大道芸人宣言 オリジナル 1993年夏 ❾/十一分割
一昨年アムステルダムを訪れた時、現地の芸人からそこでのルールの説明を受けました。この広場には2ヶ所、同時進行で芸をやれる空間を設定してある。早く来た者から順に、1回30分見当で芸をやる。30分見当のセット(set)に芸を収めきれない、例えば私が「バルセロナ方式」を取る場合や音楽家達の場合には、この広場でなくこの先の電車通りの方でやる…。
アムステルダムは大道芸地図の上では英語圏です。観光地ですから、商店の売り子、ホテルの従業員などだけでなく、大道芸人の口上も英語になります。英語を武器とする英米加豪等の芸人がヨーロッパ大陸で最初に上陸するのは、ここが多いのだろうと思います。ヨーロッパ大陸の大道芸と英語圏の大道芸の接点の役割を果たしているのかも知れません。それで、色んな大道芸人が行き交うここでは、早くからこのようなルールが生まれたのだろうと推測されます。
大道芸人たちの間にこのようなしっかりとしたルールがある、このことにも感心しましたが、一番感心したのは、このルールは法律ではない、自分たちで勝手に取り決めたことだ、このルールを守らなくても君を罰しはしない、君がこのルールを尊重してくれることを期待するのみだ、自分達は警察官ではない、という結びの文句でした。ここに私はヨーロッパの大道芸人のモラルの高さを見た気がしました。
それでも、この夜遅くやっと私の番が来た時、当地のまだ若い二人組の芸人が、当地初お目見えでまだ押しのきかない私の順番にわりこんできて、あまりさえない芸を延々とやって帰るなどのこともありました。芸の良し悪しとモラルの高さとは何か関係があるのかも知れません。
この日、海のものとも山のものともつかない私にアムステルダムの大道芸人たちの間のルールを教えてくれたのが、のちに野毛で再会し、静岡で「ワールド・カップ」を共に闘い、そして高い人気を博すことになるフライング・ダッチメンのひとりだったのです。
実はこのフライング・ダッチメンが、先日2日間だけ、ここアヴィニョンに立ち寄りました。アヴィニョンは初めてだそうです。一度、二組同時に斜(はす)向かい合わせで芸をして、客を奪い合い、「金の奪い合い」をしました。これが本当のコンピティション(real competition)です。私達のコンピティションに審査員は必要ありません。結果、私が負けはしませんでしたが、6-4でフライング・ダッチメンの方に分があるようでした。しかし相手は二人組です。頭数で割れば、私の勝ち、と言ったところです。
日本に伸びのびと大道芸のできる広場や散歩道のできることを、私は願っています。響きの良い地下道や街角が音楽家達のために開放されることを願っています。しかし、本当はそこから先が長いのだろうと思います。大道芸をやる人、大道芸人を名乗る人の数は急速に増えるでしょう。しかし、そのために、私たちが今まで十分な闘いを積んできたのでしょうか?そうではなくて、それは別の第三者の別な思惑、「企画」によって生まれた、根の浅いものなのではないでしょうか?私たちはまだ十分闘い「訓練」されてはいないのです。
そういう私達が、人から与えられた「自由」を本当に自らのものとして、大切に守っていけるでしょうか?大道芸人同士の本当の連帯意識がそこで育つでしょうか?外国人大道芸人たちと仲良くやって行けるでしょうか?或いは、外国人大道芸人たちと格式のある「喧嘩」ができるでしょうか?私たちの間にしなやかな「ルール」が芽生えるでしょうか?さらに、大道芸人たちの社会に対するモラルは、そこで保てるでしょうか?本当に人々の生活に根づいた大道芸文化が、そこに生まれるでしょうか…….?等々、考えればきりがありません。
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ここで、大道芸を愛する皆さんにお願いがあります。今、新たに生まれ変わろうとしている日本の大道芸文化がどのようなものになるか分かりません。表面は華やかでも、その中で大道芸の生命が段々と失われて行くような性格のものかも知れません。そういう日本の大道芸文化も、世界の様々な大道芸文化のあり方、姿のひとつにすぎない、ということを皆さんには知っておいていただきたいのです。そして、皆さんには、日本の新しい大道芸文化をひとつの入り口として、むしろそこを越えて、世界の大道芸文化を見つめ、愛し、支えていただきたいのです。
また、このお便りでは触れることができませんでしたが、日本の各地のお祭りの中には、ガマの油売り、薬草売りなど、日本の古くからの大道芸が脈々と生き続けています。日本の各地を転々と渡り歩く大道芸人たちが、今もいるのです。この方々のいわゆる「タンカ売」には、道端で「芸」を売ることが禁じられた時代に、「芸」を使って「物」を売るようになった、そういう歴史のひだが刻まれているのだと、私は聞いています。こういう諸先輩の中には、同じ「大道芸人」を名乗る者として、やはり一目置かざるを得ない、と感心させる方がいます。
私はこの方々の世界をよく知りません。日本の歴史と社会の色んなしがらみを背負って生きておられるのだろうと思います。この方々と私たちとが、今生まれようとしている日本の新しい大道芸文化の「枠」の中で連帯したり、或いは渡り合ったりして行けるものかどうか、私には分かりませんが、この方々の芸も、やはり世界の様々な大道芸のあり方、姿のひとつなのだということだけは、決して忘れてはなるまいと思います。
毎年夏の旅を終え帰途につくときには、ホッとすると同時に、東京の街はどうなっているだろうか、また一段と取締りが厳しくなっているのではないか、この秋、冬、春をなんとかくぐり抜け、生きのびて行けるだろうか、そして来年もまた、無事ニューヨークに向け旅立てるだろうか…等々、憂ウツな思いが伴います。私は今、34歳で、まだ長い人生を大道芸人としてやっていかねばなりません。いつか希望に満ち、意欲に満ちて、わが地元「日本」への帰途につけるような日がくることを、願ってやみません。
≪大道人宣言 オリジナル 1993年夏 ❿/十一分割、に続く≫
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