「冥府の神ハーデース、婦女強奪の顛末」
天空に青空が広がるなか、黒雲に包まれた馬車が疾駆します。
馬車の辺りをアップにすると、引き止める従者たちをものともせず、美しい女性を強奪する様子が見えてきます。
さらにアップにすると、女の抵抗で男の首があらぬ方向にねじれているのが分かります。虚ろな表情がとても不気味です。左手で肩を掴み右手で足を抱え上げ、身動きを取れなくしています。
これはレンブラント・ファン・レインの『ペルセポネーの略奪 1631』という絵画です。ペルセポネーは豊穣神デーメーテールの娘で、男は冥府の神ハーデースです。
母娘二人の女神は季節の管理をして静かに暮らしていました。
娘は大変美しく言い寄る男も多かったのですが、母親のデーメーテールが側に寄せ付けません。ペルセポネーはゼウスに手篭めにされて生まれた娘だったので、デーメーテールは大の男嫌いになっていたんです。
そこへ突然、不気味なハーデースに娘をさらわれたものだから、デーメーテールは半狂乱に陥ります。
季節の管理も放り出し、農作物は壊滅状態になりました。
この誘拐事件、ハーデースだけが悪いのではないのです。ペルセポネーの父親であるゼウスに、前もって結婚の承諾は得ていたのです。
それを知ったデーメーテールは、
「こらゼウス、うちの娘を勝手に嫁にやるんじゃねーよっ!」
と抗議に行きます。
「ご、ごめん姉ちゃん⋯⋯」
上の絵では松明みたいのを手にして殴り込んでますね。
神の王といえども好き勝手にはできないようで、ペルセポネーを連れ帰るようヘルメースに命じます。
レンブラントの絵では不気味な誘拐犯として描かれているハーデースですが、ペルセポネーを連れ去ったあとは意外と紳士的だったようです。
やがてヘルメースが迎えに来るのですが、
「最後にこの柘榴を四粒だけ食べてくれないか?」
とハーデースに乞われても素直に食べてしまいます。
ようやく母娘再会となったのですが、やはり先程の柘榴はただの果物ではなかったのです。
実は冥府の食べ物を口にすると、地上では生きられない体になるのです。
柘榴は全部で十二粒あり、そのうち四粒食べてしまったので、一年のうち四カ月は冥府で過ごさなければならなくなりました。
こうしてペルセポネーが地上に戻ると春が訪れ冥府に去ると冬が訪れ、そこから「四季が生まれた」という豆知識なオチで物語は終わります。
しかし、どう考えても何かありそうな食い物を素直に食べてしまったペルセポネーはどういう心境だったんでしょう?
ぼくの推測では、
──ふうむ、わしの娘もそろそろ親離れしたそうじゃのう⋯⋯。
と察したゼウスが、
「なぁ兄ちゃん、うちの娘をかっさらって嫁にしてくれんか?」
「えっ、まじで?」
と言うような密談があったと思うんですよね。
男嫌いの母親のせいで、お年頃の娘がボーイフレンドひとり作れなかったわけですから、意外と優しいハーデースのところに残りたい気持ちが働いたに違いないのです。
その後のペルセポネーは冥府の女王として君臨しますが、ハーデースの愛人メンテーを草(ミント)に変えたり、美男子のアドーニスをアプロディーテーと取り合ったりと、やりたい放題に暮らしていたようです。
やはり若い嫁をもらうと、甘やかしてしまうんでしょうかね?(了)