見出し画像

雨とヘッドライト

 火曜日の朝8時49分。市営地下鉄の車内は、通勤ラッシュの時間から30分ほど過ぎているので乗客もまばらである。車窓に沿って内側に向かい合うように設置されている黄緑色の座席は、どうやら長い間交換されていないようで、いつかの誰かが残したシミや衣服とのスレで変色している箇所が散見される。僕は、太ももに載せたバックパックのサイドについているドリンクホルダーから、3分の2ほど読み進めた文庫本を手に取ってページをめくる。しかし、今日はなぜか文章が頭に入ってこない。紙からぺりぺりと剥がれた黒く細かい文字が開いたページ上の空間に漂い、すぐに霧散してしまう感覚だ。
 烏丸御池駅では東西線への乗り換えがある。混雑する時間帯は過ぎているとはいえ、この駅まで来るとある程度の人の多さになっている。

 西の終着駅には10分ほどで着く。ホームからの階段を上り、いつもの癖で改札内の奥まった場所にあるトイレに向かうと、紺色の作業着を着た小柄な清掃員のおっちゃんが、3つあるうちの1番左の便器をせっせと掃除していた。少し前に亡くなった、笑福亭笑瓶氏にどこか面影がある。使用する前に一応の礼儀として一言声をかけると、こちらに目は向けず短い返事があった。彼とは3分の1くらいの確率でトイレの中で出くわすので、これまでに何度か他愛のない会話をしている。しかし、いつも「兄ちゃん、今日も暑いね」といったようなあまりにも内容のない会話であったし、僕自身もあまりパッとしないいで立ちなので記憶に残らないのだろう。昨日親しく話していた筈なのに、今日には鼈甲色のメガネフレームの奥に細くなる目や笑うと大きく開く口が全く失われてしまっている。僕だけが一方的に彼に親しみを感じているようで、なんだか恥ずかしいし、残念な気もする。この、他人行儀さの切り替えに馴れていくということも、今いる社会で生きていくためのコツの一つなのだろうか。いや、単に物事を記憶することが苦手な方なのかもしれないな。そんなことに思いを巡らせながら用を済ませる。いつもより時間をかけて手を洗い、手櫛で髪の乱れを整える。もう行かねばならぬ時間だ。おっちゃんを尻目にトイレをあとにする。おっちゃんはやはりこちらに見向きもしない。

 期限が今日で切れてしまうIC定期券をかざして改札を抜ける。オレンジ色のキー・タグのついたコインロッカーや、大判のポスターが壁面に貼られている直線通路を歩き、僕の他は誰もいない地上への階段をいつものように一段飛ばしでのそのそと上がる。御池通りは朝の通勤時間を少し過ぎても、相変わらず交通量が多い。道の片側の複合施設には緑色がコーポレートカラーの著名なバーガーショップと、北極に棲む白い大型動物の愛称がついた庶民的な雰囲気のパン屋が軒を連ねる。名前の長い私大の整然としたキャンパスが道を挟んだ向かい側にあって、黒のバックパックを背負い連れ立って歩く学生の姿がちらほら見える。明け方に雨が降ったのだろう。チャコールグレーのアスファルトの上にはところどころに薄いシミができている。最近気に入って履いている紺のニューバランスが、その冷たい固さから僕を守ってくれている。履きやすさと落ち着いた色味が良いので最近は専らこれを愛用していて、自分の足にも大分馴染んできたように思っている。
 目線をふと上方に向けると、視界の端に見慣れていた街路樹の緑がいつの間にやら秋色に変わっている。頬に触れる空気が去年以上に冷たく感じるのは、単にマスクを身につけなくてもよい生活に戻って久しいからなのだろうか。
 日に日に移り変わる街の風景と決して抗えない時間の流れ。感傷に浸っているのはきっと僕だけじゃない。


