこの辺で終えておきます。怪歌(再)自体は単体で見ればとても良いライブだったのかなと思います。ところどころ理解できないセトリ落ちはありましたが、個人的には聴きたい曲が聴けたので全然OKです!!!!といった感じです。あんまり言うこともないですね。
廻花について
廻花については、前回怪歌の時に描いた時と同様に現在も花譜の見たかった部分を存分に表現してくれていてとても嬉しく感じています。
廻花の行く先について
今回、廻花は前回から二回目のライブでのお披露目となりましたがやはり前回とは違いかなり現状の方針が見えてきたように感じます。
前回との違い、それは廻花と花譜のつながりをかなり強く表現したところにあると思います。幕張メッセで廻花が語ったことを個人的に解釈すると「廻花は花譜の内側の一部」という風に感じました。どうやら本人としてはそこを切り離して考えてほしくなかったようですね。最後の、「愛しています」の言葉と含めて考えると「自分を好きでいてくれる人、認めてくれる人にはすべての自分の感情を知ってほしい」という気持ちのように思います。おそらく、本人としても花譜に対してコンテンツの意識を強く感じてるんじゃないですかね。
そして、廻花の行く先なんですが、とらえ方として花譜(番外編)だと思ってます。いや、そんな単純なものじゃないですが簡単に言っちゃうとそうってだけです。変わりゆく花の情景(花譜)に対して自分の好きを通し続け一つの花の美しさを表現するのが廻花だと思っています。結局で言えば、どちらも本人が好きなことをしていそうですが、世に出せるタイミングが違いそうって感じなんですかね~。
廻花が花譜であった可能性
個人的には廻花が花譜の中で行われていた可能性も大いにあると思っています。理由としては、曲をかなり作り溜めしていることにあります。そりゃもちろん廻花としてライブに出るにあたって数曲発表しないといけないからというのもわかりますが、3年ほど前に作った曲から最近作った曲までかなりまばらに出している印象があります。もちろん、当時はカンザキイオリが神椿を抜ける予定なんてなかったでしょうしかなり邪推の部類にはいってしまうと思いますが、PIDEPIPERに確認しながら曲を作っていたという点に関したらもしかしたら、曲の雰囲気さえ合っていれば今の廻花の曲が花譜のアルバムの中に入っていた可能性が考えられないこともないと思っています。
ここで、だからといってなんだという話は特にないのですがこれだけ廻花という存在は花譜と同じものということが言いたかったんです。
最後に
ここまで読んでくれた人はいるんでしょうか?かなり読みづらい文章ですね!自分自身、これからどうやって花譜を追っていこうかな~とめちゃくちゃ悩んでるんですが、いや、本当にむずいですね。なかなかですよ。えぇ、ほんとに。この世の曲全部聴けばいけそうですけどね????そんなことできないんで、なんとかコツを見つけていきましょうね。
でも、いまだにカンザキ曲大切に思ってやってくれるのはありがたいですよね。次の現地も期待したいです。その時までにはなんとか寓話も楽しめるように周辺曲を履修せねばですね。
余談(愚痴)
あの、「愛してる」って叫ぶのやめてもらえませんか???まぁ人それぞれ考え方があるんでしょうがちょっと理解ができませんね。言葉の重さを大切にした方がいいと思います。そりゃ、相手に気持ちを伝えることは大事ですが、限度ってもんがあると思います。「ダジャハラ」じゃないですが、相手に気持ちを押し付けること、それがたとえ薄っぺらいものだとしても気持ち的に困惑すること、加害と感じてしまうことくらいあると思います。
そして、花譜がそれを気にしていそうということもあります。
なんか花譜を盾にするようで気持ちが悪いですが、花譜自身迷惑とは思っていないでしょうし困ることもそうないと思いますが、本人が発する「好き」や「愛してる」という言葉からはとても大切にしている言葉なんだなと、重い言葉なんだなと、本当に思います。
だからこそそういった言葉が嬉しいわけですし、聞く価値があるものなんです。だから、言葉を伝えたいなら大声で叫ぶのもいいですが、ちゃんとその言葉を大切にして、大切な相手に、大切な時に、伝えないと言葉が腐ってしまいますよ。
追記:PIEDPIPERの綴り間違えてました