東京都・ヘブンアーティスト制度についての私の見解(二〇〇三年秋) ②/二分割
注:括弧〔 〕は振り仮名の指定。[←「 」に傍点]は傍点の指定。
ニ 見解、その三
改めて、
〈……ヘブンアーティスト制度は、大道芸「不許可制度」と表裏一体のものである……〉
許可制度は、資格(ライセンス)を持たぬ大道芸人たちにとっては不許可制度に他なりません。さて、その「資格」とは……?
現下のこの制度は、ヘブンアーティストとしてのライセンス —— 制度の下で「大道芸人」として活動する資格を、行政の審査(オーディション)によって判断・決定するもの。私は、このオーディションという手続きを、一刻も早い機会に廃止すべきと考えます。
二〇〇二年四月に募集が始まり、七月三〇日〜八月三日に都庁(都民広場)で実施された第一回公開審査の結果は、応募総数六四七組 —— うち、最終合格者数一四〇組(東京都・お知らせ・詳細、平成一四年八月二八日、生活文化局)。つまり、差し引き五〇七組、それらに加えて審査日程・その他の都合で審査を受けることのなかった/できなかった相当数の大道芸人たちが、二〇〇二年九月九日の制度発足と同時に、制度の管理するところとなった「公共空間」、及び活動時間から自動的、公的に排除されることとなった[←「自動的、公的に排除されることとなった」に傍点]わけです。
さて、実際にこの審査(オーディション)に当られたのは、専門家とされる方々九名 —— 小沢昭一氏、上島敏昭氏、近田春夫氏、西田敬一氏、はかま満緒氏、萩本欽一氏、萩原健太氏、橋本隆雄氏、三隅治雄氏(東京都・お知らせ・詳細、同上)。審査基準は統一しなかったとのことですが、審査員のお一人の曰〔いわ〕く、大道芸をあくまで職業的なものと考え、従って、多分これでは通行人がお金を落とさないだろうと思われる人を落選とした、と(大道芸アジア月報、二〇〇二年ハ・九月号)。
大道芸に詳しい専門家とされるこの方は、世の大道芸人たちの活動の実際 —— 大道芸という[←「大道芸という」に傍点]生業〔なりわい〕について[←「について」に傍点]、本当には、何も御存知ない(そして、怖らくは、他の審査員の方々も皆)。
例えて謂〔い〕えば、正月の三箇日だけで途方もないさい銭[←「さい銭」に傍点]を集める明治神宮のような神社仏閣と、日に・月に・年に数えるばかりのお供えを収めるだけの路傍の野ぼとけと、どちらに資格がある[←「資格がある」に傍点]とか、資格がない[←「資格がない」に傍点]とか、誰も軽々には言わない/言えないでしょう。
大道芸人もまた、真夏の華やかな、にぎやかなフェスティバルの広場で、一度に何百人もの客を集め・あしらい・金を集めて見せることだってやれば、真冬の夜の雑踏に立ち、絶え入り、消え入るような音楽を奏でていることだってある。……誰も(めったに)お金なんか落として行かない[←「お金なんか落として行かない」に傍点]。そんな長い孤独の演奏の手の止まる、ふとした刹那に、それまでポツンと柱のわきに立っていた御婦人が、近づいてきて、自分の息子は交通事故で頭が壊れてしまった。今日は見舞いに行くのにどうしても笑顔になれないでいた。……これから笑顔で見舞いに行こうと思います。そう言って、その御婦人にはきっと大切に違いない千円札を、一枚そっと置いていく……。
私たちの生業〔なりわい〕は、世に「職業」と言われるものとは違うようです。医者と牧師は暇な方が良い、皆、心と体が健康で、[← 読点(、)は句点(。)の間違い]でも、いつ何時〔なんどき〕、心に/体に、病を/悩みを抱えた人が訪ねてくるか分からないから、医者はいつでも腕を磨いて、牧師は説教・法話を用意して、待ってい(てくれ)なくてはならない……。元来、大道芸人という身分もまた、医師や牧師と同じカーストに属します。聖職と称します。医師・牧師・教師・……・占い師・芸術家など、皆、人智の及び難い宇宙の摂理・世界の摂理・人間の摂理にあえて向き合おうとする者たちです。とくに旧い時代には、歌舞音曲は宗教家、ところによっては哲学者たちが掌〔つかさど〕るものとされていました。娼婦たちはまた由緒正しい性の教師、乞食たちは皆それぞれが街角ごとに立つ小さな教会でなくてはならなかったと聞き及びます。このような類〔たぐ〕いの仕事を片手間や興味本位でやるものではない、できません。
