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zoom自習室、やりました(2回目)
先週、2回目の突発zoom自習室を開催。
ちなみに前回の様子などはこちらから。
今回のスケジュールはこんな感じ。
誰がために鐘は鳴る
今回は、前回を踏まえて、もう少しメリハリをつけてみたいな~と思って、自習時間と休憩時間の合間にチャイムを導入。
PCを2台操作して、1台でzoomを繋いでホスト、1台で作業をしていたので、作業用PCでチャイムを手動で鳴らすだけ。
すごくお手軽だけど、チャイムの威力たるやすごいもので、まず大人が反応する。
「あっ、チャイムwww」
みたいな。
前回の話を聞いてくれて興味をもってくれた人がちらほらいたのか、時間とともに入室者も徐々に増えて、最終的には8~9組くらい。
おおきくなるほど、芽生える羞恥心?
今回参加のおともだちは、小学生が多めだった。
彼らと休憩時間中におはなしをしてみてなるほどな~と思わされたのが、年齢があがるほど、最初は戸惑いも大きくて、画面に映ろうとしないこと笑
ちいさなおともだちほど率先して、休み時間にパンを食べるところをアップで見せてくれたり、お気に入りのおもちゃを見せてくれたり。
大人になるってことは羞恥心の芽生えでもあるのかなぁ、なんてこっそりいろいろ考えてみたり。
でも、2コマ目が終わってからの最後のひとことでは画面に入って来てくれて、
「scratchやったよー」←最近のお子様はほんとすごいよね。
とか、
何もしゃべりはしないんだけど、成果物をドアップで見せてくれたり←ドヤァって感じが超かわいかった。
とかとか。
羞恥があっていい、ひとりで立てなくていい
休校が延長に延長を重ねている東京近郊では、
「教育とは」とか、「これからの学びの場を考える」とかみたいな論調を最近特によく聞くようになった。
それだけ、今の学校側の対応にもやもやを抱えている人が多いのも事実だろうと思う。(私がzoom自習室を始めたのもそれが理由のひとつでもある)
だけど、とりあえずこういう場を作ってみて、親でもなく(私には子供はいないので)、教師でもない私が感じるのは、とりあえず繋がってみる場っていうものの大事さ、なんだよね。
親でもないから、教師でもないから、外から言いたい放題言える身軽さはもちろんあると思う。
でも、それを抜きにしても、みんなでとりあえず顔を合わせて、お話ししてもしなくてもいいから、同じ時間を共有して、最後に笑顔でさようなら。
あれ?それって、学校でも多分そうだったよね?
授業があって、給食があって、おともだちがいて。
でも全員と話すわけじゃなくて、授業を熱心に聞かない子もいて、給食がそんなに好きじゃない子もいて。
そんなことは、どこの学校でも起こってたと思う。
長い長いお休みが明けて、からだがびっくりして体調を崩す子がもしかしたら出てくるかもしれない。
がっこうに行くことそれ自体がストレスな子が出てくるかもしれない。
そうなったときに必要なのは、これまでの遅れを取り戻す座学の勉強ではなくて、これまでの繋がりを取り戻す笑顔やおしゃべりの練習だったりするんじゃないかな。
自立、をみんなでやるのはなかなか難しい。
でも、自律はみんなで一緒にチューニングしていくことができると思う。
withコロナの期間がしばらく予想されるからこそ、自律支援はこれからとても大事になってくる気がする。
おわり。
伏せスタンプだらけの集合写真はこちら!