僕の、新しい旅の始まり、一九九八年・夏 ❸/六分割

(注:括弧〔 〕は漢字の振り仮名、また欧文の振り仮名の指定。)

 Ⅲ

 ひとつだけ、どうしても忘れられないことがあります。僕は、インド人の豆菓子売りのおじいさんに、たいへんにひどいことをしてしまったのです。このことは、もっと繰り返し繰り返し反省し、心を整理しなくては、とても上手にお話しできそうにないのですが…。

 僕は、このおじいさんにたいへんにすまないことをしたと思い、そして、たいへんに感謝をしてもいるのです。二年前から僕の世界観は変化を始めた、唯物論〔ゆいぶつろん〕に留保をつけて考え始めた/心というのはあるのだ、心はものに宿るのだ/僕の大道芸のこと、そして、バルセロナ・サグラダ・ファミリア(聖家族教会)のことをお話ししました。この、僕にとってはまだ新しい感じ方・考え方を、このインド人 の豆菓子売りのおじいさんは、改めて確認させ・反省させ・感謝させてもくれたのです。胸が、痛みます! どういうことをしてしまったか…。

 先ず、僕は、このおじいさんの大切な商品の豆菓子に、足をかけてしまったのです。故意にやったのでは勿論〔もちろん〕なく、僕は、このかわいらしい・小さなおじいさんの一所懸命! 働いている姿を、是非ゲルニカの構図に収めたい。それで、おじいさんの露台〔ろだい〕に横ざまに張りついたとき、裸足〔はだし〕の片足が露台の面より高いところ、商品のところまで上がってしまったのです(何かで足をはたかれた? ような気がした)。そして、観客のひとりにそれをやらせたら、今度は、本当に靴先が豆菓子のビン壷〔つぼ〕に当たってしまった! 物静か・物柔らかだった、インド人 の、かわいらしい・小さな豆菓子売りのおじいさんが、本当に、激怒した! あんまり突然、あんまり真剣に怒り出したので、観客たちは大笑い! でも僕は、本当にびっくりしました、青ざめました。

 ― I'me sorry! But it's not my fault. His fault!

〔― アイム・ソーリー! バット・イッツ・ノット・マイ・フォールト。ヒズ・フォールト!〕

 僕は、客のせいにして見せた。いかにも芸人くさい・小気味よい・こずるいやり口! これが、客たちにまたひとつ(意外と)受けた。おじいさんは、いまはもう怒っているというよりも、人の足のかかってしまったお菓子を、それでも人に売り続け・売りさばかなくてはならない、そのことだけが心底悲しげなふうに/そして、おかしなことに、お菓子は今度はとぶように売れ始めたのです!/そして、やっぱり心の底から怒って・諦〔あきら〕めきっているふうに、うつむいて、黙々と働き続けている…

 (これは、あとではたと思いあたったのです。そういえば、初め挨拶に行ったとき/「…これからここで、一時間だけ、仕事をさせてもらいます…」/僕の飲みさしのテイクアウトのコーヒーを、地べたには置かせずに、自分の椅子〔いす〕のわきのところに置いてくれた)

 …このおじいさんは、ただお菓子を売っていたのではないのです! お菓子を、人の口にするものを大切に、守って/心をこめて/心で清めて売っていたのです。自分の商品でない僕の飲みさしのコーヒーさえをも、大切に思ってくれていたのです。この人は、自分の小さな・ささやかな仕事を・役目を本当に大切に/ものを・人を大切に/世界を本当に大切に、心をこめて生きているのだ! そんな世界に、僕は足をかけてしまった、心に、足をかけてしまった… 僕は、まだ(本当には)十分事態が呑〔の〕み込めず、でも、ものすごく反省し始めていました。何と言って謝ろう? もう取り返しはつくまい! 全てが終わったのだと思えたとき、僕はもう一度だけおじいさんのところへ行った。そして、今度は正真正銘〔しょうしんしょうめい〕の日本語で、

 ― おじいさん、(さっきは)ごめんなさい!

 おじいさんは、このとき初めて働く手を止めて、目を上げて、それからニッコリ笑ってくれた。本当に、びっくりしました! 聖者のように綺麗〔きれい〕な目をして、そして、僕のおしろい・土や埃〔ほこり〕で汚れた右手に、握手までしてくれた。

 ― さようなら!

 これも日本語で言いました。そして、預けておいたテイクアウトのコーヒーに手を伸ばしかけたとき、僕には初めて、全てが明らかになり始めたのです…。

 一九九八年六月二十三日 アムステルダムにて

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