芦ヶ久保でのなんなんだこれは
芦ヶ久保に行ってきた。芦ヶ久保というのは横瀬町の地名で、「そんなこといわれても"よこせちょう"ってどこだよ」と思われるかもしれないけれど、横瀬町は「よこぜまち」と読みます。秩父のちょっとだけ東京寄り。
芦ヶ久保にいったい何があるというんですか? といわれると、芦ヶ久保には氷柱がある。氷柱と書いて「つらら」とも読むけれど、芦ヶ久保の場合は「ひょうちゅう」と読む。
少し前に妻からどこかへ出かけるべしと提案があり、探した(妻が)結果、氷柱が発見された。秩父にも氷柱があるらしいが、芦ヶ久保の場合は駅から歩いていけるのがいい。
ところが前日は僕のオツトメが忙しくてパソコンを閉じたのが22時半。終わる頃には折からの寝不足も重なってクラクラする。にもかかわらず妙に気持ちが昂ぶってなかなか寝付けない。おまけに妻は大雪(大雪の日だったのです)での雪遊びを目一杯楽しんだ結果、全身筋肉痛。お出かけに暗雲たちこめる中、なんとか3時過ぎに眠る。
翌日は意外とあっさり目が覚めた。西武線で芦ヶ久保へ。13時の少し前に着いた。着いてみると前日の大雪の影響で会場整備に時間がかかるようで、氷柱会場(というのか)への入場は13時からとなっていた。チケット売り場の列に並ぶ。
並んでいる間に妙な看板を見た。「熊さんにお願い」というタイトルで、「あなたの住んでいる地域に、人が音を出しながら立ち入りますのでどうか、襲わないようにお願いします。」とある。差出人「横瀬町・登山者一同」となっている。なんなんだこれは!
『岳物語』(椎名誠)の中にこんなエピソードがある。主人公(著者)の住んでいた近所に元々桑畑だった広い空き地があって子どもたちが遊ぶのによかったのだけれど、あるとき突然大規模な工事が始まりしばらくして巨大な運動公園になった。主人公が息子と一緒に新しい巨大運動公園に行ってみると、入り口に「犬猫立入禁止」と書かれた大きな立て札があった。何と書いてあるのかの尋ねられた主人公が、息子に意味を説明する。すると息子は「犬やネコに字が読めるのかよ。バカなかんばんだあ」と返す。『岳物語』の中でも僕の好きなエピソードなのだけれど、「熊さんにお願い」看板を見た僕は瞬時にこの話を思い出した。
いや、もしかしたら奥武蔵のクマは日本語を解するのかもしれない、とも思ったが、「そうかニンゲンを襲っちゃいけないんだな。オレ、冬眠明けで腹減ってるけどだったらおとなしく山に帰るよ」とクマさんサイドが考えを改めてくれるとは思えない。よしんばクマへの依頼に効果があるのだとしても、だったらこんな人里ではなくてもっと山の方に置いてほしい(置いてるのかな)。バカなかんばんだあ。
ひとしきり笑わせてもらった後で(怒るべきだったのか?)氷柱を見る。なるほど氷の柱がにょきにょきと生えていて、木の幹を覆い、枝に絡まり、異様な光景だ。前日の雪が氷柱の頭にかぶさっていたのだけれど、たぶん雪がない方が迫力や寒々しさがあるのだろう。でも十分に異星感のようなものは感じられる。
ただよく見ると、氷柱の間に黒いホースが通っている。本日二度目の「なんなんだこれは」。そういえば、途中で「あしがくぼの氷柱は今年で10年目」という看板を見たのを思い出した。10年前まで発見されていなかった神秘的な自然現象なのかとぼんやり思ったのだが、これはつまり人工的に作った氷だったのだ。滝が凍るのと同じようなものだと思っていたけれど、よく考えてみたら氷の原料が常に提供されている滝と違って、ここはところどころに木が生えたただの山。自然にこんな氷ができるわけがない。バカな観光客だあと横瀬町に人に笑われてしまったのだった。
その後、なんだかんだいいながら氷柱をいろんな角度から堪能し、駅に隣接している道の駅でラーメンを食べ(安くて量が多くておいしかった)、また西武線で帰った。
芦ヶ久保からしばらくぼーっと車窓を眺めていたら、途中で見覚えのある建物が見えた。たしか幼少期、祖母と一緒にこの建物の前で撮った写真がある。祖父母が冬に幼き僕を連れてどこかの山へ行き、その日は地面が凍っていてすべって大変だったというエピソードのある写真で、おそらく僕は3歳になったばかり、連れて行くならこのあたりの山がちょうどいい。なんだか急にこのあたりの山や土地が自分に近しいものとして感じられた。
祖父と祖母は頻繁に山に登っていて(祖母は祖父に連れられて)、僕も幼少期からよく連れられていた。残念ながら僕に多くの記憶は残っておらず、また祖父の山登りへの情熱も受け継がなかった(記憶に残っていない山のエピソードとして、後々まで語り継がれている「高尾山コアラのマーチ事件」や「高指山電波塔広場崖から落下事件」などがあるのだけれど、これはまた別の機会に)。
そのかわり、僕は祖父から読書好きの遺伝子を受け継いだ。「ある登山家の遭難事件の報道を見て、おじいちゃんが『この人の特集がいついつのヤマケイに載っていたはずだ』といって古い『山と渓谷』を本棚から取り出したことがあってから、古雑誌を勝手に捨てられなくなった」という僕が好きな祖母のエピソードがあるのだけれど、おばあちゃん、僕もおじいちゃんと一緒だよと思いながらその話を聞くたび大笑いしている。
でも祖父がランニングを始めたり山に登ったりしたのは40歳を過ぎてからだという。となると僕もいずれフルマラソンを走ったり冬山を登ったりするのかもしれない。40代になるのが楽しみだあ。