**************

 目覚めると、締め切った白のレースカーテンから青白い光がぼんやりと狭い寝室を照らしていた。昨晩眠ろうとした時には、天井の木目を見ていたはずだったのだが、いつの間にかうつ伏せになっている。少しだけ伸びた髭が枕カバーの繊維に引っかかり不快だ。視線をすぐ前に落とすと、なめらかな弧を描いた短い毛が落ちていた。抓んでベッドのすぐ脇に置いてある屑かごへ入れようとするが、先月のいつからか整えていない、長く伸びた爪が邪魔をして上手く掴むことができない。
 重たい足を引きずり、少々旧い作りの洗面所の鏡の前に立つと、幾分かやつれた顔をした痩せた男がこちらを見ている。「随分ひどい顔しとるやつやな」という感想を持つが、それが他でもない自分そのものであるということを理解するのにいつも少し時間がかかる。それにしても寝癖がひどい。すぐ後ろの風呂場でシャワーを使って髪を濡らす。寒々しい風呂場で、俯き、下を向いた顔に幾筋もの水の筋が流れつたい、前髪や鼻や顎の先からぼたぼたと垂れ落ちていく。自分とはなんて情けない生き物なのだろう。

 手入れを怠っているせいで、本来の黒色がところどころ色落ちし、緑青が浮き出たようになっている安物の革靴に足を突っ込み、玄関のドアを開けて外に出る。少し前まで湿気のこもった暑苦しい大気と盛んにわめく蝉の声が朝の時間をも支配していたはずだったのだが、鼻の奥に感じる空気には冷たさを感じるし、家の脇の水田に豊富に実っていた稲穂はどこか僕の知らないタイミングでごっそりと刈り取られている。
 最寄りの地下鉄駅前には、四車線の道路を挟んで名門私学の瀟洒なキャンパスが広がっており、校庭(というかもはや何かの競技フィールドと言った方が的確だ)には鮮やかなグリーンの芝が敷かれている。自分がそこに通う学園生活を想像してみるが、なぜだか気持ちが悪くなってすぐにやめた。地下へ降りるために入り口に近づくと、そこに通っているのであろう子どもらが無機質なつくりの地下鉄の地上出口からぞろぞろと湧き出てくる。雑踏のおかげで薄汚れたタイルには、芝と全く同じ緑色をしたカメムシが羽を乱して小さく潰れていた。
 誰がなぜそのような作りにしたのか、構内には200mほどの直線通路がたった一つしかない改札へと伸びており、その気怠い灰色の空間を無感情に歩かなければならない。どうにも我慢ができなくなり、家を出る直前にスラックスの右ポケットに無造作に突っ込んだ白いコード式のイヤフォンを取り出し、両耳に嵌める。スマートフォンの音楽アプリを操作し、くるりの「ジュビリー」を流したが、選曲にこれといった意味はない。つまるところ、この息苦しい空間を埋めてくれるのならなんでも良かった。これから同じようにどこかの職場へ仕事に向かうであろう人たちに混じり、同じような歩調で足早に歩く。この朝早い時間から、1人の老人が改札窓口の駅員に対してなにやら喚いていた。

 忙殺の10時間。今日も仕事を終えて、帰路につく。朝、スマホの天気予報アプリで見ていた通り、雨が降っていた。履き古して底の擦り減った革靴は、濡れた路面を歩くのに適さない。つるりとしたタイルの貼られた歩道や鈍く光るマンホールを避けて、頼りない骨組みの安物の折り畳み傘の中で猫背になりながら、最寄り駅までのしけた道を急ぐ。
 暗い夜の闇の中では何も見えない。自分の吐息が不織布で作られたマスクに当たり、眼鏡のレンズが曇ってきた。自分が今どこにいてどんな状態にあるのかさえいまいちわからなくなる。それでもなんとか足を動かしてしばらく歩いていると、乗用車の淡い肌色のヘッドライトが前から近づいてくる。そのやわらかな光に照らされた時に僕ははじめて、身に注ぐ雨の程度を知る。

***************


 大学生活が終わって数年、着慣れないスーツと革靴で歩んだ社会人としてのぎこちない日常。そんな、際限なくつづく濁った空の雲間にふと差し込んだ陽光のような日々。その光がいつもそうであるように、色鮮やかな時間はやはり限られたものではあったのだが、僕はそのやわらかな光線を全身に浴びて伸びをして、陽の暖かさとありがたみを肌の細胞一つ一つに記憶させた。これからの時間を前より少しでも強かに過ごしていくためのお守りとなるように。いつかまた空が曇りがちになってきた時には、そっと手を添えてまたその暖かさを思い出そう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?