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平川武治 ノオト ブログ/"The Le Pli-05" アーカイヴー5/

評論/「21世紀モード的眼差し、環境と風景を探して。」

初稿/2004-05-24 
再校・追記/2020年10月05日記:
文責/平川武治:

 「この初稿原稿は、現在の「大衆消費社会」の都市の様を予測していた。
そして、「新型コロナ」以前のここ数年間の日本国内の消費経済の最先端を促していた「インバウンド」状況を思い出して下さい。より、この原稿が面白く読んでいただけるでしょう。見事に予測が的中しています。」
再校・追記/令和2年10月5日記:

 今日のインデックス;
1)「観光立国化と戦後日本の独自性としての、コンテンツ産業立国化」;
2)このような「観光立国化」におけるファッションビジネスのあり方とは?;
3)「今、東京にあってもおかしくないデザイナーズ ホテル」;
4)「たとえば、オリエンタルバザーを見直そう。」;
5)あとがきとしての追文;

***
1)”観光立国化”と戦後日本の独自性としての、”コンテンツ産業立国化”;
 昨年末に書店の店頭でもらってきた小冊子「草思」(2004年1月号草思社発行)が興味深い特集「日本の生きる道」をしていた。
 「奇跡の経済成長も今は昔の話。もはや工業立国・貿易立国の基盤もアジア諸国の追撃に危うくなった日本は、物作りは得意でもソフトは危弱、食料の60パーセントは輸入に頼り輸入率100パーセントの石油無しには我が国は成り立たない。長引く景気低迷のうちにもはや日本は衰退の一途をたどるのみ。ー ー言われてはいるが、本当なのだろうか。(中略)今直面する問題とその克服の道を考察してみた。」とプロローグに始まるこの特集は本来、
全てが拝金主義の大衆消費社会の全カタログ誌と化した一般教養誌で真剣に取り上げるべき内容であると信じているのは筆者だけであろうか。
 ここで取り上げられている我が国の生きる道は4つ。
「農業立国・日本は可能なのか?」
「科学技術立国の落とし穴?」
「観光立国への道ー醜き衰退から美しき成熟へ、」
そして、「日本の新たな資源としてのアニメーション」ここでは戦後日本のお家芸的なアニメーションやTVゲームの”コンテンツビジネス”が語られている。
 例えば、このような大胆な発想もあろうか?筆者が思うにBSE問題で現実としての「吉野家」牛丼販売停止や鳥インフルエンザによる関係業種の閉店店休業的状況は確かに目先の問題としては大変な事件であろうがこの状況は
もしかしたら今後の日本の食料事情の変化を促進し、60パーセント輸入に頼っている我が国を救い、思いも寄らぬ方向へと進展させるベクトルになる可能性も考えられる。例えば、それはもう一度、21世紀の僕たちが謙虚にそして、150年ほどタイムトリップをして日本人らしさの根幹の一つとして、江戸時代のような基本的には自給自足を目指した菜食主義的な民族へ戻る為の一つの機会と考えるのはどうだろうか?
 筆者は90年代後半に既に、「ザ ファッショングループ」の東京集会でお話をさせて頂いた時のテーマでもあったこの、我が国は2010年以降は「観光立国」化へという発想を持っていたのでこの特集はとても興味深く読んだ。
 筆者の主なる根拠は隣国の「中国」が大衆消費社会化へと2008年の北京オリンピック開催と2010年の上海の万博以後、戦後の日本がその同じシナリオによって完全に現在のような大衆消費社会構造を築き歩み始めたことを思い起こせば納得するであろう。
 この時期の日本は例えば、「労働者」がいつの間にか「消費者」というニュアンスで語られるようになったことその後、ハワイは観光メインの州として星条旗の星の一つに加わったことを想い出してみよう。
 このような発想を持った以後、筆者の近未来への眼差しは「観光立国」化であった。資源の貧しさも手伝って、生産性よりも消費性を、サービスを生業とした現在のような国民の大半以上が商売人的感覚の民族と化してしまった以上、「観光立国」化は考えられる最善策の一つであろう。

