大道芸人の理論武装の試み(1992年4月)抄②

大道芸人の理論武装の試み(1992年4月)抄②

◆原作『大道芸を愛する皆さんへ2/何故「大道芸」にこだわるのか?/大道芸人の「理論武装」の試み(1992年4月)』から、後半の前半部分を、ここに収める(適宜省略、短縮する)。

◆これは、「大道芸人の理論武装の試み(1992年4月)・抄①」に続くものである。

[原作はタウン誌「ハマ野毛」第二号平成四年(1992年)六月三十日発行に全文掲載(後、ヨコハマB級譚『ハマ野毛』アンソロジー一九九五年二月四日発行に再掲)。]

以上、大道芸を他のもので置き換えることはできない、皆さんも大道芸を大道芸として愛して下さいということを、三つの点から見てきました。こういう話を新聞や雑誌関係の方々は比較的前向きに取り上げてくれますが、テレビから取材の申込みがあった場合には、

「そういうことでしたら、是非、別の機会に別の企画でやらせて下さい」

ということになってしまうのです。そして、その別の企画が実際にもちこまれたことはありません。テレビは、問題意識を持ってじっくり「大道芸」を取り上げるつもりははじめからなく、たぶん視聴者に提供できるその場限りのネタがあれば何でも良いのです。

テレビをはじめとするマスコミが大道芸の健全な発達を阻害している面もあることをここでは指摘しておこうと思います。原宿の所謂「ホコ天」の例です。

数年前まで某テレビ局が土曜の深夜にアマチュアバンドの勝ち抜き番組をやっていました。そこから何組かのプロバンドが生まれました。それにあおられて、と言ってよいと思います、毎週日曜日のホコ天はたぶん百何十組のアマチュアバンドが占拠した様になり、以前の「竹の子族」は姿を消し、「ロッカー」達は隅っこの方で、細々と命脈を保っているという有り様です。竹の子族が消えたのは、単にすたれる時期だったのかも知れませんが、アマチュアバンドの隆盛がテレビ番組にあおられた点は、番組が終わると同時に急速にホコ天のバンド数が減って行ったことが裏付けています。そして、いまホコ天に残っているバンドは最盛期の数十分の一です。

つまり彼らの大部分は、街頭で音楽活動することそのことを愛していたわけでなく、少しでも有名になって、いずれ「本来の」音楽活動の中に、より有利な条件で返り咲くために、街頭文化活動を利用しただけなのです。そのこと自体を僕は単純に悪いとはいいません。そういう人がいても結構だ。結構でないのは、彼らが自分たちの立場のみを守るために、私たちの様に「街頭活動」を「街頭活動」として愛している人間たちを追い出そうとしはじめたからです。

バンドブームは加熱気味で、色々問題が起こりはじめていました。地元住民から騒音苦情があいつぎ、彼らがホコ天に駐車する車が「交通課」の問題とするところになりました。警察が動きはじめたときに、彼らは「ホコ天管理委員会」をつくり、警察との間に或る取引をしたのです。

1. スピーカーの音量に上限をもうける。2. 不法駐車については警察は目をつぶる。3. 「ホコ天」では自分達のライブのチケットを売る、C D を売るなどの金銭のやりとりをしない。etc.

そういうこととは知らず、ある日曜日私がホコ天で芸を披露していると、上演の真っ最中に若い男が私のお客さん達の前に立ちはだかって言うことには

「市民の皆さん! この人はお金をとって芸をやっています。皆さんお金は払わないでください!」

これにはびっくりしました。芸が上達するまでには、好意的でないお客さんの妨害も多少経験しましたが、この天下のホコ天で、こんなケースは考えられません。私は観客に投げ銭を強制したことはありません。「帽子」を持って、一人一人のお客さんの間を回って歩くことも滅多にしません。私の「箱」にお客さんがわざわざ入れに来てくれるお金だけをもらいます。

「警察の方〔かた〕ですか……?」

と私は聞きました。

「ホコ天管理委員会の者です。そこで○○○というバンドをやっています。」

(???一市民が警察の真似をする必要がどこにあるんだ!!!)

