7月19日 「I'm gone. I'm dead.」
ツール・ド・フランスを熱心に見ていると、2020年や2021年の夏の夜を思い出すことがある。夜中にツールを見終え、日記にレースのレポートをつけていた。2020年の第20ステージ、ラ・プランシュ・デ・ベルフィーユのポガチャルの大逆転劇、2021年の第4ステージ、カヴェンディッシュの復活勝利(勝利後に泣き崩れたカヴは、結局この年のツールで4勝を挙げた)など、震えるような思いでノートに文字をつけた日もあった。その時の光景が、すぐ先日のことのように思い出される。
2022年のツールも熱心に見ていた。けれどもその頃にはもう日記はつけていなかった。第11ステージのガリビエ峠でのユンボ・ヴィスマの波状攻撃からのグラノン峠のヴィンゲゴーの逆転劇も、そのレース模様を鮮やかに思い出すことができる。けれども、なぜだか「思い出され方」が、2020年・2021年と2022年とは異なっている。2020年と2021年にはあったレース後の短くない余韻が、2022年にはなかったからかもしれない。
2023年、7月18日の22.4キロの個人タイムトライアル、翌7月19日のクイーンステージ決戦の二日間は、過去の衝撃的なステージに匹敵する、レース後しばらく言葉を失うほどの、記憶に刻まれるレースだった。中継が終わりテレビを消して、「すごかった」とうわごとのように繰り返しながら、久しぶりに日記をつけてみようかという気になった。
7月19日(水曜日)
暑さは少しやわらいだけれども午前中から30度を超える。ここ数日38度を超える日が連発していたのでいくぶんマシとも言えるけれど、新陳代謝がよくないのか熱が体の内側に籠ってしまうので、時としてオーバーヒートしそうになる。
注文していた分厚い敷布団が届く。長く低反発の布団を使っていたけれど、へたってきて寝るたびに体が痛くなるようになってしまった。妻が使っていた分厚い高反発布団に試しに寝てみるといくらか痛みはやわらいだので、自分用にも買うことにした。ただし値も張る。これを買うためにCDやBlu-rayを売った。そうしたら何かが非常にいい値で売れた(何が高価だったのかは不明)のはうれしい誤算。
ツール・ド・フランス第17ステージ。今大会のクイーンステージ(大会中で最も厳しいとされるステージ)。
昨日の個人タイムトライアルはすごかった。それまでの選手のタイムを大幅に上回る総合2位のポガチャルを、総合1位のヴィンゲゴーが凌駕した。22.4キロで1分38秒のタイム差がついてしまった。レース前まで10秒だった二人の差は1分48秒にまで広がった。
タイムトライアルといえば2020年のプランシュ・デ・ベルフィーユの、ポガチャルがログリッチを大逆転した第20ステージを思い出すが、それに劣らない衝撃だった。何が起こっているのか、信じがたい光景だった。2020年のログリッチとは違い、2023年のポガチャルは他を寄せつけない速さだったのだ──ただヴィンゲゴーを除いては。
とはいえ差は1分48秒で、大きいけれども何が起こるかわからない。激しい攻防が繰り広げられるだろう。主役の一人がポガチャルであればなおさら。そんな期待を持って第17ステージを見た人は多かったと思う。
けれども、結果としてポガチャルは、少なくとも僕はこれまで見たことのない大ブレーキを喫し、勝負をする前にレースの後方へずるずると下がっていった。これは、2020年のツール以降、やることなすことうまくいっているように見えたポガチャルが初めて見せた、残酷なほどに決定的な敗北だった。
確かに去年のグラノン峠でも、ポガチャルはヴィンゲゴーに大きな差をつけられて敗れた(そしてその差はついに最後まで埋められなかった)。けれども、その時のポガチャルはガリビエ峠でログリッチとヴィンゲゴーの波状攻撃に無邪気に単騎で立ち向かい、一時は勝利を手中にしかけ、しかしその無邪気さが仇となって最後に敗れ去ったのだ。
戦って負けた2022年とは違い、今日のポガチャルは戦う前に負けた。この差は決定的で、戦わずに、というより戦えずに敗れ去る姿は、見ていて辛くなるほど痛々しいものだった。
後方に下がっていく際の無線は悲劇的なものだった。
(ポガチャルの言葉)I'm gone. I'm dead.
(監督からチームに)ADAM, ADAM fight for the podium. MARC always with TADEJ, always with TADEJ. ADAM fight ,fight for podium.
(ポガチャル)終わった。もう体が動かない。
(監督)アダム(総合3位につけているアダム・イェーツ)、表彰台のために戦え。マルク(ソレル)はタデイ(ポガチャル)と一緒にいろ。いいな、絶対にタデイの側から離れるな。アダム、お前は表彰台のために。
今年のツールの中継ではこれまでになかった取り組みとして、選手と監督間の無線を一部切り取って流している。しかしそれはほとんどが当たり障りのないもので、たとえば「がんばれ」とか「君は戦士だ」とかいった励ましであったり、「補給を忘れないように」といった忠告であったり、外向きのいまいち物足りないものに感じていた。それが突然、この生々しく残酷な内容が表に出て、背筋が凍るような思いがした。クライマックスにこの無線を流すためにこれまで二週間以上にわたって平凡な無線を流していたのではないかと思うぐらいだった。
結局、このステージだけでポガチャルはヴィンゲゴーから5分以上もタイムを失った(総合2位は守った)。レース展開的にほとんど力尽きていると思っていたソレルに引っ張られ、弱々しくゴールするポガチャルの後ろ姿や、ゴール後の憔悴しきった表情に、無性に悲しい気持ちになった。
昨日も今日も、ヴィンゲゴーがポガチャルから大きなタイム差を奪った。結果はそうまとめられるかもしれない。けれども、昨日はヴィンゲゴーが勝ち、今日はポガチャルが負けたのだ。昨日はヴィンゲゴーの異次元の走りに絶句し、今日はポガチャルの魂の抜けた姿に心を痛めた。この二日は、内容においてまったく違うものだ。タイム差という結果は、外に現れているだけにすぎない。
そういうことを、レース後に考えた。考えるうちに、2020年や2021年の、日記をつけていた日々を思い出した。また日記をつけてみるのも悪くないかもしれないと思った。当時よりはうまくやれる気がする。書いてもいないから信憑性はないけれど、なぜだかそういう気がした。