これまでのDJキャリアとBoilerRoom出演とその後のメタバースの進化
高校時代はちょうどDJブーム全盛といった感じで、附属校だったのですが各学年後にHOUSEとHIPHOPのDJが数人いました。
高校時代は、HIPHOPのDJをしていました。今もある青山Φや渋谷ASIA、Harlemといったクラブで、HIPHOPの元ネタとなるようなジャズやフリーソウルのイベントを小林径さん達とやったり、並行してラップグループを組んだりしていました。
ニートTOKYOの主催でありラップスタア誕生の審査員でもおなじみだったSEEDAや残念ながら若くして亡くなってしまったDown North CampのTAMUなども参加していたマニューバーというグループで池袋BEDや池袋マダムカラズなどのクラブでよくライブをしていました。
その後、大学生になるとyapanology(w/spit tb303)やTyme.+Taps、ZEFR(w/monolith)と言った複数のユニット活動を行うようになりました。
ちょうど昨日このmonolithがドミューンで出版記念の配信をしていましたがこの時期は今の一線級のDJが高円寺グラスルーツとか恵比寿ミルクとかでみんな同じ場所にいて切磋琢磨している時期でもあり、すごく楽しくもありカオスでもある時期でした。
また、その頃に大学キャンパスのイベントにシンゴくん(Shing02)を呼んだ縁で彼のジャパンツアーや日比谷野音のイベントでDJもやるようになりました。浅野忠信さんとシンゴクンとでセッションしたり、とても楽しい経験を沢山しました。
また文筆活動も結構この時はやっていて、友人たちとコライダーやマッサージと言った音楽カルチャー誌も出したり、クイックジャパンで連載持ったりしていました。
その後自分はラップグループ時代のメンバーでもあったeguoことVideo Bouillonと冒頭のYouTube動画にあるboiler roomの出演をしたユニット活動をして動画も映像も作り、配信とかにのめり込んでいきました。ニートTokyo で質問作ったりしながら割とYouTubeとか配信とかをここ数年は友人の力も借りてやっていました。
ここ最近は急激にメタバースの話が出てきて、身の回りでもVR配信とかをする友人が増えてきたなと感じています。私もこの領域にきちんと自分の技術で根ざさないといけないなという危機感を持っています。今年のテーマの一つです。
やっぱり自分はこういった音楽活動を通じてテクノロジーのキャッチアップを楽しんでやってきたと思うし、今後もやっていかないといけないなと肝に銘じています。