そして、今、私たち大道芸人もまた東京の/日本の/世界の交叉点のどこかひとつに立ち − 立ち続け、人と人・人ともの・人と世界を結び合わせる仕事をしている。そこに私たちがいなければ、人と人・人ともの・人と世界がただすれ違い、記念されずに[←「記念されずに」に傍点]、流れ去って行くだけの物質世界 − 往来に、心の世界 − 精神世界を重ね合わせる仕事をしている/世界を、本当に、建ち上げる仕事をしている/そういう大きな、大切な仕事の(せめて)片棒をかついでいるのです。このような類いの仕事をする資格が本当にあったか、なかったか、裁き手があるとするなら、謂〔い〕わば天しかありません。
私たちのいただくお金は賃金ではありません。施与、また喜捨と称します。投げ銭ともいわれます。「投げ銭」を国語辞典で調べると、大道芸人、こじき等に投げて与える銭〔ぜに〕、とあります。
私がオーディションという手続きを廃止すべき(オーディションは意味をなさない)と考える、より具体的・現実的な理由も挙げておくべきか、と考えます。大道芸は発表会ではありません。稽古場で稽古〜演出しつくすものではありません。稽古・演出したことがときに全く意味を失う現場の、状況・観客・そして芸人、三者が協同作業で創り上げていくもの(……陽も差せば、風も吹きます。作品の一部です……)。従って、一人の大道芸人 − 大道芸作品をオーディションで「不合格」とすることは、同時に、その状況(審査会場を含む)と、観客(審査員を含む)を「不合格」とすることにもなるのです。
本年二月二八日付けで、「都民広場(都庁第一本庁舎前)の開放に関するご案内」が通達されました。第一回及び第二回のヘブンアーティスト公開審査に参加した者を対象に、日頃の芸を研鑽する場として、都民広場を開放する。……次回のチャレンジを期待する、というもの。つまり、審査で不合格とされた者にもヘブンアーティスト制度管理下の「公共空間」での活動を(一部)可能にする・道をひらくものですが、その内容は、開放された場所はただの一ヶ所、しかもそこが「芸を研鑽する場」として果たして適当か疑問、加えて活動の申し込み・電話予約に当たっての条件がヘブンアーティストたちより劣位におかれている・あとまわしにされているなど……
この際、改めて提案したく思うのは、むしろ、公開審査の参加歴を問わず[←「公開審査の参加歴を問わず」に傍点]、活動登録申請をする者に対しては、必要ならば都の定める(禁止事項)(注意事項)等の遵守を条件に、誰にでも「活動許可証」を発行[←「誰にでも『活動許可証』を発行」に傍点]、複数ヶ所の活動場所を[←「複数ヶ所の活動場所を」に傍点]試験的に、ヘブンアーティストと同じ予約条件のもとに開放する[←「ヘブンアーティストと同じ予約条件のもとに開放する」に傍点]。このようにして、オーディションという手続きがヘブンアーティスト制度にとって本当に必要なのか、必要ならばどういう点で必要なのかを見定める。……オーディション、またその他さまざまな制約が全部本当に必要な「公共空間」というのは、その方が実は少ないのではないか。その方がむしろ例外的であるような制度こそ望ましいと、私は考えます。
また、誰にでも活動許可証を発行することで、許可証所持者の数が「公共空間」と釣り合わない・活動場所が足りないという現象が起きることを御心配なさる向きもあるかと思います。……いまは次のようにだけお答えしておこうと思います。そのような現象が起きても一時的なものであろう。大道芸という営為 − 所業は、それに手を染めるだけの決意と覚悟(大道芸人としての理論武装)ができていなければやれるものではないし、やれても続けられるものではない、と。
