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『ビルド・ア・ガール』(’19・英)【90’sUKロックシーンを背景に、ひとりの少女の“自分作り”を描くエンパワーメント・ムービー】

失業者の急増で不景気にあえぐ1993年のイギリス。ウルヴァーハンプトンに暮らす女子高生ジョアンナ・モリガンは、飽くなき探求心と底なしの想像力に満ち溢れた16歳。両親と兄弟との7人暮らしで決して経済的にも恵まれた環境ではなく、学校でもイジメを受ける冴えない生活を送っていた。しかし、ひょんなことから応募した大手音楽雑誌「D&ME」に仕事をもらい、ロック・ミュージックの世界に傾倒していく。髪の毛を赤色に染め、奇抜なファッションに身を包んだ駆け出しの音楽ライター“ドリー・ワイルド”として生まれ変わり堅実に仕事を重ねるが、やがて人気アーティストのジョン・カイトの取材を担当したことから彼女の運命は大きく変わっていく。

「イケてない女子高生がロックを通して表現活動を始め、自らのアイデンティティと向き合っていく成長物語」と表現するとありふれたティーン向けの作品に聞こえるが、本作は自分探しを始めてしばらく時間が経った大人たちにこそ、より深く刺さるエンパワーメント・ムービーだ。

なんといっても音楽が物語の中心にあるのが楽しい。今から28年前のイギリスといえば、マッドチェスター、グランジ・ロックなどの音楽ジャンルが生まれては廃れていき、新たなブリット・ロック(オアシズやブラーの誕生前夜)という旋風が吹き始めていた時代。挿入歌もハッピー・マンデーズ、プライマル・スクリーム、ステレオMC’Sなど、当時の音楽シーンを知る人にとっては、聴くだけでノスタルジックになること間違いないトラックリストになっている。
ミュージカル『アニー』の「トゥモロー」を愛してやまない健全な文学少女が、ウェールズ出身のロックバンド・マニック・ストリート・プリーチャーズのライブで初めてロック・ミュージックを体感し、そのパワーと自由度に圧倒されて生まれ変わるところから始まり、彼女は1音楽ファンとしてロックの魅力に取りつかれていく。ロックに限らず、人生の中で一度でも音楽に影響を受けた経験がある人は、ジョアンナがどんどんその世界にハマっていく過程に大いに共感できるだろう。
大人だらけの音楽業界で思いがけないチャンスをもらい、ペンとメモを片手に単身ライブ会場に乗り込みレビューをまとめる、まだ16歳のジョアンナ。誰しも若い頃、大人の世界に少し触れて“背伸び”したという経験はあるはずだが、あのときの高揚感や優越感は、大人になるとつい忘れてしまうもの。ジョアンナのステージを眺めるあのキラキラした眼差しからは、そんな若いきらめきや、「素晴らしいものをありのままの自分の言葉で届けたい」という純粋な感情がほとばしっており、それもまた我々の胸を打つのだ。

しかし、彼女の音楽ライターとしてのキャリアは、ジョン・カイトというアーティストとの出会いで一変する。『ゲーム・オブ・スローンズ』シリーズで一躍人気者となったアルフィー・アレン扮するこの架空のアーティストは、音楽的才能だけではなく人柄も秀でており、若いジョアンナを優しく包み込む。インタビューアーとアーティストの関係を超えた絆が2人の間に芽生え、ジョアンナはたちまち彼に恋してしまう。音楽批評どころか彼への恋心をそのまま記事にしてしまい、客観的な視点を欠いた彼女の“ラブレター”は編集部からダメ出しを食らってしまう。「生き残りたいなら、全て蹴散らせ」という上からのアドバイスをきっかけに、彼女は自らの音楽体験をありのままの形ではなく、毒舌表現で非難する辛口評論家に転身する。クイーンやジョニ・ミッチェルなどの大御所アーティストまでもこき下ろすそのスタイルが面白がられ、一躍学校でも会社でも人気者になるが、いつしか彼女はただ話題を集めるための中身のない記事を発信し続けることに固執するようになり、やがてそれは大失敗へとつながる。
“背伸び”することは時に大切だが、その状態をずっと保つことは難しく、空回りしかねない。華やかだがカネと欲にまみれた音楽業界での日々は、ジョアンナという少女を形成していた家族との絆や音楽に対する素直な心、そして大切なジョン・カイトとの関係までも破壊していく。若さゆえに失敗することは誰しもあるが、他の人よりもちょっと高いところにいたからこそ、ジョアンナの転落ぶりはかなりのもので、16歳にして人生のどん底に突き落とされてしまう。

しかし、この展開にこそ本作の最大のテーマが集約されており、タイトルにもなっている"どのように少女を作るか(≒自分作り)"(How to build a Girl)の本当の意味を我々に教えてくれる。ずっと“自分作り”に悩み続けていた彼女だったが、皮肉にもありのままの自分でいることこそが何よりも大切であると学んでゆくのだ。主演のビーニー・フェルドスタインはインタビューの中でこう語っている。「『ありのままの自分を、相手が受け入れるか受け入れないか、どちらかなのだから』ということです。相手に合わせて自分を変える必要はなく、そのままの自分をちゃんと見せることで、自分が相手にとって『愛すべき人』として現れると考えるようにしたんです」。取り繕った自分を受け入れてくれる場所(本作で言う出版社の上司たち)よりも、ありのままの姿を受け入れてくれる場所(家族やカイト)こそ、自分にとっての財産になる。
この答えに行き着くのは誰にとってもそう簡単ではないが、それまでに多くの経験を得たからこそ分かること。映画の最後に、ジョアンナが突然観客に直接語りかけてくるモノローグがあるのだが、自分を見失ってきた彼女が失敗を乗り越えて語るその言葉には説得力があふれ、いくつになっても自分を取り戻すのは遅くないというメッセージを届けてくれる。

役作りにあたり、ビーニーは本作の舞台で原作者のキャトリン・モランの出身地でもあるウルヴァーハンプトンに滞在し、風土からブリティッシュ・アクセントまでを完璧に習得したという。ちょうど本作の設定である1993年生まれの現在28歳ながら、16歳の役を演じているのには驚きだが、1ミリも違和感なく等身大の少女のアイデンティティ探しの物語を演じ切っており、彼女の初主演作として相応しい1本となった。

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