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"The LEPLI" ARCHIVE 125/「Anrealageの事、このデザイナーの本質を確りと書留めておこう。」

文責/ 平川武治:
初稿 / 2014年9月26日:

 遅れて来た『コムデギャルソン症候群』の独り、/
 '90年代半ばから日本人でファッション・デザイナーになりたい人種たちのその多くが、
当時の仕掛けれれたファッションメディアに煽られた、「コムデギャルソンが凄い!」が
そんな彼らたちのモチベーッションであった。
そんな時代を代表するのがこのブランドデザイナーでしかなかった。
まさに、彼も遅れて来た『コムデギャルソン症候群』の独りであり、
一昨日、憧れの巴里コレクションデビューした。
”ごくろうさん!よくここまで突っ張ってやってきたね!!”
 何しろ、初コレクションで、本人も力を入れたコレクションだったのだから。

 ANREALAGEの初ショーは、/
 オーナー兼デザイナーの「業と自己満足」を満足させるものだったようだ。
 所謂『電気仕掛けのマジックショー』。
昔は人間なるマジシャンがすぐれたデザイナーであった時代があった。
が、今ではこの様な機械仕掛けマジシャンや或いは、イメージングの上では
バーチャルマジシャンたちが登場し始めた。
 若いブロガーレベルは喜んだでしょう、内容がそのレベルの驚きをもたらしたのだから。
しかし、確りとコレクションの内容を書きたいというこちらのジャーナリストたち、
プロの連中は少し、結構、引いていました。

 日本の素材メーカーのためのプロパガンダと言う受け取られ方が一つの評価でしょう。
肝心のデザイナーとしての”服”では、その『ネタ元』が読まれてしまったショーでした。
それに、外国人ジャーナリストが少なくブロガーが多かった事も今であろうか?

 ”デス-コンストラクション”が何を今の現在へ提言するのか?
現在の日本社会なのか?世界構造なのか?自身の“ズレ”が時代感なのか?
 ある意味で、”時間概念”をズラす迄をコンテンツとすればもっと、深みが在っただろう。
或いは、ただの”表層のトレンド”か?
 そして、『日光写真』の仕掛けとプロセスを見せてしまったので、
これからの実力とセンスとスキルがどれだけこの街で通じるか?
どれだけ、ユダヤ人たちとの関係性へ即ち、メディアとビジネスへ広がるか?

 バイヤーたちへの手みやげ、『パリ・コレ、客寄せパンダショー』/ 
しかし、待望の「夢」の現実としてのこのショーは、バイヤーたちへの手みやげ、
『客寄せパンダショー』から始めなければならない自分の立ち居場所を自らが選んだのだから
今後は実ビジネスで”売れる、売りたい服作り”のお手並み拝見が今後の本音であろう。
ここが、例えば、”今の売れるSACAI”との実力の違いである。

 この程度の自己満足を満足させるショーは自費でやるレベルである。
この自己満足を継続させる事で次なるステージへ上るためにも、
それ位の企業の奥行きとリスクと責任が必要である。
そうしないと、次からがかなり質が落ちて当然であるからだ。

 しかし、現代日本のモノ作りにおける「何が”ジャポネズムか?”」と言う問いでは、
“素材が面白い”が”モード”レベルではないが、その問いの答の一端にはなっていた。

 「素材ありき」の時代の追い風に乗って。/
 過去3シーズン来、このデザイナーが日本素材の新しさを自分のコレクションに利用する
方法を自分のコレクションの手法のメインとしてしまった。
が、この場合のこのデザイナーの手法は利用でしか無く、
“利用”はただ、単にその日本素材の凄さと言う”情報”を見せびらかしただけの
レベルとテリトリーでしかない。
 この“情報”を自分の立ち居場所で”モード”にはクリエーションしていない。
若しくは、未熟である。これが僕の眼差しである。
 この辺りが巴里と日本の”モードの世界”の現実の視点のレベル違いであろう。
“モード”としてどの様なクオリティあるものが作られるか?
ここがこの街の持っている眼差しであり、その強かさである。
ここに、この街が極めつけとしているのが”エレガンス”と言う”格”である。

 翌日、あるショーでUAの栗野氏と同席した際に話題になり交わした際の『同意』であり、
お互いが長い間この街のモードを見て来た経験からの見解であり、この辺りが、
東京ファッションシーンにおける、最近の”ブロガー”たちとのレベルの違いでもある。

 ここにも「プロパガンダデザイナー」という『コムデギャルソン症候群』がみえる。/
 これは先シーズンもそうであり、僕は彼へ進言した事である。
彼のプロパガンダの根幹は先シーズンと同じであり、進化していない。
今の若者が得意がる,”こんなの僕知っている”レベル、所謂“情報集め”でしか無いのが
このデザイナーの貧しさである。
 “知っている事”と”考えること”は違う。
又、”知っていること”と”創造する事”は全く世界が違う事である。
 遅れて来た『コムデギャルソン症候群』で川久保玲に憧れ、その道を望むのであれば、
もっと深く、彼女が何を”創造”して来たか?を感じその根幹を学ばなければならない。
彼女は、その彼女の立ち居場所を巴里モードにおける30数年と言う時間を費やしながら
”モードの世界を創造”して来たのである。
決して、”情報”だけを見せてはいない。
作られる彼女の作品には既に『品格』が創造された世界である。
残念ながらAnrealageのデザイナーがデザインしたと言う”商品”には
それが未だ感じられない。
とても薄っぺらい、平面な服でしかない。(これは多くの若手日本人デザイナーの欠陥である。
この理由は自身の手を動かしてプロとして服が作れない連中の仕事であるからだ。)
 故に、僕はこの遅れて来た『コムデギャルソン症候群』のデザイナーの今回の仕事は、
『現代日本素材の素晴らしさと凄さ』をプロパガンダした行為でしか無く、
それ以上でもなく、それ以下でもない。
 彼が持ってしまった”自己満足”を焦って、満足させるものでしか無かった
折角のデビューイベントだった。

 最後に、『これは感心すべき事なのか或いは未だ、こんな考えでファッションデザイナーに
収まっていたいのか?』と言う、そもそもの疑問が拭い払えない。
 『もう古く、しんどい考えではありませんか?』
 『未だ、この様な自己満足を満足させたいのですか、なぜ?』
 『多くの善意ある人たちの、他人の褌をかき集めて、この街で"来歴”を作るために
やって来た、その根幹は何なのですか?』
『「モードにおける倫理観」とはを、考えてことがありますか?』

 彼は好奇心の旺盛さと根性を持って、”より、次ぎなる”を求めるであろう。
その時、“May I help you?"と言う彼のこゝろの有り様が
”服/商品”の顔つきになってほしいものだ。
 ご苦労様でした。

文責/平川武治。
初稿 / 2014年9月26日。

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