サグラダ・ファミリア (聖家族教会) 二〇一〇年四月 ~ 二〇二〇年十月

[縦書き発表用]

(注:括弧〔 〕は振り仮名の指定。

 Ⅰ

 十九世紀の末に始まり現在もまだ建設中の聖家族教会、サグラダ・ファミリア/バルセロナ/スペインのところどころには、既〔すで〕にして、夥〔おびただ〕しい数の訪問客たちの落書きが残されているという。中に、日本語の落書きもあって、そのことを同胞として深く恥じる、という趣旨の旅行雑記を読んだことがある。

 「サグラダ・ファミリアの落書きは日本の恥! 世界の恥!」

 僕はその落書きをしかと見てはいないが、しかしこの記事を読んで改めて感心したのは、そんな落書きや建設の難航をことさら糊塗〔こと〕せず、おおらかに完成していくように見えるサグラダ・ファミリアと、この、スペイン人たちの神経、感性だ。建築途中の落書きだらけの、 継〔つ〕ぎはぎだらけの教会を、堂々と公開している。むしろ、愉快〔ゆかい〕だ。

 ところが最近、優秀な日本人建築家が長〔おさ〕になってから、この教会の建設速度が一気に上がり、それまでの大方〔おおかた〕の予想を覆〔くつがえ〕し、サグラダ・ファミリアは今〔こん〕二十一世紀中のかなり早い時期にも完成する見通しと聞く。これを、却〔かえ〕ってつまらなく思ったのは、僕だけ…?

 僕は、いつか僕の亡〔な〕きあとも、まだまだ建設途上にあり続けるのだろう、サグラダ・ファミリア、というイメージに 励まされながら、毎夏〔まいか〕、十年以上、バルセロナで仕事をしてきた。或る年々〔としどし〕は、毎日、宿からそこまでランニングをし、周囲をひと巡〔めぐ〕りだけしてから、宿に戻り、それから仕事場へ向かう。昨日〔きのう〕も、去年も、一昨年〔おととし〕も、サグラダ・ファミリアは同じに見える。 ところが、五年、六年、七年、八年…と経〔た〕ってみると、或るときから、確かにサグラダ・ファミリアは変わり始めている。完成に向かっているのだ。そして、その完成を、僕が見届けることはないのだ。建設を始めた人々の、誰一人として、今のこのサグラダ・ファミリアの姿を目にすることのなかったように。それでいい。 僕もまた蝸牛〔かたつむり〕のようにゴールの遥〔はる〕かな、同時にそこがいつでもゴールでもあるような生き方、死に方、仕事をしよう。

 ***

 そうして日本に帰って来て、ときに、本当に先の見えない、絶〔た〕え入るような季節季節を過ごしてきた…。

 Ⅱ

 懐かしい真夏のバルセロナ、ランブラス通りでも、真冬の渋谷、ハチ公広場でも、僕の心の背景には、いつも未完成のサグラダ・ファミリアが建っていたように思う。

 ときに靄〔もや〕がかかり、遠くかすみ、気がつくと、倒壊しかけもし…。

 いや、でもまだ、建っている。結局、まだまだ、建ち上がり続けている…。

 僕の仕事は、人生は、世界は、僕が死んでも終わらない。サグラダ・ファミリアは、世界は、そして宇宙は、いつでも建築途中の、それでも立派な作品なのだ。落書き、傷跡、継ぎはぎだらけの作品なのだ。

 僕の作品を、仕事を、人生を、僕一人で完成しようとすまい。世界の真〔ま〕っ只中〔ただなか〕で世界と揉〔も〕み合い、軋〔きし〕み、睦〔むつ〕み合いながら、紡〔つむ〕ぎ出し、織り上げていこう。

 ときには、破れかぶれにもなろう…。

 Ⅲ

 僕の大道芸、サグラダ・ファミリア、そしてこの宇宙が全部、 近代演劇/近代芸術/近代文化…教育へのアンチテーゼ、小学校の図書室の書棚に並んだ偉人たちの伝記本へのアンチテーゼ、人格、或いは道徳思想、個人崇敬、英雄主義への、はたまた大道芸ワールド カップ、あらゆる勲章・文化賞・文学賞、ノーベル賞へのアンチテーゼ。

 世界に、宇宙に悟りの光が現われるまで、僕にも悟りは現われない。

 (…僕の人生は、そして世界は、僕一人の手には負えない、手に余る代物〔しろもの〕…)

 これを菩薩道〔ぼさつどう〕の定義とする。

 今日〔きょう〕のこの軽佻〔けいちょう〕、酷薄〔こくはく〕、吝嗇〔りんしょく〕の客たちと僕も一緒に修羅〔しゅら〕、畜生、餓鬼、そうして地獄へ堕〔お〕ちて行く。そうして輪廻〔りんね〕する。僕一人仏〔ほとけ〕になろうとすまい、なれない、という意味だ。

(初稿脱稿2010年4月/最終加筆2020年11月)

注)本作品の原文を、「大道芸人、雪竹太郎氏からの手紙(取材・執筆: ドクガクテツガク編集部 かな子)」の一部として、取材・執筆・編集者が加筆の上、web雑誌ドクガクテツガク誌上に発表(発表年月日不明)。その際の原文に、雪竹太郎自身が後日、後年推敲を重ね、ここに改めて公開する。


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https://note.com/tarafu/n/n6db2a3425e5c


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