推し活ビジネスとバナイベ/Vライバーは「偶像」か?
トップバナーチャレンジ(通称バナイベ):IRIAMライバーにおける登竜門とも呼ぶべき存在。初配信から約1ヶ月後に行われる。上位に入るとインタビューがあったり、ホーム画面のトップに載ったりする。
このバナイベのために配信人生を賭けて散る人も多いくらいIRIAMでは大きな立ち位置となるイベント。バナイベで燃え尽きてやめていく人の多さたるや。
実際に箔が付くというよりも、このバナイベを通じてガチイベ準備のやり方や「推し方」を学ぶことに意味があるように思う。報酬自体は、かかるお金の割に大きくない。それなら機材イベとかLive2dとかのほうがよっぽど費用対効果が高い。100万を払ってIRIAMのホーム画面にいちばん大きく載る。
でも、ここでデビュー1ヶ月の子を応援してきたリスナーは推しの「推し方」を学ぶのではないか?
推しを応援する。応援した推しが順位を上げる。「ラスラン」では、最後の数分間それはそれは美しい光景が見られることも多い(高額ギフトが飛び交い、『ファンサ』が歌われ、イベント順位はくるくると入れ替わり、悔し涙を流す推し、嬉し涙を流す推し、楽しそうな推し……)。
それはうつくしくて、それでいてグロテスクである。
だってそのお金のほとんどは推しに送られるわけではない。ほとんどはIRIAMという会社に中抜きされていく。それでも彼らリスナーは推しのためにお金を使い、ライバーは本気でイベント準備をする。
推し活ビジネスは不況の世の中に蔓延する。自分の人生の一部を推しに預けて、がんばっている推しを見て自分も頑張っているように思う。そこには人生を共有している感覚がある。
自分の生活費の一部が推しに消え、推しはその一部を使って喜怒哀楽を消費される。一挙手一投足を切り売りして、消費されていく。人生をだれかに消費されることは気持ちがいい。自己は分散し、「わたし」を推す「あなた」の中に、入り込む。
「わたし」は「あなた」です。
私を覗く、ライバーを覗く、配信を見ている、「あなた」。あなたの中にわたしは分散する。ライバーのかけらはあなたに残り、ライバーがバナイベで燃え尽きても残り続ける。
ライバーが喜怒哀楽を消費してくださいと言わんばかりに、しらすまんチャレンジ(:IRIAMにおける企画のひとつ。しらすまんと呼ばれるギフトをスクショできなかったら罰ゲームを受けることが多い)をする。悲鳴を上げる。あなたはライバーの喜怒哀楽を消費するために、ライバーにお金を使ってしらすまんを投げる。そのときあなたはライバーに自己を委ねている。
Vライバーはどこにあるのか?
Vライバーが存在している間、彼/彼女らの「中身」はどこに存在するのか。
彼らがコメントの合間にエピソードトークを語るとき、どこまでが本当でどこまでが偶像かリスナーには知ることができない。Vライバーがバーチャルな存在である限り、彼らの真実は彼らが語りうる中にしか存在しない。バーチャルライバーは、本当にバーチャルだろうか?
わたしはあなたの一部になりたい。あなたはわたしの一部になりたい。
推し活は、あなたとわたしがひとつになることです。ライバーを推すことは、あなたが偶像を消費して、偶像を「偶像でなくす」ことにこそ目的があるのではないだろうか。彼らを食べ尽くす。彼らを侵食する。彼らをしゃぶり尽くし、骨を啜り、味がしなくなるまで。そして燃え尽きた彼らはまた次の、自己の消費のされ方を探しに行くのだ。
どうか偶像も最後まで愛しましょうね