9月20日 「木村文紀の引退試合を観る」
9月20日(水曜日)
西武ドームに日ハム・木村文紀の引退試合を観に行く。相手チームの主催試合で引退試合を行うことは珍しいけれども、木村はもともと西武の選手で、西武時代の方が長い上に活躍もしていたから、西武のファンの方が思い入れはずっと強かったに違いない。
木村文紀(きむら・ふみかず)の略歴を簡単に書くと、埼玉栄高校出身で、2006年の高校生ドラフト1巡目で西武に入団。ドラフト制度が混迷して高校生と大学・社会人に別れていた時期で、「高校生ドラフト1巡目」という変わった称号(というか)は、時間が経つにつれて木村を紹介する際の決まり文句の一つだった。
入団当初は投手で、のちに野手に転向した。投手でも1軍で1勝している。野手転向後は主にライトを守り、守備力は年々向上して強肩も魅力だった。身体能力が高く、いろいろな競技で活躍できそうなタイプだった。
打つ方では当たれば飛ぶ、けれどもなかなか当たらないというタイプながらも、下位で何か起こしてくれそうな魅力のある選手だった。特に2019年の優勝は木村がいなければできなかったと思う(「木村文紀 ランニングホームラン」で検索すると、2019年のミラクル性がわかる動画が出てきます)。数字以上に存在感のある選手で、数字だけ見れば他に越えられそうな選手がいそうなものなんだけど、絶妙な高さの壁でなかなか木村を退ける選手は出てこなかった。
2021年、公文克彦・平沼翔太との2対2のトレードで佐藤龍世とともに日ハムへ。当時、西武は1軍の左投手がほとんどおらず(今もいないけど)、「木村を出してまで公文がほしかったのか!」と僕は驚いた。
さて、引退試合。夕方にゲリラ豪雨があって所沢はずいぶんと涼しかった。平日ということもあって前後左右誰もいない快適な環境で観戦。それでも後から発表を見ると意外に1万8千人は入っていたらしいからプロ野球は侮れない。
木村は4番ライトで出場。木村の打順では西武時代の登場曲が流れて、これにはうるっときた(繰り返しますが、木村は相手チームの選手なのです)。この曲をよく聞いたのは、コロナ前で、そしてそのころ西武は強かったのだ。西武には勝ってほしいんだけど、木村には打ってほしい、そんな複雑な気持ちになる。1打席目は凡退。
3回裏に、木村の守備位置がレフトに変更になる。木村は西武時代はライトばかり守っていたはずだが、と思ったものの、レフトスタンドが盛り上がっているのを見て、新庄監督の計らいで西武側のお客さん(西武ドームは3塁側が西武側)に木村を見せてくれたのだなとわかった。
そして2打席目、木村は初球をレフトに運び、ツーベース。木村らしいライナー性の鋭い打球だった。打った瞬間、球場は優勝したんじゃないかってぐらい盛り上がった。
4回裏、レフトの守備についたところで、新庄監督が出てきて交代。ベンチに下がった状態で交代ではなく、一度守備に出てから交代というのは、イチローの引退試合もそうだったけれど、いいものだなと思う。木村はレフトから3塁側ベンチの前を通り、西武の選手や首脳陣たちと握手を交わして自陣へと戻った。日ハムではそんなに活躍できなかったし、おそらく日ハムファンの思い入れもあまり(少なくとも西武ファンよりははるかに)得られなかったと思うけれども、こういう演出を自然にやってのけるあたり、さすがは新庄だと思った。
僕が大学進学で北海道に渡った年、日ハム球団が北海道へ移り、新庄がアメリカから帰ってきて日ハムの選手になった。同じ「北海道1年生」「北海道の同期」として、日ハムが名実ともに北海道の球団になっていく様子を見て、そこに新庄という存在がいかに大きかったかを目の当たりにしてきた。だからこそ、こういう天性のスターを日ハムは離さない方がいいと、余計なお世話ながら思うのであった。
試合は、こんなセレモニーをしながらも、テンポよく21時前には終わった。
木村とともに日ハムに移籍し、その後また西武に戻ってきた佐藤龍世がホームランを打ち、お立ち台に立った。
西武ドームでは木村のヒットで優勝したかのように盛り上がったけれども、大阪ではオリックスが本当の優勝を決めていた。僕はCS制度には反対なので、すんなりとオリックスと阪神が日本シリーズに進んでくれることを願う。
今年唯一の現地観戦。隣には、過去これまでにトータル10試合近く現地観戦して一度も負け試合を見たことがないという、驚異の勝ち運を持ったヒト(妻)が座っていた。
毎日観に行ってくれれば、西武は毎年優勝なんだがなあ。