香川県人のトリセツ(うどん偏愛編)
全国にご当地のうどんは数多くあれど、そのほとんどは控えめにエリア限定で棲息している。唯一の例外として讃岐うどんだけが全国制覇の野心を持ち、「うどんといえば讃岐うどん」という認識を日本中に植え付けてしまった、というスルドイ分析をしたのはたしか椎名誠だった。
そして全国制覇と引き換えにというか、その押しの強さの代償というか、「うどんといえば香川(讃岐)」と同時に、「香川といえばうどん」という認識も持たれることになってしまった。
おそらく大半の香川県人は「うどんなんかでいいのかなあ」と思っているだろうが、それをおびやかす存在もないので、「他にないからしょうがないか」ということで、香川というとやはり「うどん」ということを県民も認めざるを得ないようだ。
香川における「うどん」の圧倒的存在感は、青森における「りんご」、滋賀における「琵琶湖」、グレープカンパニーにおける「サンドウィッチマン」と同じといっていい。
県外から来た人はうどん屋に連れていけばそれだけで格好がつくし、こういっちゃなんだけど、県外の人へのお土産はうどんを持っていけばいいので楽ではある。その点、滋賀の人は琵琶湖をお土産にできないから苦労していることだろう。
ゴールデンウィークは一年で最もうどん屋が混む時期といわれる。今年の地元のニュースでも開店の2時間前から並んでいる人がいたとか、300人の行列ができていたとか、放送していた。このニュースを見た大半の香川県人は、誇らしい気持ちとともに、やはりどこか「こんなのでいいのかなあ」と思ったことだろう。
おそらく香川の人間の多くがうどんに対して抱いている感覚は、誇りと困惑が入り混じったものだと思う。「本当にうどんなんかでいいんですか」という戸惑いがある。うどんを食べるのに行列に並ぶのが恥ずかしかったりもする。
自然が豊かなところで育った人ほど自然のありがたさに鈍いというから、うどんが豊かなところで育つとうどんのありがたさに鈍くなるのかもしれない。
「うどんなんか」の一方でうどんに対して尋常でない思い入れがあり、排他的な一面さえある。
讃岐うどん以外のうどんを食べては、「なんやこれ、うどんちゃうわ」という感情を持ってしまう。「いやいや、パスタにいろいろあるように、うどんにもいろいろあって、これは香川のうどんとは別のうどんなんだ」と思おうとはしても、「はん、やっぱり香川のうどんが一番やな」と見下してしまう。
香川の人間のうどんに対する異常(といっていいだろう)な思い入れは、特に兵庫発・全国チェーンの『丸亀製麺』に対する冷酷さに表れる。この感情は説明が難しくて、単純な言葉にすると「郷土文化への冒涜に対する怒り」なんだけど、たぶん他県の人間にはわからないんだろうなあと思う。文化といえば格好いいが、なにしろうどんについて怒っているわけだから、滑稽でもある。
たとえばイギリス人がフランスふう料理の店「レストラン・シャンゼリゼ」を世界展開して世界中で大ヒット、「フランス料理はやっぱりレストラン・シャンゼリゼだね」と言われたら、フランス人は怒ると思う。香川の人が丸亀製麺に対して怒っているのは、構図としてはそれと同じだ。
あるいはウルトラマンが「バッタレストラン・V3」をM78星雲でオープンしたら、仮面ライダーはゼットンと手を結ぶかもしれない。
バッタレストランって何だよというのは置いておいて、とにかく、香川の人にはチェーンの方の丸亀製麺(香川に古くからあるチェーンじゃない方もある)の話題は出さない方が無難です。「あ、香川の出身なんだ。オレも丸亀製麺よく行くよ」なんて言ったら、ライダーキックで蹴り倒されるかもしれないですよ。バッタもんだけに。
香川の人間は、うどんに対して複雑で執念深い感情を持つ。
日常に溶け込んだ親密な存在であり、自己存在の証明であり、守るべき郷土の文化である。それが「うどん」であるというある種の"ずっこけ"が、大好きなのに恥ずかしいというねじれにつながっている。
大真面目なのだけど滑稽で、滑稽なのは自分でも認識しているんだけど、大真面目でないといられない。「2時間前から並んでいます」「バカじゃねえの」と思いながら、明日にはその列に並んでしまうかもしれない二面性を持っている。愛情といってもいいし、狂気といってもいい。
きしんめんが食べられなくても名古屋市民は革命を起こさないし、お好み焼きが食べられなくても広島県民は革命を起こさないし、ちゃんぽんが食べられなくても長崎県民は革命を起こさない。でも、「もしうどんが自由に食べられなくなったりしたら、きっと香川県では人民革命が起こるはずです」と書いたのは村上春樹だった。
たとえ革命が起こらなくても、闇うどんは出回って、闇うどん屋では革命家も役人も警察も一緒になって麺をすするだろう。それで、結局それがまた観光資源になりそうな気もしてしまう。香川にはそういう恐ろしさがある。