ホ 見解、その四
最後は、専〔もっぱ〕ら大道芸人諸兄・諸君 —— 私たち自身へ、自戒の意をこめて[←「自戒の意をこめて」に傍点]、
〈道は万人のものである〉。
これは、「制度」以前 —— 制度によって私たちの大道芸活動が許可(〜保護)される以前、長い間私たちの活動を支え、導いてきた根本の思想です。一切の立法以前の慣習法、また自然法とも考えます。ですから、たとえルール違反であると取締られても、何度捕まえられ、二度といたしませんと何度制約させられても、私たちはやり続けてきた。これが、今日の東京の大道芸文化の礎〔いしずえ〕です。制度ができた、許可されたからといって、今さら反故〔ほご〕にはなりません。道は全ての人の(ための)ものです[←「道は全ての人の(ための)ものです」に傍点]。
このようにして、私たちは他の大道芸人たちと、或いは路上商たちと、最近ではホームレスの人たちと、少し旧くは政治的・宗教的街頭活動家たちと、また或る時期(湾岸戦争の頃)には市民的反戦運動家たちと、 —— 立場の違い、立ち方の違いは当然のこととして、しかし同じひとつの道に立つ者同士として、一緒くたになってやってきました。
〈私たちヘブンアーティストは、管理される者ではあっても、決して管理する者ではない・あってはならない〉。
この見解、その四を記すのは、二〇世紀から二一世紀にかけての東京の大道芸文化の歴史の中で/周辺で、私たちがひとつの〜幾つかの残念な、苦い経験をしてきたからです。同じ過ちは再び繰り返され得る/二度と繰り返してはならない……。
およそ一九八〇年代後半から九〇年代の初めにかけて、原宿の「ホコ天」で、今度はバンドブームが起こった。この一時期ホコ天は、アマチュア音楽家たちのテレビ番組への、さらには音楽産業への一大登龍門[←「一大登龍門」に傍点]であった。ブームは過熱気味、問題も起こり始める。特に騒音問題。周辺住民・他からの苦情があいつぎ、また、音響機材を運び込み〜運び去る、ホコ天に駐車する車両が交通課の問題とするところとなっていたともきく。ホコ天でのバンド活動に対し警察の指導が入る(乃至〔ないし〕は話し合いが持たれた)。そこでの確認事項 一、スピーカーの音量に上限をもうける。二、不法駐車については警察は目をつぶる。三、ホコ天ではライブのチケットを売る、CDを売るなど金銭のやり取りをしない[←「金銭のやり取りをしない」に傍点]……等。これ以降、バンド・メンバーたちは自主的にホコ天のパトロール、及び浄化活動を行うことになる。
当時、原宿のホコ天(歩行者天国)では、バンド活動以外にも幾らかのホコ天活動が、より旧くからのものとして継続して行われていた……し、これら〜それらを取り巻く観客たちも、散歩客たちもいた。それら全てを彼らは浄化の対象とした。……金銭のやり取り[←「金銭のやり取り」に傍点](投げ銭)をしているとの理由で、私たちをさし置いて、先ず大道芸観客たちを浄化の対象とした。「……皆さん! この人はお金をとってやっています。お金は払わないでください……」それからまた、ホコ天で思想的傾向的表現を模索するグループを浄化の対象とした(追放した!)。彼らは「ホコ天管理委員会」を名乗った……。
最盛期およそ数十〜百数十もあったホコ天のアマチュア音楽バンドは、テレビ番組の終了と同時に急速にその数を減らして行った。手元の記録と私の記憶では、一九九六年一月の一ヶ月間の試験的廃止機関[←「機関」は「期間」の誤植]を経て、同年二月、原宿の通称「ホコ天」は、正式に廃止された。最後までホコ天に居残って活動を続けていたアマチュア音楽バンドのメンバーの幾たりかが、にわかにホコ天廃止反対[←「ホコ天廃止反対」に傍点]を訴え、署名活動を始めたが、今は足を止め耳を傾ける者など誰もいない、 —— そんな縁遠い風景を、私は決してテレビで観たのではなかった、と想い返します。(ゆきたけ たろう・大道芸人)
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