歴史改良主義

 歴史をよりよい方向に造り変える必要があると、我々は信じる。

 そのためには時間をさかのぼり、過去に干渉しなければならない。無論それはあまりに重大であるために、この技術を持っているのは我々、時空教団しかいない。この時空教団は、歴史の改変によって、より多くの人々を救うため設立された秘密機関である。これまで、あらゆる時代に干渉することによって、様々な犠牲を減らしていったのである。交通事故をあらかじめ予測し、被害者を遠くに移したり、そこに至るまでの過程に干渉することによって戦争を予防する……そのようなことを何千回となく繰返していった。歴史改変によって人間の犠牲が増えるとは限らない。そのため、犠牲の数がなるべく少なくなるように度重なる干渉を続けているのだ。
 無論、我々の存在は誰にも知られてはいけない。我々の所業は全ての時間に影響を及ぼすし、全ての人間の記憶を無意識のうちに改変してしまうからだ。それゆえ、歴史の改良は厳密に検討しなければならない。それに歴史改変が我々自身に及ぼす影響も考慮しなければならない。蝶の羽ばたき方が違うだけで人類が生まれるかどうかすら定かではない。そのため行く先は数百年や数千年前といった時間帯に限られる。何より、我々をひそかに狙う勢力もいないとは限らないのだから。

 そして今回、我々は歴史改変のために、過去のある時代に跳び建った。
 今我々は、砂漠のなだらかな丘から、騎馬兵の軍団、二つが衝突すべく前進しているのを目撃している。当時の武器や、防具について後世の歴史資料と比較検討することもできようが、そんなことに挑めるほどの余裕はない。特に今回の任務は、一番大きな歴史の改竄だ。人間一人を救うというちゃちな規模のものではない。

 歴史においてもっとも戦争の原因となっているのは、宗教だ。宗教さえなくなれば、人間の世界はより平和になるはずなのだ。
 時空を移動する技術を持っている我々、教団は無論科学を信奉している。宗教は単なる迷信に過ぎない。無論、宗教が科学の発展を後押した時代があるとはいえ、長い目で察れば、やはり宗教は多くの害悪の原因ではないか。時空教団は人間がなるべく平和な歴史を築くように仕向けなければならず、犠牲を少なくするためにはすぐさま唯物論に目覚めるように仕向けなければならない。

 かくして、初めてこの段階の歴史改変を実施することにしたのである。
 今回の任務は、ある巨大な宗教を開く運命にある、かの教祖を暗殺することだ。
 我々は未来の歴史から、その宗教の名のもとに血なまぐさい戦争や迫害が幾度となく起こってきたことを知っている。それをなくすためにはこの戦いの結果を変え、かの教祖を亡者にしなければならない。
 そこで我々は歴史を調べ、この教祖がもっとも命の危険にさらされた瞬間を検討した。そして今、我々がいるこの戦場で教祖率いる軍勢が惨敗し、教祖自身も敵兵に斬りつけられたという伝承を知ったのである。その現場に到着するまで、我々歴史改良班の中には荒涼とした空気が漂っていた。
 人体を透過する物質を着こみ、スーツから銃に至るまで一切当時の人間には見えないように隠している。そして二つの軍団が本格的な戦闘に突入する直前、遠距離からレーザー光線で狙撃し、信徒の中心に陣取っていたかの教祖を暗殺したのだ。
 教祖が死ぬと、彼を慕っていた信徒たちは激しい恐慌をきたし、そのまとまりを息せき切って崩れていった。敵軍――古い宗教を信仰するものたち――は逆に時の声をあげて教祖の残党に襲いかかり、一秒に何十回という勢い、剣で切裂き、槍で突きまくる。
 我々は古代の人間の野蛮さに息をのみながら、急いでタイムマシンに乗りこみ、元いた時代に帰った。

 漆黒の宇宙空間に包まれた、銀色の球体。我々の本拠地であり、家。
 地球とは全く異なる時間や次元に位置するそこにしか、時間を遡行し、歴史を改良するのに適当な場所はない。

 我々は遥か未来の時空教団本部に戻り、世界各地の歴史を記した書物を多数収める図書室に行って本の記述がどういう風に変わっているかを調べた。
 だがやはり、我々は歴史がはっきり改良されたわけではなかった。ただ単に、一つの宗教が発展する可能性が消えたと言うだけだった。かつては無数の伝記が書かれるはずだった教祖の名前は、ごく伝承で知られる程度。信じられる宗教の名前、偶像の形や、儀礼の時に食べる物が若干違うだけで、ほぼ似たような歴史が世界で展開されていたのである。
 結論。たった一つの宗教を変えただけで、世界を平和にすることなどできない。
 人間そのものが愚かしいのだから、その性質をどうにかしないことにはどうにもならぬ。そのためには、人間から宗教という概念を根底的に取去るほかはない。

 我々はそこで、さらに過去に戻り、最古の祭祀施設とされている遺跡が実際に機能していた時代へと移り、これを破壊することで神による人類の支配を終わらせるつもりである。