自己投影だとか二次オリだとか
最近、夢主のオリジナルキャラクター派と自己投影派と明確な区分けを考察して欲しいというお話がありました。
※夢主オリジナルキャラクター派と打つのは面倒なので以下オリ主派と明記します。
まず最初に一言
は~~~~親の顔より見た内紛~~~~~
そもそも区分けって雑多にある情報を整理して自分へのストレスをなくす行為だと思っています。
情報を整理したことにより自分が何者であるか、好き嫌いを自覚したり、仲間を見つけやすいという利点もあります。
そういった区分けの基準があれば棲み分け、自治等しやすいですよね。
でも私は強制力を持った人間でもないので、こういう考え方がありますよ、という提案だけこのnoteにまとめておきます。
夢ジャンルにいると気軽に自己投影って言葉出てきますけど、本来の意味の自己投影なのかもうわからないです。
感情移入、共感、自己実現、インナーチャイルドをあやす、能動的消費、イマジナリーフレンド、タルパ、みたいなここらへんの単語で説明出来ることを全部まとめてガバガバな判断してる人多そう。
他人の創作を見て自己投影ソムリエする人、私は結構嫌いです。
夢主自己投影派とは?
・夢創作を読み、夢主を介して共感、感情移入をする派
・読み手が自己投影できるように夢主を没個性にする派
・夢主に夢創作者の理想及び、現在の姿や考えを投影する派
オリ主派とは?
・夢主(オリジナルキャラクター)は作者のものであり、共感、感情移入を許さない作者
・夢主に個性がある(夢創作者の理想、好みを投影し、詳細に描写する)派
・夢主に名前がある派
・夢主の描写が自分とは別個の存在なので第三者として見守る派
ここまで考えられる限り列挙して分けましたけど書き手と読み手の意見ごっちゃなんですよね。
様々な方の意見を調べて要素をここまでまとめただけでも褒めてください。
※間違ってたり他にもあったらこっそり教えてね。
恐らく言及することによって自己投影夢主かオリ主か、という話でなく夢創作か二次オリか、という話になってくるとは思います。
論点になるのがまず自己投影の可否です。
書き手が自己投影して出来た創作なのか?
読み手が自己投影してもいい創作なのか?
現状、夢か二次オリかの区別がはっきりしていないので、自己投影どうぞ!だの、この物語に勝手に自己投影しないでください!だの作者が注意書きなんかつけないしわかるわけないんですよ。
更に読み手への自己投影をさせない夢主がいれば二次オリです。このさせない、というところが非常に厄介です。
私は絵を描くのがメインなので夢絵を描く想定でシミュレーションしてみます。
読み手に好きな姿を投影してもらう為に夢主を白ハゲ全身白タイツにするぞ!
白ハゲはシュールだからいや。姿つけて。
全身のデザイン決まってても目が描かれてなきゃ大丈夫です。
だから全身映るように描写しないでって言ってるじゃん1人称視点にして。
手だけでも駄目だって言ってるだろ?
私はどんな姿でも自己投影できるので!
絵で表すの難しいですね。じゃあ感情移入しやすいように小説にするね……
この夢主私と考え方が全然違うから自己投影できないです。
この夢主、我が出過ぎじゃないですか?書き手として夢小説と思えないです。二次オリ。
わたし、じゃなくて一人称アタシですアタシは。
名前のところ○○って抜くんですか? 名前変換しないんで受け入れられません。
もう好きにせぇ!!!自分で書け!!!船頭多船山登さん大集合!!!!
読み手が自己投影出来ないって本当に不確かな言葉ですね。どう線引きしたらいいか誰か教えて。
夢主の見た目で線引きしようとしても船頭多船山登さんのおかげで基準わかんない……。
それから夢主に名前があっても読み手に自己投影、感情移入許してる作品はどっちなの……。
作者が夢主にバリバリ自己投影してて読者介入不可な創作は、作者が書き手としても読み手としても自己投影してるけど二次オリになるの? どう表記したらいい?
消費の観点からのみ物を言ってるのかと思いきや、読み手に夢を見させることこそ夢創作である、と強いこだわりがある書き手もいる。
無個性無個性言っても作者の自己はなかなか消せないと思います。存在を透明にするテクニックあったらその技術をまとめた記事教えてください。私もやりたい。
夢創作なんか自分の欲求を作品にしてあまつさえ公開しているんだから、言っちゃえば作者以外から見たら全部二次オリなんだよ。自分の為の二次オリを誰かがするのであれば、それは作者にとっての夢創作で、他人から見れば二次オリなのです。逆もまた然り。
結論:外部で基準を設けて議論するより、自分の中の好き嫌いを区分けして許容範囲を自覚しましょう。
夢創作は作者の能動的消費行動の末に出来たもん。
※妥協案として夢主の個性(名前の有無、見た目の線引き)についてのアンケートや多数決で解決できるかもしれません。が、意見が偏りやすいことと、夢創作だと思って作ってる人を強制的に蹴っ飛ばす乱暴な行動を私はしたくないです。するとなるとかなりの苦労が考えられます。
夢と二次オリの線引きは明確なデータや数という根拠がないと、思い出と感情論での戦いになると思います。
終わりに
私はどんなに自分が受け入れられないインフレ最強能力者の夢主であろうが、設定も何もかも決まっていてお前の為の物語じゃないオリ主であろうが、長年の夢小説矯正ギプスによって感情移入しようと思えばできます。
創作の出発点って、自分が楽しく思ったこと、好きな事を愚直に書き綴ることだと思うので、夢創作者、二次オリ作者のみなさんは最初にいいと思った気持ちはずっと持ち続けて創作を続けて欲しいです。
もちろん、読み手の人にも夢を見続けて欲しい。
夢を見ている夢者のみなさんに幸あれ。