緊急番外雑記 / 「夏を知る。」 -今年の”高校ダンスパフォーマンス”の出来事。 ー「与えられたフレームの中での 自由」という”不自由さの自由”」。
文責/ 平川武治:
制作 / 2024年08月25日:
写真/ 江の島の夏’24By Gon.
僕にとっての夏は、夏が始まってから、夏だと知る。
「もうすぐ、夏だ?」という感覚がない。
2つの原爆被曝都市の被害者たちへの黙祷と終戦記念日。
蚊取り線香と2台の扇風機、麦茶。
そして、最近では愉しみにしているのが、イベント「高校ダンスパフォーマンス」。
これらが僕が「夏を知るあるいは、感じる」ここ数年来の幾つかのモチーフです。
しかし、今年の夏は異変が多い。
突然の酷暑が始まり、自然災害が相次いだ。
台風が来、豪雨と地震群により、内閣による、以前より発表せねばならなかった
”南海トラフ地震臨時情報”がこの機に遂に、大本営発表となった今年の夏。
現実は、これによって今後の、日本で起こる地震等の自然災害は全て、”個人の責任”で
「安全、安心」を予防被害対策をしなければならなくなったことを心すべき政府発表でした。
また、愛猫ミケーレ嬢がいない初めてのPet Loss の夏。
そんな「世間」からずれた変わらぬ僕の生活体感からは、いつ、夏になったかが、
あまりに、ずれ過ぎて気が付かなかった今年の夏。
1)今年の夏で、痛く残念なことがあった。/
僕が愉しみにしていた「高校ダンスパフォーマンス」の全国予選の映像が見れなくなった事だ。
例年の愉しみであり、ファッションを学ぶ者には学ぶところが多く、彼らたちの元気で
頑張りの練習の成果をネット配信で”北海道予選から沖縄予選”までをみんな見ていた僕には
失望と不安を味わった、今年の夏のとても残念な出来事でした。
最初は例年どうり、東北地区と関西地区が少し見ることができ、その後の、他の予選を
愉しみにしていたのが見れなくなっていたことに気づく。
現代の若者たちの好きなことに架ける情熱が見ている者まで感じることができる
とても"純なイヴェント”なので、夏の恒例として毎年観ていた。
だから、その残念さは悔しさ迄に広がった。
2)、「与えられたフレームの中での自由」という”不自由さの自由”/
そして、僕なりに得意の憶測と妄想を巡らせた。
「ああ、きっと、あの生徒のタトゥーがこの悔しさを招いたのだろう?」というのが
思い浮かんだ。実は、僕も不自然さと、大丈夫なのかという不安を感じて見ていたからだ。
ここは日本という「世間」。
この世間には実際の「全開自由」という領域の存在はない。
未だに、「元占領国の自由さ」が今現在にも残っている「世間」だからでしょうか?
その上での「安心。安全と快適」というトレンドキャッチが付けられている、
僕流には「柔らかなファッシズム」の元での「世間」なのでしょうね。
「与えられたフレームの中での自由」という”不自由さの自由”を享受するしかない「世間」。
3)「ストリート・カルチャー」とは?/
例えば、今年の「高校ダンスパフォーマンス」の全国予選の録画画像の全国放映が突然に
中止になった理由が、僕の妄想とうり「タトゥー」であるならば、
一番の元凶はやはり、現在の学校教育における為さなければならない「根幹」教育が
欠如していることがもたらしたと読むべきであろう。
刷り込むべきことはちゃんと刷り込む行為とプロセスを持ち備えるのが
「民主主義国家」の教育者としての”義務と責任”。
あとは、自分たちが愛情を注ぐ、信じる生徒たちに委ねるべきこと。
21世紀に入って、時の音楽、”hip hop"と”ダンス”そして、続く”RAP"の流行 とともに、世界中で「タトゥーブーム」が起き上がり、瞬く間に、世界中を巻き込んだ今世紀の
「ストリート・カルチャー」ムーブメントの一つが現在の「タトゥー」の発端であった。
この時期、僕は巴里を中心にヨオロッパやアフリカを仕事とともに徘徊していた時、
この「タトゥー」がどの様な速度と、どの様な人達によって”流行”したかを熟知している。
パリでも、こんな所にと言うところにまで「タトゥー」ショップが出来、
”ピンからキリ”まで揃ってしまった世界である。
もちろん、日本における「入れ墨」の世界はこ我が国の独特な風習が民衆にも染み滲んで
しまっているために、「タトゥ」と「入れ墨」の"相違やその差異"を熟知して理解している
教育者輩たちは極少数派であろう。
よって、日本におけるこの”ストリート・カルチャー”としての「タトゥー」に対する価値観の相違による「世間」の不都合さやノイズは起こって当たり前であろう。
そして、「知らないことや責任を取らされること」に対しては「判ったフリ!」をすることが彼らたちの”常識”になってしまっている「世間」だからだろう。
3) 「僕がいる「モードの世界」では、」/
僕がいる「モードの世界」では、巴里やN.Y.ロンドンやミラノにおけるキャットウオークの
”トップモデル”として選ばれたマヌカンたちにもこの21世紀に入って急激に「「タトゥー」が
見られることは全くの不思議ではない世界になっている。
「世間」という世界の価値観の違いだったのだろうか?
