平川武治のノオトブログ”The Lepli” アーカイブー13 :初稿/2005年04月20日 +10月31日版
今回は、初稿が2005年4月と10月に書かれたもので、
「東京コレクション速報紙”LE PLI”の発行趣意書とお知らせ。」
そして、この年の秋に行われた東京コレクションについて、
<Le Pli # 1 号/東京コレクション‘06:S/S 評論速報誌>から抜粋記事。
文責/平川武治:
今日のインデクション;
◯追記;「時代が変わるとは?」;追記初稿/令和2年12月30日記
1)「東京コレクション速報紙”LE PLI”の発行趣意書とお知らせ。」;
2) <Le Pli # 1 号/東京コレクション‘06:S/S 評論速報誌>から抜粋;
”Introduction”より;
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◯追記;「時代が変わるとは?」;
以前はよく、ファッション界の人たちは「時代が変わった!」とか、「もう、古い!」という言葉を使いました。この言葉は自分たちのファッションにおける生活の営みにおいての”時代感覚”、所謂「センス」を表現する際に使われるのでしょう。或いは、「新しさ」と言うこの世界では価値そのもののメタファーとしての意味合いも兼ねているのでしょう。そして、今ではこの言葉は殆んどの一般生活人たちが使う言葉になりましたね。
ここにも、「豊かさ」による”価値の変革”が読めるが、しかしこの言葉の”根拠”がどれほど地に足が付いたところからの確りしたものなのでしょうか?例えば「モノが不足していた時代」「自分の部屋が持てる様になった時代」「海外旅行が容易くなった時代」、それに「情報が飛び交い始めた時代」「情報が個人で収集できる様になった時代」、そして「情報が個人で発信出来る様になった時代」など、単純に考えてみても、これらの”変化”は確実に時代を変えましたね。ここにはある種の”生活の安定”とそこから生まれた”豊かさ”の変化が時代の進化を促す”根幹”であり、変わる根拠になっているのでしょう。そして現在では、もう「モノの豊かさ」ではなく、「こゝろの豊かさ」が時代を変革させるまでになってしまいましたね。「モノ」の”量”と”種類”と"安価”だけでは新しい時代は来ないと、そこにはむしろ”時代の退化”と言うまでの時代観を感じます。「コロナ以後」によってこの現実がじわじわと世間に染み込み、令和3年は「Z世代」たちが今後の「時代を変える」当事者となる元年と願っています。なぜならば今年は、”穏やかさ”と”新鮮さ”が何気に大切な気分と時間を齎してくれる年になるだろうからです。
このアーカイブの当時はリアリティとして、「豊かさ」が大きく変化をもたらした時期でした。当然ですが、「時代と寝るデザイナー」がいつの時代にもキラキラ輝けるデザイナーで在った筈でしたが、今では「時代と寝るブランド」群になってしまいましたね。そして、個人レベルで見ると、「時代の気分」を感度よくデザインできるデザイナーが、時折一等星の如く瞬時の輝きを閃かす、そんな時代でした。
この「Le Pli」は会場前で売るという”ゲリラ手法”をやったのですが、実際には”日本の世間”らしく主催者側からの許可が降りず、途中で挫折してしまいました。意気込んでやり始めた僕たちには、この”日本の世間”の不自由さに疲れと諦めだけの体験と、少しの出会いがありました。
文責/平川武治:追記初稿/令和2年12月30日記:
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1)「東京コレクション速報紙”LE PLI”の発行趣意書とお知らせ。」;
10年ほど以前に、この「Le Pli」紙を東京コレクションの私的眼差しの速報紙として発行した経験を、再度今シーズンの東コレより発刊しようと考えました。ファッションを取り囲んでいた時代と環境の全てが、まったく変化し始めた現在。経済、社会、生活と政治さえも、それらがもたらした「戦後の豊かさ」が一様に”新・中間大衆たち”に享受されたという時代性。当然、この現実の裏側に存在している価値観、戦後日本を現在のような社会性、経済性へと導いてきた「将来志向、効率志向、仕事中心」という『道具的手段主義 Insturumentalism』な価値は衰退し、それに代わって、現在中心、情緒志向、快楽志向、私生活中心的な『即時的快楽主義』の価値が現在の私たちの新たな日常性を支配し始めています。(*1ーConsummatorism)
この様な新たな「豊かさの日常性」はグローバリズムの高度な全世界的構造化によってより進化をもたらし、いわゆる「21世紀のリアリティ」がやっと現実的に僕たちの日常生活環境で始動し始めたという"機・気"を大切に、ここでもう一度、東京におけるファッション・デザイナーの世界へ、何のしがらみもなく持ちえた情熱と感情と学習してきたスキルと経験を本質とした「21世紀スタンダード」を基盤に考えながら、永年からの低温火傷状態の現状・東コレへ新たなる一石を投じようと決心しました。
