大道芸人宣言 オリジナル 1993年夏 ❹/十一分割
Ⅱ.日本の大道芸事情
私がこのような旅を始めたのは、ひとつには、いずれ日本では大道芸ができなくなってしまうのではないか、という危惧を持っていたからです。実際、そのようになってきております。今年東京を発つ前にも、上野公園から大道芸人たちと路上商たちとが締め出された光景を、私は目にしております。もともと日本では大道芸という職業は法律上成り立たない、或いは成り立ちにくいわけで、私も警察とのトラブルは何度も経験していますが、ことに「平成2年」の現天皇即位式の前後から、東京の街頭管理はまた一段と厳しくなってきたように感じています。
そこで、国境の外に私の新しい仕事場、生活の場を開拓する努力と併行(へいこう)して、日本にいる時には新聞投稿をする、苦手なマスコミの取材にも前向きに応じる、また議員に手紙を書くなど、割と手当たり次第に私たちの窮状を訴える努力をしてきました。日本で大道芸人としてやっていく時に突き当たる困難は、海外で大道芸人としてやっていく時に味わう苦労とは質が違うのです。
ところが、昨年秋の「大道芸ワールド・カップ in 静岡」あたりから、「日本の大道芸」は、またひとつ新しい問題を突きつけられてしまったようです。
例えば、今年4月から静岡市が、市の管理地の一部を大道芸のために開放しました。また福岡市のある企業の所有地が、或る大道芸人の努力で、やはり大道芸のために開放されたという情報を、この旅の途上で得ました。このような動きは今後ますます拡がっていく可能性がありますし、私たちにとって、先ずは喜ぶべきことに違いありません。と同時に、大道芸が「お墨つき」になる、大道芸人が与えられた「枠」や「企画」の中に入っていくということはどういうことなのか、改めて反省しておくべき時期が来たのではないかと思います。
ことに気にかかるのは、テレビを中心とするマスコミの大道芸に対する関心の示し方です。もともと大道芸文化はマスコミ文化とは折り合いの良くない、いわばミニコミ文化だと私は考えています。ところがマスコミの方は、私たちのこれまでの活動のありかた、さらには大道芸の根本までをもゆがめかねない恐ろしい力を持っている、と考えるべきです。
今までの私たちの活動には一切公的な認可がなかったかわりに、たまたま街角で出会った者同士(観客と芸人と)が共感し合えるものであれば、何をやってもかまわないという自由がありました。その場限りの観客以外の第三者の認知を得たいなどという色気のない、無欲な演技ができました。実際、色んな悪条件を抱えてやっていたわけですから、色気を出している暇もなかったのです。酔った観客の悪ふざけや不見識な若者グループの妨害行為、また大道芸に反感を持つ人の警察への通報などによって簡単にくずれてしまうもろいものであっただけに、芸人と観客、さらに通行人との間の相互尊重、相互理解だけを頼りにやってきました。道交法その他の法律や条例にたとえ違反していても、人間の高度な社会性に根ざす行為なのだと信じてやって来ました。「大道芸は無くならない!」警官の世話になる度に、この言葉を胸に刻んできました。そして、与えられた場が無かった分だけ、普段は何でもない道端に人垣を作り、ドラマを作る力量が、私たちには何より問われました。そういう私たちのあり方が、これから少しづつ変わっていくのだろうと思います。
私たちが今迎えようとしている新しい事態に対する心構えが、私たちには十分できているだろうか….? 大道芸とは何か、が自分でも本当に良く分かっているのだろうか….?
「お墨つき」になるということは、当然その「枠」からはみ出してしまう芸人も出てくるわけで、芸人でも観客でもない第三者のたてる基準に従って、大道芸人の選別・差別が行われることになります。例えば、火を使ってはいけない、動物を「虐待」してはいけない、裸はいけない、金の集め方はこうでなくてはいけない、芸には「品位」がなくてはいけない…等々。(これは、アヴィニョンで弱肉強食のルールに従って芸人同士のくい合い、生存競争が行われているのとは質が違うのです。場合によっては、もっとたちが悪いのです。)
今年2月に初めて訪れたオーストラリアのゴールド・コースト市は大道芸に対して手厚い市で、私が訪れた時にはちょうど、市の大道芸広場がより大道芸をやりやすいように改修工事中でした。雨が降ってもよいように屋根をつけるとかで、他にも、ここには芸人のための宿所が用意してあります。その代わり、ここに大道芸人が入って行くには、市役所に属するディレクターに「非常に優れた」大道芸人であることを認められ、証書を交付されなければなりません。小さな広場なのでシーズン中は一度に多くの芸人を容(い)れられない、おだやかな観光地としては芸人同士の「無用な」トラブルは避けたいという配慮もあります。〔これは大道芸を責任を持って受け入れようとする「地元」の論理ですので、私どもとしても或る程度尊重しなくてはなりません。〕
ただし、この場合、「枠」の中に入れてもらえる芸人と「枠」の中に入れてはもらえない芸人との連帯をどのように維持していくか、が新たな問題となります。
日本の場合、テレビを中心としたマスコミ文化のあり方が、この問題をいっそう難しいものにするだろうと思います。〔つまり、「地元」の論理の上に「中央」の論理がかぶさってきて、問題がややこしくなるのです。〕例えば、マスコミ文化の階段を登らんがために与えられた「枠」の中で大道芸を始める人たちが、必ず出てきます。それはそれでいいのでしょうが、私はこの手の「芸術家」が好きではありません。この手の人たちは大道芸そのものを愛しているわけではないので、第三者(地元、警察、マスコミなど)による大道芸人の選別・差別、さらには排除にまでも、平気で手を貸すからです。これは実際に私が東京で経験したことなので、断言してはばかりません。
そして、昨秋の「大道芸ワールド・カップ in 静岡」では、「枠」の中に入ってきた大道芸人たちを、今度はさらに、様々にランクづける試みまでなされました。この試みを短絡的に否定するつもりはありません。しかし、それはNHKテレビや静岡市などの事情によるものではあっても、私たち大道芸人にとって必ずしも愉快なものだったわけではないことを、先ず皆さんには知っておいていただこうと思います。また、静岡の「枠」の中で例え「世界一」であっても、本当に「世界」に出て行ったとき、例えばニューヨークでは「一流半」でしかないことやバルセロナでは「乞食芸人」でしかないことがある、ということも知っておいていただきたいのです。「大道芸の世界一」というのは、実は、「日本国内」でイベント活動をする時などに意味を持つだけのものなのです。
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