僕が愉しみにしていた、彼ら、彼女たちの美しい頑張りが集約された今年の夏の出来事、「高校ダンスパフォーマンス」全国予選が、結果見れなくなってしまったのは
寂しくも悔しさも。
2)「僕のこの妄想を”ChatGPT"で聞いてみた、その回答は?」/
僕の今年の夏の妄想を確かめたくなって、 ”ChatGPT"を使って今年の夏の出来事、
「高校ダンスパフォーマンス大会」情報を収集した履歴を紹介しよう。
問/「今年の「高校ダンスパフォーマンス大会」の地方予選などが放映されなかったのは
なぜか⁉️ あのタトゥーが原因か⁉️」/
ー「今年の高校ダンスパフォーマンス大会の地方予選が放映されなかった理由について、
複数の要因が関係している可能性がありますが、タトゥーが問題視されたことが一因として
報じられています。
具体的には、一部のダンサーがタトゥーを見せていたことが、スポンサーや放送局側で
不適切と判断され、結果的に放映が取りやめられた可能性があります。
日本では、特に公の場でのタトゥーは依然として否定的に見られることが多く、文化的な
背景からこのような決定がなされたと考えられます。
ただし、公式にはこの件に関して明確な声明は出されておらず、憶測の域を出ない部分も
あるため、詳細は未だ不明です。また、タトゥー以外にも、予算や放送枠の調整といった技術的な要因が関わっている可能性も否定できません。
この件に関しては、今後の報道でさらに詳しい情報が出るかもしれません。」ー
問/「それなりのスポンサーからの資金も行政からのお金も出ているこのイヴェント、
何よりもがんばってきた参加生徒たちが残念で、悔しいであろう⁉️」
ー「確かに、このような大規模なイベントにおいて、技術的な問題や他のトラブルで放映が中断されるのは非常に残念です。特に、生徒たちは長期間にわたって練習を重ねてきたわけで、その成果を全国に見せることができなかったことは、彼らにとって大きな失望でしょう。
さらに、このイベントにはスポンサーや行政からの資金が投入されており、そのためにも
放送が成功することが期待されています。スポンサーや行政側も、このようなトラブルが発生した場合、今後の協力に影響が出る可能性があるため、しっかりとした対応が求められるでしょう。
技術的なトラブルや配信中断に対して、主催者側からの公式な説明が待たれますが、
何よりも生徒たちの努力が報われる形で再度の放映やイベントの再実施などが検討されるべきです。こうした事態が続くと、関係者すべてにとってネガティブな影響が広がる可能性があるため、速やかな対応が望まれます。」ー
問/「この一件は、あのオリンピック女子体操キャプテンの喫煙問題と同質な、同レベルの倫理観の問題ではないのでしょうか⁉️」
ー「今回の高校ダンスパフォーマンス大会での放送中断に関する問題を、過去のオリンピック女子体操キャプテンの喫煙問題と比較することにはいくつかの共通点があるかもしれませんが、全く同質・同レベルの問題として扱うことは難しいかもしれません。
オリンピック女子体操キャプテンの喫煙問題は、アスリートとしてのイメージや規範が強く求められる立場にある者が、その規範に反する行動を取ったことで、倫理的な問題として広く報じられました。喫煙は、健康や若者への影響を考慮すると、特にアスリートには厳しく禁じられるべき行為とされています。そのため、社会的な反響が大きく、キャプテンとしての責任が問われました。
一方で、高校ダンスパフォーマンス大会での放送中断に関しては、タトゥーが原因で放送が中断された可能性が指摘されています。タトゥーに対する社会的な見方は、国や文化によって異なりますが、日本においては依然としてタトゥーに対する否定的な認識が根強く残っています。そのため、放送基準やスポンサーの意向によって放送が中断された可能性があります。
両者はともに「社会的な期待に反する行為」として問題視されている点で共通していますが、喫煙は健康や若者への影響に直結する一方、タトゥーは文化的・価値観的な側面が強いと言えます。そのため、倫理観の問題という観点では異なる性質を持っています。
とはいえ、どちらの事例も公の場での行動が厳しく問われることを示しており、特に教育機関や公的イベントに関わる場合には、社会的な規範に沿った行動が求められることが共通しています。」ー
問/ 「その後、この一件はどのように進展にしたのか?」/
という問いに、このA.I.である”ChatGPT"は英文でこのように答えた。
ー「今年の高校生ダンスパフォーマンス大会関西地区予選で放送が中止された事件は、
参加チームの一人がタトゥーをしていたことが問題視されたことに関連しているようだ。
日本ではタトゥーは社会的スティグマ(烙印)になることが多い。
この事態は、特に学生たちの多大な努力とスポンサーや公的資金の関与を考慮すると、