2)このような「観光立国化」におけるファッションビジネスのあり方とは?;
 社会がそのような「観光立国化」と言う”環境と風景”になったとき「ファッションビジネス」は今以上に多種多様な”サービス化”が必然であり、辿るであろう。同じような物がよりパーソナルメディア(SNS)を通じてトレンドと称されて例えば、携帯でトレンド情報を、コーディネート情報を、それにバーゲン情報などがコンテンツ化されると「ユニフォーニズム」 へと進展していくはず。そうした近未来を考えると各ブランドやショップ、デパートがどのような独自のサービスを持って顧客を満足させるかに行き着くのは確実であろう。
 この現実を既に生業として行っているのが「エルメス」「ルイ・ヴイトン」などの老舗商法/”ラグジュアリィブランド•ビジネス”であろう。彼らたちは「イメージ、情報、安心そして、アフターケア」のサービスを150年前にやはり、同じパリで誕生した世界最初のデパート,”ボンマルシェ”の「空間、品揃え、接客」サービスを基盤に時代と共に常に新たなサービスを加え提案し現在に至っていることを熟知しよう。「継続はサービスなり」とでも言えよう。従って、今後のファッションビジネスも”ホスピタリティ”も加わってより、サービス業であるという自覚と新たな発想は大事な視点となるであろう。

3)「今、東京にあってもおかしくないデザイナーズ ホテル」;
 そこで、これだけありとあらゆる物が氾濫する中で、ない物を探すのが大変な東京でない物を挙げるとしたら、この「観光立国」化に通じるもので「デザインナーズ ホテル」がない。その殆どがアメリカンタイプの遅れてきた20世紀物ばかりが目につくこの東京です。この「デザイナーズ・ホテル」が無いのは21世紀的「環境と風景」をイマジネーションした発想とマーチャンダイジングに独自の”リアリティ”が欠如しているからであろうか?
 「観光立国」+「サービス業」+「ファッションビジネス」=「デザイナーズ・ホテル」という公式が近未来であろう。30室ぐらいでクオリティーが高くセンス良く、ホスピタリティとサービスがセンス良いホテル空間とそれに併設された自社ブティックとバーやレストラン、テラスカフェ。室内はハウスホールドの雑貨物からリネン、トイレタリーを含む”五感”に訴えるデザイン物でこぢんまりとした落ち着いたたたずまいの玄人請けするミニホテルをデザイナーや建築家とアーティスト、料理人たちとコラボレートして作る。これは確実に21世紀型のファッション ビジネスの一つの新たな可能性であろう。
 が、残念ながらこの東京にはない。「地方創生」と言う国家戦略とヤンキーたちの”マイルド化”の地元帰りの時代の風を受けて、郊外型の商業施設がその生活環境が戦後も、60年ほど過ぎると進化し、豊かになってきたために生活者の行動ベクトルが都心型から郊外型へ移行してきた結果が現在のファッションビジネスの現実と現状を語っているはずである。
 ならば、都心型は次なるビジョンを発想して「新たなる環境と風景」を創造すべきである。これに一番近いところにいるのがファッションアパレルであろう。余談になるが、15、6年前に筆者は既に青山の根津美術館付近でこれをやってはとあるアパレル企業に提言したことを思い出す。この界隈はファッション人間たちの”参勤交代”が行われるために少なくとも年4,5回は地方のショップバイヤーたちが上京して来るという現実が根幹である。彼らたちを顧客とした30室でも口コミが人を呼ぶ。また、海外からのモード関係者たちが東京へ来れば、競って宿泊したくなるような東京的様式美が若手建築家やインテリアデザイナー達によってデザインさたホテルは今是非、欲しいものである。例えば、パリでは”ホテル コスト”がこの役割を果たして、この街を訪れるファッションピープル達のナイト ライフも含めた新しいご用達ホテルになっている。
 20世紀の特化した物を世界レベルでコラボレートして新たな環境と風景を築くことがこれからの東京、すなわち「観光立国」のキャピタル”東京”には必要であるはずだ。このように、”環境と風景”をあたらしく構築することで、ここに新たなファッションビジネスの新境地が生まれる。
 このコンセプトで昨年オープンしたのが目黒のビジネスホテルを改造して出来上がったホテル”クラスカ”であろう。ここは筆者流に言えば21世紀の風景がある。また、80年代後期のバブル期にブランド アパレルの”ビギ”が渋谷のラブホテルを買収したことを想い出す。そして、筆者はこの日本独自の”ラブホテル”をリ・メイク、リ・モデルする方法もこれからは有りで非常に面白いと思うし、自らやってみたいことの一つである。これは、スケール的にも丁度良い規模であるし、立地条件もよい。利用者として最近では”パラサイト”と呼ばれる「豊かなる難民」が現実に増殖してきた現在、ラブホテルをもっと自由な活用にした利用者が増加している事実も忘れてはいけない。
 我が家以外の”棲み家”を持つことの願望は特に、社会で成功している人たちや男性が好む、文明が豊かになれば自然発生的な欲望現象である。ここには「時間消費」「男女消費」や「クオリティー消費」などが派生するはずだ。