そうとう気が動転していましたが、私はとにかく芸を続け、最後にお客さん達に

「私は、お金をもらうことをはずかしいとは思わない。自分の仕事に誇りを持っています」

というような挨拶をして終わりました。

上演の最中に上演を妨害するようにいきなり飛び込まれたこと、公衆の面前で私の意見も聞かず私の生き方を一方的に否定されたこと、私は十分考えもまとまらないうちに、血相を変えて、そのバンドの輪の中にひとりで飛び込んでいました。ホコ天一目立つ大きな赤いトラックの前に陣取った10人ぐらいのバンドメンバーと、200人ぐらいのファンの女子中学生たちが目を丸くしました。

「さっきの男は誰だ!出てこい!」

あんまりかっこいい姿ではありません。実は、ブルブル震えて口も良く回りません。ちょうど同じ日にホコ天に来ていた芸人仲間のヘルシー松田さんにも立ち会ってもらい代表者と話し合うことになり、例のバンドと警察とのいきさつを聞きました。

一応話を聞いた上で私は、自分と違う立場の人間の活動を尊重できない者、他人の芸術活動を平気で妨害する者には、芸術家の資格はない(アマチュア以前だ!)、芸術家が自分の弱い立場を守るために他の芸術家を犠牲にする、警察の真似までするとはなんてはずかしいことだ、自分はバンドブームになるまえの竹の子族のころからここでやっているんだ、バンドの騒音が起こってからはお客さんの拍手も笑い声も聞きとれないので芸もやりづらいが、同じ路上で活動する以上仲間だ文句は言うまいと思っていたのに、きょうは心底裏切られた気がする、自分たちにはテレビで売りたいという別の目的があるわけじゃない、投げ銭を否定されたらやっていけない、自分たちは将来のあるアマチュアじゃない、プロだ、一生涯こうして生きていくんだ、かなり興奮しながら、なんとかそういう内容のことをしゃべったと記憶しています。

「わかった、プロには口出ししない。」

ほんとうはプロだから云々ではないのです。プロであれアマチュアであれ、ジャンルの違いや立場の違いを越えて、同じ街頭での仲間同士として共生しあう道を探すべきなのです、手を結ぶ仲間であるべきなのです。聞くところでは松田さんも、又他の芸人んさんも似たような被害に会ったことがあるとか。とにかくそれからは、私に対しては二度と同じような妨害行為はありません。

ちなみに、私の見た範囲では、この赤いトラックのグループはもうホコ天にはいません。

更に聞くところでは、ここではある「業者」がスピーカー貸し出しの名目で各バンドから「ショバ代」を取り、各バンドの場所を指定していたとか……。

(実はこの「業者」が警察とホコ天管理委員会の間を仕切っていたのではないか、との憶測さえ私は持っています。)

従来テレビなどでは、ホコ天は自由な表現空間としてしか報道されていませんが、本当はグチャグチャなのです。一部の左翼的でユニークな表現活動グループを警察に代わって取締り、ホコ天から追い出してしまったのもこのホコ天管理委員会と聞いています。警察とホコ天管理委員会との「密約」を契機にしてか、今ではホコ天は車が駐車できる場所になってしまい、道路わきに駐車メータが設置され、バンドが激減した今のホコ天は、全く普通の駐車場に化しつつあります。少しずつホコ天らしくなくなっていきます。東京で唯一の「合法的」パフォーマンス空間ホコ天のストリートパフォーマンスが禁止される日も、遠くないかもしれません。

以上のことを次のような教訓にまとめてみようと思います。

1. マスコミが無責任に「大道芸」の音頭をとると、正しい理論武装の出来ていないアマチュアがはびこって、又、そこにいろんな業者などが群がってきて「大道芸文化」が壊れてしまうことがある。

2. 又逆に、私達「プロ」も正しい理論武装を心がけずに権利伸長をはかっていくと、将来、気がつかないうちに、街頭を解放する立場から、街頭を取り締まる側に転落してしまうことになりかねない。

[注:この「大道芸人の理論武装の試み(1992年4月)抄②」は「ハマ野毛」第二号に掲載された原作に依った。但し、これには掲載作業に当たっての若干の不手際、また不適切、不都合な改変があり、これらは第一次原稿を参照しつつ訂正、或いは改変前のものと改変後のものとを折衷するなど、修正した。またその際、傍点は割愛。段落をより細分(一箇所接合)。適宜段落、文、語句、記号を削除し短縮。また語句、記号等を数ヶ所のみ、敢えて追加、改変等した。括弧〔 〕中は振り仮名である。この「抄②」の公開は2021年1月4日。]


≪大道芸人雪竹太郎文庫≫目次、に戻る。
https://note.com/tarafu/n/n6db2a3425e5c


いいなと思ったら応援しよう!