そこで、この東京コレクション速報紙『Le Pli』は編集テーマ;「なぜ、東京のモードは文化の領域へ達し得ないのか?」、編集コンセプト;「ラジカルを読むジャーナリズム」、編集視点;「クリエーション、エステティック、インテレクチュアル、エモ-ショナルそして、ウエアラブル」、再発行の意義;「独創性、現実性、辛辣性、速報性と人間味」。
これらを基盤に今シーズンの東京コレクションを平川の私的レベルと方法によって発行いたします。この一石を投じることによって、願わくは東京のモードが文化の領域へ一歩でも近ずけばの”大いなる思い"を込めて。
/責任編集;平川武治。
(*1)出典;「倫理としてのナショナリズム」/佐伯啓思著・発行NTT出版。
2)<Le Pli # 1 号/東京コレクション‘06:S/S 評論速報誌>から抜粋;
◯”Introduction”より;
やっと、この21世紀も5年が経た今年、世界に肩を並べられるコレクション運営体制が出来たようだ。これが遅いのか、早いのか又、グッド・タイミングなのか?多分、現在の東京のモードの人たちからしてみれば然程関係ないことかも知れない。始まったばかりだから余計そうなのだろうが、この東京のモードの人たちの今回のはしゃぎ様は、外国人たちが僕たちの街を訪れ、彼らたちが眼にし体験した東京そのものが面白く、エキサイティングでありファンタジックであるという確かなリアクションが、彼らたちの街のメディアに取り上げられ、彼らたちの声に押されてその腰をやっと挙げたという観が現実のように思えてならないことだ。又、当然であろうが、2010年以降の中国という國を思うと、このモードの世界の日本も今までのように『俺様然』としてはいられなくなる事を、遅まきながら痛感し始めた結果の行為でもあろう。それに、ここ2年来東京でのモードのデザイナー輩出機能のイニシアティブを取って来た文化服装学園が、現実の少子化現象の余波を当然ながらマイナス影響として実感し始めた結果、ビジネス戦略として多くの予算を投じて「世界の文化服装」という戦略を持ったことにも関係しているだろう。
一体今回の「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が目的としていることは何なのであろう?勿論、最終的な目標は『よいビジネス』であろう。(これがミッションであれば、残念ながら文化庁の管轄ではない。)では、ターゲットは誰なのか?USマーケットなのか、EUマーケットなのかそれとも、チャイナマーケットを中心にしたアジアンマーケットなのだろうか、それに国内マーケットの建て直しも含まれているだろうが具体的なビジネス・ターゲットがファジーでクリアーでない。唯、それなりの公金を使わせてもらって、外国からジャーナリストたちを招待して”東京コレクションとは?”或いは、”東京とは?”を報道してもらうことがこの機のメインミッションなのかもしれない。
現在の日本のファッション風土はデザイン表現力、素材開発力、生産キャパシティそれにマーケット力、そしてファッションエヂュケーション。これらが比較的ハイポイントでまとまった産業構造を、ハイ・テクと情報そしてメディア化によって構築されている。しかし、これらは戦後60年の勤勉な営みの結果、市民の生活環境や情況と同じように中間大衆消費社会を構造化し、具現化させ機能させたその元で、「豊かさ」を享受してしまった、所詮、現在の日本市場向けの規模とレベルとクオリティの現実と情況でしかないことを改めて知らなければならない。(いわゆる、日本人は日本マーケットで十分と言う発想と意識と認識である。)
戦後、60年の結果が「豊かな生活」を享受した日本だとすれば、これからの我々がこの21世紀に求めなければならないこととは?を考えると、それは「倫理在る成熟」化である。単なる、物質的な豊かさからこころある成熟化、即ち精神的なゆとりと穏やかさを「人間同士のがんばり」から求め努めるという心の在り方が必要であるはずだ。僕は現在の日本のファッションの世界にもこの「倫理ある成熟度」が必要だと考える。売れれば勝ち。服に品がなくなっても目立つものを目立つ方法でアピールすればメディアが取り上げそれのみで消費へ結びつくという倫理なき発想がジャーナリストをも巻き込み、品位や品性品格までを感じさせてくれる服がこの数シーズン僕たちの東京から姿を消してしまったようにも感じてしまう。
我々の日常生活に倫理が消え、「悪趣味、風俗そしてメディア」ウケがこのファッションの世界にも堂々と土足で入って来てしまったツケをどうするべきかを考える機会として、この「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が服の表層のみだけではなく服が持ち、現わす社会倫理へまでも、思慮深い一石を投じられる新体制であれば、世界レベルの東京のファッションになりえるだろう。そのためにも、今の時代、構造改革だけではダメである。(時の政府を見れば判るはずだ。)当然であるが、構造を改革すれば、その新たな構造のためのルールが必然である時代だ。この新たなルールに「倫理」という忘れかけられたキーワードをファッションの世界にも是非!!
合掌。
文責:平川武治
初稿/2005年10月31日記:
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