【研修雑感】DIVER SITY WS所感
『DIVERSITY WORKSHOP 04 聴覚障害者が熱狂するエンタメコンテンツを共創する』に参加してきた。
以下は個人的感想。駄文。
イベント概要:https://www.facebook.com/events/545608219280655/?ti=icl
イベントに対して、ざっくり一言で私個人の所感を提示するなら、
「聞こえなくても、喋れなくても会話を楽しめるこの時代に、それでも私は、あなたと話がしたいのです」
なのかなーとか。
某結婚準備総合サイトの「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」のパクリだけど。
でも、「熱狂するエンタメコンテンツを共創する」過程で感じたのは、まさにこれ。
さて、WSのメニューはこちら。
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01.声を出さずに自己紹介
02.喋らずにチーム分け(血液型・誕生日順・出身地)
03.01.02.を通した気づきのフィードバック、共有
04.今日作ってもらいたいコンテンツの提示+チーム再編成
聴覚障害者の夢
●修学旅行の「夜の恋バナ」を楽しみたい!
●「筆談」を楽しい体験にReデザインしたい!
●「お化け屋敷」をもっと怖がりたい!
●アナウンサーになりたい!
05.ブレストとプレゼン発表
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なお、各グループにはそれぞれひとりづつリードユーザーとして聴覚障害者が配置。
提示された夢は、その方たちが叶えたい、と思っていること。
約2時間強のブレスト等を経てプレゼンされた内容はこちら。
というわけで前置きは終わり。
以下、私というフィルターを通して見たもの。考えたこと。
まずプログラムについて。
01.02.は導入部、03.からが本当の自己紹介。
フィードバックをし合うことで、お互いの本当の価値観の一端をさらけ出すことになるよね。
ここまでできたから、だからこそようやく本題にはいるぞ、っていう04.
あなたの価値観が楽しいと思うことに取り組んでね、だからチームは再編成するよ、という。
そういう運営側の意図があったのかな、など。
じゃあ、実際の参加者はどう動いていたのか?
一応、テーブル上にはコミュニケーション代替ツールがいくつか用意されている。
付箋とか、アプリとか。
だけど意外にも筆談+ジェスチャー多め。あとは読唇かな。
この辺は「視線を合わせない」文化が結構影響なのか、リードユーザー(聴覚障がい者)は相手の顔を見ようとする。一般参加者は文字を見せようとする。
それでも、自己紹介が進むにつれ、少しづつアイコンタクトの分量が増えてくる。
ただ、基本的に逸脱したコミュニケーションパターンを取る人はまだおらず、周囲を見渡して、周囲と同じコミュニケーションパターンでのやり取りが続く。
02ではそれをさらにテーブル外へ波及させて、全体でのコミュニケーション作りのフェーズ、という感じ。
あとから振り返って思ったのは、ここのチーム分けで、「職業別に分かれましょう」という指示があったら、もしかしたらこのあとのプレゼンへの影響も多少あったのじゃないかな?ということ。
メインコンテンツとして掲げたものが「共創」なので。
自己紹介フェーズにお互いの「私的嗜好」と「公的特性」を周知・共有する余地が入り込むのも面白かったのではないかな~などなど。
さて、『口』というコミュニケーションツールを奪われた状態で、別の共通言語構築のために効率的なのは何か?
初手はもちろん模倣だと思う。
でも、じゃあどの段階で試行錯誤に至るのか、あるいは気づくのかな、というのが少し気になっていて、それが発露したのが03のフェーズだった。
ここはざっくりと慣らしでやってきたコミュニケーションから、グッと個にフォーカスが当たり始めるターニングポイントで。
テーブルごとのリードユーザーは、それぞれ<聴こえ>の程度が違う。
聴こえ方が違うから、慣れた表出方法も違う。
01,02は他人ごとを自分ごとに置き換える仮想体験だったけれど、03は『共創』に向けてリードユーザーに寄り添う必要が改めて出てくる。
その中で、自分が仮想体験で感じたことと、他者の感じ方、どうやら共通する部分もあれば、そうではない箇所もあるよねっていう気づき。
じゃあ、自分のテーブルにいるリードユーザーとのコミュニケーションはどう行うのが最適解なのか?
ここでとりあえず筆談、とりあえずジェスチャーの文化から、試行錯誤の余地が生まれた感じ。
このターンになると、リードユーザーとコミュニケーション取らなきゃ、っていう具合に、リードユーザーに視線が集まることがとても多かった気がする。
あとはブレストブレストで共創を回す話す、回す。
前回の視覚障害者を熱狂させるイベント(私は不参加のため参加者から聞いた所感)では、考え方として、視覚障害という弱みをいかに強みに変えるか、その個性に着目する考え方、武器を磨くアプローチが主だった。
でも、聴覚障害者を熱狂させるアプローチで同様の手法を用いようとすることは難しいように(外から見ていた私は)思った。
なぜ難しいのか?
視覚障害と比較して、聴覚障害には日常生活上の大きなデメリットがほとんどない。
デメリットの大半は、外界の音が遮断され危険予測がしづらいこと、あるいは、コミュニケーションの速度にラグが生じること。
障害の程度によって日常生活が要介助となる視覚障害者とは、そもそも困難の程度が違う。
だからこそ、見方によっては、喋らなくて済むなら、それはそれで構わないのでは?聞かなくていいなら、別に聞かないままでも良いのでは?端末一つあればそれを覗き込んでコミュニケーションが成り立つこの世界で、今さらわざわざ喋ったり話を聞く必要ないんじゃない?という解釈も成り立つ。成り立ってしまう。
冒頭の、「聞こえなくても会話を楽しめるこの時代に、それでも私は、あなたと話がしたいのです」、は、そういう思考の果てにフッと浮かんできた。
だとしたら、必要なのは弱みを強みに変えることではなく、弱みという個性をそもそも考えない、あえて人と話さない、あえて人の話を聞かないサービスコンテンツの提供こそが、同調圧力と空気を読む文化圏からの脱出として楽しめるのでは?
というのが私の『共創』の着地点。
楽しむなら、悪手も試してみてなんぼ、くらいの意識のほうがきっと面白いものが作れるのかな~と。
まとまっているかはわからないけれど、アウトプットという目的は果たせたのですっきり。
ちなみに、上記を踏まえて、
・注文を聞かない料理店:メニューは渡されるけど、あとは読唇と表情で勝手にご飯が提供される
とか
・サイレント相席居酒屋:卓上のコミュニケーションツールや店内独自ルールに従って好意を伝え合う
とかあったら楽しそう!とおもいました、まる。