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8月19日(土曜日) 長かった帰省を終えて自宅に戻ってきた。 台風と大雨の影響で一昨日まで新幹線は大荒れ、土讃線も昨日まで運休があったから、無傷な状態で予定通り移動できたのはこの夏に関しては幸いだった。もちろん、計画を立てる時点では列車の運行状況なんて分からないから、無傷なのはまったくの偶然ではあるのだけれど。 夜10時に家に着くと、室内は34℃だった。ベランダのツルムラサキたちは予想に反して無事だった。 長期不在は家の心配がつきまとう。泥棒が入っていないかとか、火
8月14日(月曜日) 台風はだんだん西寄りの進路予測になっている。紀伊半島に上陸しそうだ。明日は新幹線で計画運休が発表された。帰省とそのUターンは他人事ではないので気に掛かる。 曇り空の中、散歩に出て小学校までの通学路を歩いた。このあたりは僕が香川を出てからものすごく宅地化が進み、田んぼがどんどん埋め立てられた。僕が通っていたころは田んぼの中に道が続いて、高台にある小学校へ上がる道が遠くからも見えたけれど、田んぼだったところに家が大量に建って、新しい道もできたので、小学
8月13日(日曜日) 墓参りをする。こんなところ車が入れるのかと思うような山道をMTの箱バンでぐいぐいと上り、三代前からの墓にたどり着く。とてもじゃないが僕は運転できない。歩いて行ってもよさそうな距離なのだけど(そしていい運動になりそうなのだけれど)、当たり前のように車に乗り込む。そしてそんな場所に家があって当然のような顔をしてワゴン車が停まっていたりするから、うーむ侮れない。 こうしてお盆の勤めを果たす。 マニュアル・トランスミッションこぼれ話。 香川の人は「マ
8月6日(日曜日) 台風6号は太平洋から沖縄本島方面へ向かったと思ったら、沖縄を過ぎてからくるりと向きを変えてUターンして、さらに方向を北へ転じて九州へ進むという予測が出ている。動きが遅い上に暴風域が広い。この奇妙な動き方は、自然の機嫌ひとつで人間なんてどうにでもなってしまうのだぞと、台風に言われているような感じがする。 9日に新幹線で西進するつもりでいたのだけれど、どうも雲行き(文字通り)が怪しい。いまだルートも速度も予測にかなりバラツキがあるものの、そのころの交通に
8月5日(土曜日) 6月24日、祖父の墓参りに行った帰り、腕時計が止まっていることに気づいた。電池式で時々電池が切れるのだけれど、まだ切れるには早すぎる気がした。蒸し暑い日で、ガラスの内側が結露しているようにも見えた。家に帰って電池を交換しても、秒針が動くことはなかった。 15歳の3月、高校の合格発表を父と見に行って(合格していた)、菊池寛通りのステーキ屋で一緒にステーキを食べた。そのまま当時瓦町駅にあったそごうの時計屋で腕時計を買ってもらった。それ以来、22年間、僕は
8月2日(水曜日) さいたま新都心の紀伊國屋書店で町田洋9年ぶりの新刊『砂の都』を買う。この人は寡作なのだ。外はたいへんな暑さで、駅からコクーンまでのわずかな屋外区間だけでじりじりと日に焼ける。 それから大宮へ向かう。通っていた病院がガス爆発で休院してしまったので代わりの病院へ行くため。やれやれ、長い通院の間にこんなことになるとは。大宮の病院は広くて感じが良くてシステマティックで、医師は少し僕に同情してくれた。 駅へ行ってみどりの窓口に並ぶ。最近はみどりの窓口の数がぐ
7月31日(月曜日) あれは僕が結婚して仕事もせずにふらふらしていたころの話なので、2017年のことだと思う。前に勤めていた会社の同期の結婚式に呼ばれて新潟に行った。記憶だと三条に向かったはずだが、もしかしたら新潟市だったかもしれない。この時期は体調が悪く、はっきり覚えていること以外は記憶が混濁している。 神社での式、結婚式場での披露宴を終え、二次会へ向かった。会場はちょっとしたレストランの貸し切りだった。着いてから会が始まるまで少し時間があったので、僕は別の同期と置い
7月29日(土曜日) 猛暑というには暑すぎる。日を追って暑さが増し、体もダメージを受けている気がする。日差しを浴びると露出した肌がチリチリと焼けるのを感じる。 2020年、コロナの初年度から、夏の土用にうなぎを買って祖母と一緒に食べるのを続けている。うなぎは祖母の好物だ。僕自身はうなぎは好きでなかったので最初は付き合いだったのだけれど、だんだんおいしいと感じるようになってきた。 近所のスーパーに行くと、明日が丑の日なので大量にうなぎが並んでいる。今年のはいつもより出来