2022年に読んだ本 その3
(その2から続く)
『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史/光文社新書
かなり話題になった本のようで、僕が買ったのは初版1刷発売から約3ヶ月後に出た7刷だった。映画、あるいはテレビドラマやアニメなどを「早送り」や「飛ばして」観る人達についての論考だ。
いつだったか「映画館で映画を観られない人」についての記事を読んだことがあって、そこでは映画を観ている間に友人から何か連絡が来たりSNSで何か投稿があるんじゃないかと気が気でないから、という理由が語られていた(その記事でそう語っていたのはたしか男子大学生だったと記憶している)。たかだか2時間程度の話なのであって、社会はずいぶんと病的なことになっているのだなと驚いたのを覚えている。
同じように、映画やドラマやアニメを観るのに早送りや飛ばし見をするぐらいなら観なければいいのに、と思いながら本を読み始めた。本書では当人たちからいろいろと理由が語られ、著者による考察が行われる。頷けはしないが理解できそうな理由や、情状酌量あるいは同情の余地がありそうな理由が多かったが、正直なことを書けばどれもあまり気持ちのいい事情ではなかった。もちろんそれは早送りをする人たちだけの責任ではなく、そうさせているものがあるという理由が強いようだ。救いだったのは著者が早送りには懐疑的な立場であることで、「なぜこんなことをするのか知りたい」がベースになっているから、同じ立場で読むことができた。
『土を喰う日々』水上勉/新潮文庫
単行本の初版は1978年なので古い本だ。著者の水上勉が毎月、軽井沢の仕事場の畑で収穫した野菜を使い、料理を作り、食について語っている。
ひと月にひとつの章が設けられていて、全部で12章ある。水上勉は幼少期に京都の禅寺で修行し、台所の仕事をしていた。この本はそのときの経験がベースになっていて、料理は精進料理である。収穫できる野菜の少ない冬は乾物や貯蔵していた根菜などを使う。店に行けば何でも売っている時代に、「畑と相談」して工夫を凝らす。あるいは質素に見えるかもしれない。けれども、いまの世の中ではこれ以上に贅沢なことはないだろう。
2022年公開の映画『土を喰らう十二ヵ月』の原案になったのだそうです。
『虫眼とアニ眼』養老孟司・宮崎駿/新潮文庫
優れた文明批判という点では『虫眼とアニ眼』もおもしろかった。新幹線で移動中、手持ちの本がなくなってしまって(こういうのってすごく困りますよね)、たまたま妻が持っていたのを借りて読んだのだけれど、おもしろくて夢中になってそのまま読み切ってしまった。宮崎駿ってけっこう過激なんだなと痛快な気分がした。それにしても振り返ってみると、『のんびり行こうぜ』にしても『土を喰う日々』にしても『虫眼とアニ眼』にしても、鋭い文明批判を意図せず読んだ幸福な一年だったのだなあと後から気がついた。
『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』安達茉莉子/三輪舎
本を買うのにはいくつかのパターンがある。例えば好きな著者だからとか、誰かが紹介していたからとか、広告で見たからとか、テーマで検索したら出てきたからとか、読んだ本の中に関連書籍として出ていたからとか、ほんとうにいろいろだ。その中で「全然何の情報も持たず本屋で偶然手に取った」というパターンがあって、これはそのパターンだった。本屋イトマイで平積みされていて、その仮フランス装とシンプルな帯の美しい佇まい、魅力的なタイトルに思わず手にとってパラパラとめくりそのまま購入した。本文用紙は嵩高系で、個人的にこういう物理的に軽い本は好きで、こういう小回りの効いた造本ができるのが小さい出版社のいいところだと思う。
帯(裏)に「ZINEとしては異例の、シリーズ販売累計五千部を記録したエッセイ『私の生活改善運動』、待望の単行本化!」とあって、「ここで手に取るまでまったく知らなくてすみませんでした!」という気持ちになると同時に、「イトマイさん取り扱ってくれてありがとう!」という気持ちになった。こういうことがあるから本屋通いはやめられない。読書から偶然性を排してしまえば、おもしろさは何割も減ってしまうだろう。
どんな生活が幸せなのか、何が好きなのか、あるいは何が「実は好きじゃない」のか、じっくりと考え、生活を見つめる。読みながら、「うーん、そうだよなあ」と何度も思う本だった。本棚、作りたくなりました。