僕の、新しい旅の始まり、一九九八年・夏 ❷/六分割
(注:括弧〔 〕は漢字の振り仮名、また欧文の振り仮名の指定。)
Ⅱ
シンガポールで最初困ったと思ったのは、ここでは義務教育で美術の教育がなされていないという。自由の女神・ミケランジェロの天地創造・モナリザは皆んな知ってる、これは助かったが、その他は、考える人も(ロダンの名前も)・円盤投げも・ダビデ像も、美術を専攻している学生でなければ分からない、ゲルニカやピカソなど、誰一人知らないというのです。ですから、ここでの芸のやり方は、何をどれだけ上手に真似〔まね〕るか・デフォルメできるか・ジョークにできるか、これはほとんど問題外。何やら彫刻の真似をしようとしている(…つもりらしい…)裸の・白い・変な男 ― 大道芸人のような、大道芸人でもないような。ここでは投げ銭はいただかないから、なおさら大道芸人ではなさそうに見える、男 ― 彫刻と、通りがかりの人との間に、どのようなコンタクト/アクシデントが生じ、それをどのようなコミュニケーション→コンセンサス→コンテクストに/ドラマに仕立てていくかが大切になります。
ちなみに、シンガポールで大道芸をやるのは障害者 the handicapped〔ザ・ハンディーキャップト〕 と相場が決まっているのだそうで、僕はなおさら理解されにくい。一般市民の通報で警官たちに踏み込まれたのが二回。警官・パトカー・エキップ一式、待機・監視を続けていたのが、気づいただけで一回。
こういうハプニングや、雨にも遇ったが、シンガポールの界隈〔かいわい〕の子供たちや、おじさん・おばさん、おじいさんやおばあさんたちというのは、どことなく日本の人たちと似通っているようでもある。どこかなつかしく、 そしてもっと初心〔うぶ〕で・物見高くて・温かい。お互いにわけの分からないような/分かりあえるような者どうし、じっくり・しっくり語り合ってみて、ずいぶんと納得し合えた感じがします。
そして、君の方が僕よりよくご存知〔ぞんじ〕かとも思います ― オーチャード・ロードという、東京でいえば銀座のような遊興街〔ゆうきょうがい〕の、大きな通りの歩道でやった大道芸は、そこにシンガポールの若者たちの活気・熱気も加わって、僕は全く、時の経〔た〕つのを忘れてしまった! 三十分の演技の予定が、四十五分、一時間。その最終日には、これならばシンガポーリアンなら誰一人残らず皆が知っている! という、サー・スタムフォード・ラフルズの立像というのをレパートリーに加え、この近代シンガポール建設の祖が、警官隊の制止もあらばこそ、正々堂々交通法規無視、車道を横断(罰金五十ドル)。煙草〔たばこ〕の投げ捨て(罰金千ドル)。
― But I have my own yellow-card and the red-card, lah!
〔― バット・アイ・ハヴ・マイ・オウン・イエロー・カード・アンド・ザ・レッド・カード,ラー!〕
車道の真々中〔まんまんなか〕に立ちはだかるサー・スタムフォード・ラフルズ。車道の向こうの近代映画館の玄関を背にそびえ立つラフルズ。バス待つ人とうなずき交わすラフルズ。シンガポールの地元のヤクザ(の地元での呼び名は忘れた。チンピラ)とガン飛ばし合うラフルズ(これが地元のチンピラだった、向こうにとっては売られた喧嘩〔けんか〕、買う気になりかけてもいたヨと、あとでアグネスたちが教えてくれた。僕はちっとも気がつかなかった。このチンピラも、最後には、喜んでゲルニカの群像に加わってくれていた)。そして最後に、車道の向こうに渡り切ったはいいが、今度は車の流れに絶え目がなくて、なかなかこちらに戻って来れない! 車道の縁〔へり〕でおろおろしている、サー・スタム フォード・ラフルズ…。
あとでフェスティバルの職員に、二度とはやってくれるな、警察に叱〔しか〕られるのは自分たちなのだから、とたしなめられた。ちっとも咎〔とが〕めているふうには聞こえなかった。目が、笑っていました。
こんな色んな思い出が、長いながい一人ぼっちの旅路の果てで ― もう前世でのできごとのようにも、遠のいて思い出されます。シンガポールにいた実感がありません!
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