4)「たとえば、オリエンタルバザーを見直そう。」;
今回の帰国で新たな発見は表参道に戦後直ぐに出来た「オリエンタルバザール」の建築である。ここの内部は面白い。地下一階地上二階のこの規模が良いし構造体がしっかりしている、空間がゆったりしていることも良い。
むろん立地は申し分ない。表参道に面した二階にはバルコニーもある。
 この規模で「十貨店」をリモデルして「デザイナーズ十貨店」を外国人旅行者たちのためにリニューアル・オープンすればこれも21世紀の原宿の昔を継続させた”新しい風景”になることは間違い無しであろう。
 元々このオリエンタルバザールは戦後、富山県の高岡の鋳物生産者たちが自らの地場産業をこの地で外国人の土産物へ転向させて商売をするために創設されたのであるから、今後の「観光立国」東京、原宿にはもってこいの環境であり風景とショップコンセプトになるはずだ。
 いつも日本人は近視眼的な発想でこの戦後の現在の環境を築き上げてきたがもう、そろそろ次世代的な眼差しで21世紀をイマジネーションしてみようではないか。その時、物事の「根っこ/根幹」から思い起こして考えることが大切なプロセスのスタートである。あまりにも、現在の東京人は近視眼的目先のみを落ちつきなく見ている様な気がしてならない。

5)あとがきとしての追文;
 この拙文の初稿が、2004年の05月24日である。
この15年間ほどの時間の流れと堆積によって、僕のこの視点、「21世紀モード的眼差し、”環境と風景”を探して。」は殆どが現実化された。
 因みに、その世界的代表が「airbnb」であろう、2008年に創設された新事業である。この10年間ほどで、”世界制覇”を行った、「動きまわりたい人間」のための「宿」ビジネス。
 今回の僕のような視点を日本の若者たちがもっと、突き詰め、自分たちが想像できる”リアリティ”を生み出すことを熟考すれば、このユダヤ青年2人のアイディアによる「airbnb」の日本版が独自に構築できただろう。
 僕がいつも感じる、日本人が持つ”遅れて来たコンプレックス”の一つに、「外国人特に、白人たちの元で仕事がしたい。或は、友達になりたいレベル」のコンプレックスがまだ若者たちにも普通のように、何も疑問視せずにある。僕の立ち居場所である、ファッションビジネスの世界では、特にこのコンプレックスで仕事をしている優秀な日本人男女が多く働いている。彼らたちをみていると、悲しくも、惨めにさえ思ってしまうのである。
 「ああ、ここにも、日本人でありながら、日本の歴史を、宗教を、哲学を礼儀作法をそして、何よりも、”気骨”を、”含羞”を忘れている或は、不勉強な狭義な日本人たちがいる。」と分別してしまうのですが、やはり、年老いたせいでしょうか!?
合掌。
文責/ひらかわたけじ:
再校・追記/2020年10月05日記:



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