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鹿屋と特攻史料館

鹿屋航空史料館へ

10月2日、鹿屋航空史料館へ行った。
どうして行ったか。特攻について勉強していて興味が湧いたからである。
特攻とは特別攻撃隊の略称である。当時は神風(かみかぜ)特別攻撃隊と呼ばれた。1944年太平洋戦争末期に日本軍が敵国の艦隊を打ち砕くために行われた手法であり、自身が乗る爆弾を持った飛行機(桜花)や魚雷(回天)、船(震洋)などを敵艦に当てにいくことで自己犠牲を伴うが敵艦を駆逐することができた。このような特攻がはじめに行われたのは海軍であり、その海軍で多くの特攻隊の犠牲者を出したのはこの鹿屋航空基地であった。ここには多くの遺品が展示されており、当時の状況を感じ取ることができる。

鹿屋航空史料館の入口に展示されている特攻隊の銅像

特攻の悲惨さ

特攻は「十死零生」である。特攻隊は一度空へ飛び立ったらもう帰ってこない。だから出発する前に家族や友達、愛人に手紙(遺書)を送るのである。「わたしはゆきます。愛する日本国のためにたたかってゆきます」のような内容の遺書が数多く展示されている。果たして私たちは戦争時ほどの愛国心を今持っているだろうか。国のために命を懸けて戦いに向かうこの心理は想像がつきません。もっと勉強したらわかってくるものなのでしょうか。
特攻で旅たった特攻隊のうちほとんどは帰らぬ人となったそう。鹿屋では終戦となった1945年8月15日まで特攻を続けていたそう。そして終戦後、特攻を指揮していた人物は自害したそう。もし私がその指揮していた人物の部下であれば、私の同僚が指揮していた人物によって殺されたのにその人物が責任をとって我々に謝りもせずに自害したことについて憤りを感じると思う。

鹿屋航空史料館

鹿屋航空史料館の詳細

ここには特攻に関する展示以外にも現在の海上自衛隊を紹介する展示もある。海上自衛隊のお仕事の紹介や実際にヘリコプターを運転しているかのような体験ができる。場所は鹿児島県鹿屋市の中心部にある。鹿児島中央駅から鹿屋行きの路線バスに乗車すれば行くことが可能である。ちなみにこの路線バスは途中フェリーに乗る珍しい道を走る。そこも楽しみの1つにいれてもいいと思う。あとは鹿屋行きの路線バスは1日4本のみなので、時間が厳しい場合はレンタカーをおすすめする。
最後まで読んでくださりありがとうございます。




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