大道芸人宣言 オリジナル 1993年夏 ❼/十一分割
Ⅲ.世界の大道芸、そして日本の大道芸
ヨーロッパでは昔、糞(ふん)尿やゴミや死体を処理する仕事に携わる人たちは皆、都市の城壁の外に住み、城壁の中に住む人たちより、より「神々」に近い人間とみなされていたそうです。これらの人たちは皆、暴風雨や戦争、強盗などの非日常的な危険に曝(さら)されやすい「国境」の外に住み、しかも「国境」の中での日常生活の秩序を脇から支える仕事をしていたために、たいへんに畏(おそ)れ敬われていたのです。犯罪人を始末する刑吏(けいり)などもそうです。これらの仕事は皆、日常生活の秩序からこぼれおちたもの、はみ出してしまったもの、皆の目からは隠れてしまったものを相手にする仕事です。罪、汚れ、病、死などと面と向き合っていく仕事です。医者や聖職者、また娼婦等の仕事もこれと関係がありそうです。さらに、おおざっぱに言えば、教師、占い師、そして私たち芸術家もこの部類に属します。各地を転々としながら、「国境」の中の「小宇宙」に閉じこもっていたのでは知ることのない「大宇宙」の様々な文物や音楽を、運び歩いていたのです。行商人(路上商)もそうです。ここアヴィニョンや東京で大道芸をやっていると、アクセサリー売りなど路上商の顔見知りが多くなるのですが、そういえば彼らの多くは余所(よそ)者(外国人)ですし、日本人の路上商が中東かどこかに買いつけに行くという話を聞いたこともあります。
こういう「国境」の外を流れ歩くものたちとジプシーとは深い関係にありました。或いはジプシーそのものがこういう役割を担ったこともあったのでしょう。「国境」を追われた犯罪人がジプシーの群れにかくまわれ、長い年月を共にすることもあったそうです。ドイツの強制収容所でユダヤ人達についで多く殺されたのは、このジプシー達でした。
中世に話をもどします。或る都市でお祭りや結婚式など「特別なこと」が催される時には、私たち芸術家が招き入れられました。私たちの方も健全な日常生活を営む都市がなければやっていけない、いわば持ちつ持たれつの関係です。
ところが戦争やペストの流行、政変などで都市に「機能障害」が起きれば、都市はその門を閉ざすことがあります。その時、私たちはその門をこじあけることはできません。私たちを受け入れてくれる別の都市をさがして旅に出なくてはなりません。
こうして幾時代が過ぎ、各都市を束ねる中央集権国家が現れ、国土のすみずみまでをくまなく管理するようになっていく過程で、これら「神々」に近い者たちは住み家を失い、例えば「河原乞食」と見なされるようになって行ったわけです。同時に、スポンサーがつくなどの形で「市民社会」に帰順した「芸術家」が、「河原乞食」を差別したり排除したりし始めます。
現在の私たちの立場を考える時に、これはとりあえず例え話にすぎません。私は日本国籍を持ち、日本の市民社会に帰属している芸術家ですので、日本の文化のあり方、社会のあり方について意見する権利があると思います。また、しなくてはいけないと思います。1990年夏、米マサチューセッツ州ケンブリッジ市の大道芸人組合は、自分達の仕事場を守るために独自の大道芸祭を開き、署名集めをし、市議会にデモをかけ、ケンブリッジ市の大道芸文化を守り抜きました。そういう積極的な闘いがあって初めて、私のような日本人大道芸人もそこに入っていけるのです。彼らは自分たちが守っている仕事場を、私たち余所者にも開かれたものにしてくれています。一緒に戦おうと署名を求めてもくれました。こういう海外の仲間のためにも、そして私自身のためにも、日本の社会が大道芸に対し本当に開かれたものとなるよう、できる限りの努力はしようと思います。
ただし、日本の社会が大道芸に対し不寛容だからと言って、その扉をこじあけてまで中に入ることは慎もうと思います。すきまがあればもぐりこんで行ってひっそりと、しかししたたかにやって行くつもりです。
また例えば、私は静岡市民ではありません。静岡の文化のあり方について責任をとることができません。静岡市の大道芸の受け入れ方に何か不満があっても、それは最終的には私がとやかく言うことではないと考えます。大道芸を愛する静岡市民の皆さんが自覚的に改善の努力をしていくべきことです。野毛、その他の街の大道芸の受け入れ方に対しても、基本的には同じことが言えます。私たちはどうしても無責任な余所者、流れ者の一面を持っているのです。地元の文化を愛し、地元の文化に責任を持つ方々の用意してくださった土俵の上でやっていくしかないのです。
さらに、今、新たに生まれ変わろうとしている日本の大道芸文化がどのようなものになろうと、基本的にはその「枠」の中でやっていくしかないのだと思います。どうしてもそれが私の性(しょう)に合わなければ、迷わず「国境」の外に出ていこうと思います。
〔静岡市の大道芸の受け入れ方に対して、ひとこと余計なことを申し上げておきます。静岡の大道芸観客の皆さんは、本当に大道芸を愛してくれ始めています。昨秋以来私のいただいた色んなお便りなどからも、それが分かります。これは先ず、「ワールドカップ」を企画し、実行なさった皆さんの功績、そしてもちろん、そこで様々に好演、熱演した私ども出演者の功績と言ってよいと思います。静岡には今、地元に根づいた大道芸文化が生まれる可能性が十分にある、そのための広場まで開放されたというのに、そこに「地元の論理」が貫かれていない。中央集権的なマスコミの論理が入ってきて、必要以上、限度以上に幅をきかせてしまっている。ここに問題があるのだと思います。
ことに、「ワールド・カップ」という発想がいけません。せめて「大道芸静岡カップ」一等賞、二等賞…というぐらいに止めてはいかがでしょうか?そして、このお祭りが本当に健全に成長して行った時には、「静岡カップ」という名前であっても、「ワールドカップ」という名前以上に美しい響きを持つはずなのです。
そして本当は、賞金もない、賞状もないけれども、皆がそこに行って芸をやりたくなる、皆がそこに足を運んで芸を見たくなる、そんなお祭りになって行って欲しいと心から願っています。あくまで大道芸を大切にしつくした、そして、それでもなおかつ静岡の「枠」からこぼれ落ちてしまう日本と世界の様々な大道芸に対しても温かいまなざしを向けてくれるような、小さな謙虚なお祭りであって欲しいと願っています。〕
≪大道人宣言 オリジナル 1993年夏 ❽/十一分割、に続く≫
〈大道芸人雪竹太郎文庫〉目次、に戻る。
https://note.com/tarafu/n/n6db2a3425e5c