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雨蛙

今年も梅雨の時期が来たようだ。

この時期、夜になると田んぼが周りにある地域では蛙たちが大合唱をはじめる。
都会に住んでいる人たちにはあまりピンとこないだろうが、彼らは夜通し鳴き続けるのだ。慣れない人には騒音も甚だしいだろう。おかげでなかなか寝付けない…なんてこともあるはずだ。
しかし、目を閉じ何気無しに聴いていると、実に様々な種類の蛙がいることに気づく。
音程やテンポ、声色も様々な種類の蛙がひとしきり鳴いたと思えば、ある瞬間を境に鳴き声がぴたりと止み急に静かになる。静寂も束の間、1匹が再びゲコゲコと鳴き出すとそれに呼応して2匹、3匹…とまた続いていく。小学校時分、音楽の時間に習った「かえるのうた」の輪唱を思い出す。
僕は、そんな蛙たちの声を聴くのが好きだ。

僕の母方の祖父は、僕が1歳の誕生日を迎えて間もなく癌で他界した。
なにせ1歳の時なので、僕の祖父に関する思い出や記憶なんてものはほとんど残っておらず、その人となりは遺された僕の母や親戚から聞かされて育った。
彼は電力会社に勤める傍ら、大工として活躍する一面も持つタフな人だったようで、事実、現在も親戚の住む家屋はもとあった古い建屋を祖父が基礎の部分から改装し建て直したものらしい。
家族アルバムの中に丁寧に挟まれた写真には、薄いグレーの作業着に身を包み、褐色に焼けた顔の中に白い歯を見せてにこと笑う祖父の姿がある。

住んでいるアパートのベランダに、どこから来たのか1匹の蛙がいた。
滑らかな肌の黄緑色の雨蛙。
僕が育てている観葉植物の根元に敷いたしっとりとした苔の上に乗り、身動き一つせずにただじっと座っている。
僕はその雨蛙になんとも言えない懐かしさと、親近感を覚える。
まだ田舎の実家に住んでいた時も、この季節になると必ず1匹の雨蛙が玄関先にやってきていた。母は真剣な顔で、「父ちゃんが来て、うちらを守ってくれとるんや」と言っていた。

先程、祖父に関する記憶はほとんどないと書いたが、たった一つだけ覚えていることがある。
親戚の家の仏間で、僕が1歳になった時にみんなで撮った家族写真。
僕はあなたの腕に抱かれていた。力強くて優しいあたたかなその腕。
その中で、僕は三脚にのせたカメラのファインダーを覗く正面の伯父の姿をぼんやりと見ていた。
すぐ後ろで、「いい子や、いい子や」と呟く声がする。

そんな、記憶。
僕は、あなたが遺してくれたのだと思っている。

いや、それは、いつか見た夢なのかもしれない。その時の写真と別の経験を繋ぎ合わせて僕が勝手に創り出した偽物の記憶なのかもしれない。
でも僕は、たった1匹、喉元を動かしながらちょこんと座る雨蛙を見つけると、不意にその朧なイメージを思い出して、優しい気持ちになれるのだ。

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