大道芸人宣言 オリジナル 1993年夏 ❺/十一分割
モロッコ・マラケシュの大道芸をテレビで見ました。乞食の寝とまりするような広場でした。少年がえびぞりになってちょこちょこ歩きまわっていました。「サーカスに売りとばすゾ!」という、最近聞かれなくなった言葉を想い起こさせました。大人が客をどなりつける調子で口上を言い、金を集めてまわっていました。私たち「文明世界」の大道芸人はとてもここには這入(はい)っていけない、たちうちできないだろうと思いました。
しかし、モロッコの大道芸人が海を渡って、ポンピドー・センター前広場に現われることがあります。観客の何人かに魔法をかけて、男女の性転換をするのだそうです。もちろん、さくらを使います。金を集めてまわる仕事を、「立派な」なりの観光客数人に、無理やりやらせます。人を楽しませているのか脅し取っているのか、もう見分けがつきません。他の芸人が来ても場所をゆずろうとはしません。こういう芸人とやり合っていく時には、「好感度」も「オリジナリティー」も「世界一」もあまり役には立ちません。大道芸人は皆、その時その時その場その場を、なんとか自力で切り抜けていくしかないのです。次の日私は早く行って、その場所を押さえました。後からやってきて今度は、交代でやろうと言い出します。節操のないやつです。これも大道芸人のひとつの姿なのです。こういう大道芸人と同じ土俵で渡り合って行かなければならない時、それもまたひとつ大道芸人の姿になるのです。
大道芸人の姿は、その芸人がくぐりぬけてきた社会、そして今向き合っている社会を映し出しています。「大道芸ワールド・カップ in 静岡'92」の総括の中で一番多く聞かれた言葉に、それぞれジャンルの違う大道芸を審査し甲乙をつけるのは難しい、という言葉がありました。これはまだ事の本質をついてはいません。それぞれの芸人がくぐり抜けてきた社会、それぞれの芸を育んできた社会に点数をつけようとすることが、可笑(おか)しいのです。日本のように大道芸に対して不寛容な社会で、欧米のようにやる方も見る方もゆとりを持って楽しめる芸が生まれ、育ちにくいのは当然です。そこの問題に目をつぶっておいて、芸の表面だけ切り取ってきてきれいな「額縁」に入れ点数をつけようとするから、不満が出るのです。そこを棚上げしておいて、もし日本人大道芸人の「レベルが低い」とするなら、それは、実は日本の社会の「レベルが低い」ということなのでは無いでしょうか? そして、「レベルの低い」社会で大道芸の審査をやって「世界一」を決めようというのですから、考えてみれば、これはもっての他の話なのではないでしょうか?
私たちの芸には、たしかに外国人大道芸人のようなゆとりはないかも知れません。その代わり、私たち日本人大道芸人は、◯◯百貨店のガードマンが何時何分と何時何分にここを通る、あの太っちょのガードマンはたちが悪い、交番のおまわりさん達の勤務体制はこうだ…など、日本の大道芸人として不可欠の知識は、どんな外国人大道芸人にも負けません。折角、この日本で大道芸の審査をするのなら、着がえの速さ、逃げ脚の速さなども、是非審査対象にして欲しいものです。そして、捕まった時にお巡りさんを怒らせないにはどうしたらいいか、始末書の書き方を知っているか、救援連絡センターの電話番号をきちんと言えるか…等々。
そして「世界一」を言うのなら、かせいだ小銭を紙幣に替える作業の上手下手、格安航空券の入手の仕方、行った街行った街のたたずまいに合わせて芸のやり方を変える能力、芸の上で何か国語を使いこなせるか…等々も、いかがでしょう?
大道芸は「額縁芝居」とは違うのです。人々の社会生活の真っ只中、私たちが今、生きているこの「世界」の真っ只中で、それと四つに組んで、そこに或るドラマを織り上げているのです。こういう大道芸人の社会との関わり方、「生活」の仕方、またそれぞれの芸の中身と街の風景との密接な関係などを知らずして、「大道芸」を語って欲しくはありません。
私は10年前、生まれて初めて大道に立った、まさにその日、あっという間に交番に持って行かれ、まだ若い演劇青年としては縮み上がらざるを得ないような取り調べを受けてから、約10年間ずっと、「警察」とか「権力」とかいうものを意識せずに大道芸をやったことが、ありません。日曜日の表参道でした。「歩行者天国」でした。交番に連れていかれる時どこかのおばさんが、可愛想に!と言って300円くれました。これが、私が生まれて初めて大道芸で手にした「お金」でした。初めてのその日、初めての冒険でしたのでボディ・ガードに、と頼んだ友人が、待ち合わせの時間に少し遅れました。ハチ公広場でポーッとしている間に中核派かなにかの新聞を買わされました。持ち物検査の末これが見つかり、取り調べが長びきました。私の演劇ノートの表紙に「暴力」という単語が書いてありました。これがもうひとつ、取調べを長びかせました。それからは、ただ買い物に街にでた時でも、交番の前を通るときや警官とすれ違うときにはつい身構える習慣がついてしまいました。
私が「警察」とか「権力」とか言うのは、お巡(まわ)りさん達のことだけではありません。「ホコ天」では「芸術家」が自ら街頭の管理、表現の取締りをすることもあります。
「昭和」最後の日、「平成」最初の日、そして「大喪(たいそう)」の日にはビルの明かりが全部消えました。音楽も消えました。テレビが一斉に喪に服しました。その前から、東京の街には、約半年間の厳戒体勢がしかれていました。全国各地で歌舞(かぶ)音曲(おんぎょく)が次々と中止になりました。私は、そんな中をくぐり抜けて、やって来ました。やって来ざるを得ませんでした。私には「自粛」するようなゆとりはありませんでした。いつも、足を止めてくれる行きずりのお客さん達だけが頼りでした。
路上で表現活動をする市民グループと情報交換、意見交換もしました。このグループのうち4人が、一外国人大道芸人の路上活動を救援しようとして、逮捕されてしまいました。とうとう裁判になりました。そのうち一人の拘留(こうりゅう)は半年にも及びました。明らかにえん罪、と見えました。これらの仲間を救援するためにビラ配りをしました。大道芸に対し好意的な扱いをしてくれたことのある新聞社などに応援を求めました。仲間のためだけではありません。「大道芸は違法!」の明文判決が出てしまう可能性だってあったのです。なしのつぶてでした。「ジャーナリズム」とは何なのか、考えさせられました。
それと同時に、同じ路上を行き交う「仲間」ではあっても、思想的な表現活動と芸術活動とは同じでない、「思想家」が社会に対する時のモラルと「芸術家」が社会に関わる時のモラルとは違うのではないか、と考え始めました。このグループの一部と喧嘩口論をしました。私は、「お巡りさん達に対しては、決して反抗的な態度はとらない!」という方針を固めました。その代わり、何度捕まっても、決して大道芸をやめない!と心に誓いました。
今、私の名前は、警察の或る種の「リスト」に載っていると見られます。これには傍証があるのです。皆さんが好むと好まざるとに関わらず、これが私のやってきた「大道芸」です。そして、私が好むと好まざるとに関わらず、今までこれが「日本の大道芸」だったのです。そしてたぶん、これからもそうなのだろうと思います。これも、世界の様々な大道芸のあり方、姿のひとつなのです。このことを、大道芸を愛する皆さんには、分かっておいて欲しいのです。日本で大道芸を云々(うんぬん)するのなら、大道芸のこういう側面から目をそらすことは赦されない、と私は考えます。
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