駆紋戒斗、強者――仮面ライダー鎧武
仮面ライダー鎧武を観終わった。
4クールに渡って一つずつの話が綿密に絡み合った作風は、大河ドラマにも似た感じがあった。
葛葉紘汰が主人公という扱いではあるが、誰もがキャラが立っており、記憶に残らない人間がいない。そして、どんどん大きくなって行く話のスケール。それが非常にゆっくり、着実に進んでいくのですぐその中へ引込まれる。
最後は、世界を終わらせるか、世界を守るか、という究極の選択の話になった。これはもはや一種の神話であり、人間が介入できる余地は全くない。
実際には紘汰が勝ったわけだが、実際には戒斗が勝っても決しておかしくはなかったのだ。どちらかと言えば戒斗の方がより主人公と言うに足るような側面がある。
戒斗は自分一人が強くなりたかっただけだった。だが彼は時に周囲の人間を一つにまとめたり、誰かの心の中を察する思いやりがある。彼の中にある思いやりや優しさがなければ、恐らくあそこまで生残ることも、そして負けてしまうこともなかったはずだ。
一方で紘汰はすぐれて自己犠牲的で、誰かのためを思うあまり他人に心配されたり反発を買ったりしてしまう。だが長い目で視れば、こういう欠点すら彼の卓越した徳だ。しかしそれ自体は、別に彼が禁断の果実を手にする素質としてさして重要なものではない。
何より仮面ライダーに変身する人間は紘汰でなくてもいいはずだった。レデュエが見せた幻覚の中では裕也が鎧武に変身して紘汰を襲っていた。そうなってもおかしくはなかったし、むしろ紘汰の人間性を考えれば彼が果実を手に入れる戦いに巻きこまれる事態がむしろ例外なのだ。
彼は元々平凡な日常を望んでおり、力を求める理由などなかった。前作の晴人やライダーバトルに参加する名分のなかった真司と同じく、市井の人間に近い感覚を持っている。いや、晴人でもサバトという非日常に巻きこまれてしまったからあの活躍があるわけだが、紘汰は自分が所属していたダンスチーム(実際にはチーマーめいた集団である)に、たまたま用があって戻り、たまたまベルトを拾った。完全になりゆき任せで物語に流着いたのである。
それに比べれば戒斗の方がよほど目的意識の元に戦っており、主人公らしさがあった。彼には父の職場をユグドラシルに奪われた過去があり、弱者が踏みにじられない世界を実現するための原動力となっていた。こうして見ると我々が感情移入すべきは戒斗の方だ。その理想は決して叶えられしかし最初こそ、あてのない戦いに汲々としていた紘汰だが、様々な戦い、大切な人の死を経験して、彼もまた戒斗と同じ力を求める者に成長して行った。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」というが、実際には大いなる力を持つ人間が大いなる責任を持つことはほとんどない。凌馬ですら、果実の存在に気づく以前からヘルヘイムの侵食による人間同士の殺し合いを指摘していたのである。それが世界を揺るがす力、一人だけが持つ黄金の果実であるなら尚更。
戒斗も紘汰も、を自分の物にしてしまわないだけの芯の強さがあった。シドはそれを自分をよく見せるための手段としてしか見られなかったので、選ばれなかった。ロシュオもようやく他人に心を開こうとした矢先、レデュエの凶刃に倒れた。何かを犠牲にしようとする人間が最終的に犠牲になったのである。だが紘汰は誰も犠牲にしたくなかった。世界を救うためなら人間でなくなることすら厭わなかった。この世全ての自分が全能の力を手に入れることで全ての人間を進化による淘汰から救い、自分が殺さなければならない戒斗をも救った。戒斗は力を求め、その意思に殉じた。生きている限り永遠にかなわない使命から、戒斗は死ぬことでしか解放されなかったのだ。
誰もが強い世界なら最初から争いが起きないと言切れるのか。全ての人間の平穏を求めるならそこでもやはり誰かを踏みにじることになってしまうのではないか。
強者となって弱者を棄てる戒斗はともすれば残酷な人間に見えるが、そうではない。むしろ優しすぎるくらいだ。優しいから全てを滅ぼそうという極端な手段に走ってしまった。本当は紘汰も彼と同じくらい優しかったのだ。だから戒斗の願いを否定することなく、彼の願いをより正しい方向で叶える、と言ったわけ。二人は敵ではなかったし、お互いを憎み合っていたわけでもなかった。
戒斗の願いが最悪な形で終結したのがフェムシンムの末路だろう。彼らは果実を手にした後、自分たちが選ばれたことに思い上がり殺し合いに至ってしまった。しかしそれは彼らが劣っていたというより、普通の人間だったからだ。
いずれにしと果実の争奪戦は「めでたしめでたし」では済ませられない喪失感を残した。ヘルヘイムの主はこの後も果実を巡る争いを他の星にもたらすだろうし、フェムシンム以外の敵がまだ残存している。
最終回で戒斗の亡霊が憑物が取れたように安らかな笑顔を浮かべていたのを見ると、やはり叶えられない願いを追い続ける人間に、死はある意味救いなのだろうという感想を抱かないでもない。
世の中では戒斗のようにならなければ生きていけない人間は少なくない。でもやっぱり紘汰のような心も少しは持って生きて行きたいなと思った。
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ニル・アドミラリ
外界から隔絶された魔境・春原県で殺人トーナメントにうちとける異形の人々。誰が生き残り、何を成し遂げるのか……
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