リングに上がるように言葉が迎え入れられる
むずかしい
こんなことを、漏らすのも、気が引けるけど、
読んでくれる人や、頭で想像する周りの人たちに通じると思える言葉をさがしたらこれになった。
うまく、正確に、言葉を発しようとしてきたんだけど、その伝えようとする相手をわたしは、見た目とか、話し方とか使う語彙の多さとか、そういうもので規定してきた。相手の位置を決めて、自分のものさしで作られた世界のその位置に届くように書いたり喋ろうとしてきたんだと思う。
うまく正確に、私の中で渦巻いているものを形にするには、うまくて正確でなければいけなかったのか。それ以外のものは、どこへ行ったかな。今ごろ、宇宙のゴミと一緒に廻っているかな。
でも、今はすこし、見え方が変わっているような気がした。「むずかしい」なんて言葉が、大切に思えた。これまでだって感情をそのまま書くことはあったけど、体内で濾過されていないものを垂れ流しているように思えて苦しさがあったから、不思議な変化だ。
なんだか、ステージとかプロレスのリングに自分が立って、私が言った言葉をまわりで、知った人たちがわーっと迎え入れてくれるような、そういう場面が浮かぶ。
言葉を発しようとする私の心を周りの人がすこしずつほぐしてくれて、言葉それ自体ではなく言葉を聞く耳、見る目、受け取る心が変化しているんじゃないかなと思う。それで、自分の言葉を大切に思うようになっている気がする。
順序があると思っていたし、間違ってはいけないと思っていたけど、話したいことから話したら良かったということなんだろうと思う。相手がいることだから慎重になっていたんだと思うけど、自分の心から遠くなっていたかもしれない。「うまく、正確に」相手に伝えようとしていたけど、形ばかり整えようとして、伝えたい気持ち、中身を見ていなかった。恥ずかしい。
今日は以上です。