論争を巻き起こしている。 この事態は、オリンピック体操チームの喫煙に関する論争のような過去の事件を反映しているが、この具体的なケースは、日本におけるタトゥーに対するより広い文化的な感受性に関係しているようだ。
事件後、この問題は影響を受けた放送セグメントを中止することで対処されたようだ。
しかし、大会全体は予定通り継続され、決勝戦も大きな中断なく行われた。
このような行為が倫理的、文化的にどのような意味を持つかについては、特に公平性や
関係する生徒への影響という点で、依然として議論の的となっている。 」ー
ー参考/英語版の回答原文は以下のものです。
“This year's incident involving the halt in broadcasting during the Kansai regional preliminaries of the high school dance performance competition appears to be linked to concerns over the visibility of tattoos on one of the participating teams. Tattoos in Japan often carry social stigma, particularly in public and professional settings, which might have prompted the decision to stop the broadcast.
The situation has sparked controversy, especially considering the significant efforts of the students and the involvement of sponsors and public funding. While the situation mirrors past incidents like the Olympic gymnastics team's controversy over smoking, this specific case seems to involve more about the broader cultural sensitivities towards tattoos in Japan.
Following the incident, it appears that the matter was dealt with by discontinuing the affected broadcast segment. However, the overall competition continued as planned, with the finals being held without further major interruptions.“
3)「さて、この事態処理はどのように行われたのだろうか?」
「世間」的”詫びと謹慎処分”でそれなりの関係者たちが頭を下げたのか?
あるいは、「業界」的処理がなされたのだろうか?
「安心・安全・快適」社会という「柔らかなファッシズム」の元での「世間」の実態が、
ここでも表層がめくられ、暴かれたのでしょうね。
この現代社会では、「与えられたフレームの中での自由」という”不自由さの自由”を十分に理解しあるいは、させられて享受するしかないのが、「世間」という”現実を知ること。
そして、高校生たちもその「世間」で生きてゆくしかないという狭義な戦後民主主義な世間。
「もっと、トコトン、話し合ってください!」
皆さんの世代であれば、”ラップ”と”ダンス”をボキャブラリーとしてでもいいでしょう。
そして、互いの「差異」を見つけることからそれぞれの”立ち居場所”が確認でき、
その上で、それぞれの「権利と義務」を「話し合う」ことが
戦後の僕たちが、”民主主義教育”によって、”自由”を大切に考えられるだろうと、
選んだ「根幹」だったことをいつまでも忘れない「世間」と「大人」と「社会」で、
そんな「国家」で生きてゆきたいですね。
4)最後に、「僕の想いは、」/
僕は、彼らたちが見つけた、「自分の好きな世界」に掛けて、
一生懸命に努力と頑張りを自分たちの「自由さ」で表現する彼らたちの世界を見ることが、
僕の世界の、”ファッション”に今後、どのような関わりを持ってゆくのだろうか?
彼ら世代は、何にその自由さを求めているのだろうかを
毎年の酷暑の夏に愉しみにしている独りです。
年々、彼らたちの「五感」は素晴らしい世界を創造してくれています。
ファッションにおいては、「コスチューム」と「ユニフォーム」と言う
今、一番”尖った世界”をのびのびと見せてくれるので
僕はとても好奇心を煽られ、勉強になっています。
「どうも、ありがとう!!
"Keep your the Force!!" 」
文責/ 平川武治。
制作 / 2024年08月25日。