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振り返れば…稽留流産2回目まで
1年間で3回の流産をするとは…
2020年を振り返ったときに、新型コロナの恐怖や自粛の辛さなど、あまり良くない一年とする人が多い気がする。
私にとっての2020年は、「流産イヤー」としか言いようがなかった。
2020年を表す漢字も「流」の一択。
まさか、1年の間に3回連続で流産とか、治療を始める前は想像もしていなかった。
きっと、治療中の皆さんは、それぞれいろいろなところでつまづきを感じるのだろうな。
採卵、胚盤胞、移植、着床、妊娠継続…
私は、間違いなく、妊娠継続の壁が越えられない。ここでつまづくんだ、と自分でも驚いている。
あらためて、ざっくり経緯
・1回目/1月/化学流産/初期胚移植
・2回目/6月/稽留流産 7週/胚盤胞移植4BB
・3回目/11月/稽留流産 8週(胎芽・心拍確認)/胚盤胞移植4BC
(すべてクリニック・ドゥ・ランジュ )
まとめると、こんな流れ。
少しずつ前進はしているけれど、その分、悲しみも増えていくわけで。
無知によってわき起こった期待感
1回目の稽留流産は、初めてだったし、それはもうショックも大きかった。
今、振り返ると、1回目の胚盤胞移植は、最初から無理めな気配だったのだよね。
判定日(DT7)のhcgも低かったし、胎嚢も本当に小さなままだったし、可能性はゼロに近かった。
でも、期待しちゃった。
ランジュの院長も最初から「継続の可能性は17%」と言っていた。
だけど、何もかも初めてでよくわからないから、
ダメと言われない=診察に呼ばれる=望みがあるのかもしれない
と勝手に期待してしまったのが、とにかく良くなかったと反省したわけで。
漫画みたいに、あの時の自分に何か言えるとしたら、
「hcgの平均値や胎嚢の平均サイズよりも小さかったら、大体無理め」
「診察が続いたとしても、妊娠継続するとは限らない」
「奇跡なんて、そう簡単に起こらない」
ということ。
ランジュ の女医さん-笑い方が特徴的で、チェシャ猫みたいな人-に
「言霊があるから、マイナスなことは発言しないほうがいいですよ」
とたしなめられたけれど、今なら、むしろその言葉が呪いとなって、正常な判断ができなくなったじゃないか、と反論したい。
とにかく、前回の反省を受けて、二度目は絶対に過度な期待はしない、と心に決めたのに…。
人は期待を抱かないと生きていけない生き物なのだろうか…。