日本美術小論(或いは、サグラダ・ファミリア再論) 二〇一一年四月 ~ 二〇二〇年十月 【仮公開】

[縦書き発表用/点検中]

(注:括弧〔 〕は振り仮名の指定。*は段落末に注あり。)

 テレビを見ていた。

 「作ったものというより、生まれたもの、と呼べるようなもの/作品になってほしい」。

 作為的な作品を嫌った益子〔ましこ〕焼の陶芸作家ハマダという人が、修練の末に到達した境地、とナレーションが語る。

   *

 その少し前、*釉薬〔ゆうやく〕の「流し掛け」という技法を見た。仕上げの、模様というより一筆書き風、殴り書き風の二、三の曲線、直線。これが、実は筆の技なのではなく、釉薬を柄杓〔ひしゃく〕に掬〔すく〕ってひと息に垂らし引きする、つまりは「流し掛け」をしたものなのだ。

 注)釉薬 :陶磁器の、素地の表面に施すガラス質の溶液。

 このたった十五秒の作業を、六十年の経験と思想が支えている、という。

 しかし、ここからが肝心、最後の最後、それを高温の窯〔かま〕に預けるとき、もはや作者の作為を離れ、作品は物理の必然/偶然、自然の巡り、宇宙の摂理に委〔ゆだ〕ねられる。

 「作品を、仕事を、人生を、自分のはからいで仕上げようとしてはならない」。

 白洲正子〔しらすまさこ〕という人が、焼け落ちた古寺の廃屋の暗がりの中で見つけたという、燃え残った十一面観音像残欠〔ざんけつ〕を想った。無作為どころか、こちらは、一度は火宅の炎熱、業火、崩落、破滅に身を委ね、目、鼻、腕はつるりと熔〔と〕け落ち、そのまま放置され、ついには忘れ去られて、そうして千年の眠りの後に、東洋の芸術の理念像、宇宙観の一つの極致、観音菩薩として明るみに出た。

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 さて、大道芸作品『人間美術館 The Living Museum of art 』だ。

 修練の末の気負いも、惜し気もあらばこそ、白日のもとに、巷〔ちまた〕に、寒風/炎暑に晒〔さら〕され、道往〔ゆ〕く人らの目に、心に、手に委ねられ、大凡〔おおよそ〕歯牙〔しが〕にもかけられず、ときに足蹴〔あしげ〕に、瓦落多〔がらくた〕にされ(……鼻の穴に百円玉、詰めこまれ……)ながら仕上がっていく、仕上がりつつかつ刻々と動き、移り、流れ、崩〔くず〕れ、消えていく大道芸『人間美術館』の作法〔さくほう〕の奥義/極意を、その手掛かり/足掛かりを、またひとつここに見つけた。……胸に留〔とど〕めた。

 「修練のあとは、野となれ、山となれ!」

 野山こそ、風雨こそ、天地〔あめつち〕こそ美しくあれ。安心立命〔あんじんりゅうみょう〕!

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 今から幾百、幾千、幾万年を経た後〔のち〕に、或いはサグラダ・ファミリアが廃墟〔はいきょ〕、残骸〔ざんがい〕、瓦礫〔がれき〕であるとして、なお、それがまた人間と自然の協働の営為の記念として、美しくあるだろうことを想う。

 腕を捥〔も〕がれたミロのヴィーナスは、それでもなお作品であることに変わりない。撃〔う〕たれたバーミヤーンの石窟〔せっくつ〕、石仏も、世界遺産に分類される。

(初稿脱稿2011年4月26日/最終加筆2021年4月17日)


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https://note.com/tarafu/n/n6db2a3425e5c


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