死ぬ死ぬ死ぬわたしが死ぬ
「それはそう」
という言葉が好きではない。高校時代に所属した部活で散々聞いたフレーズだ。
私の通っていた高校はかなり自由な校風で、部活動加入率が100%を超える、いくつでも兼部が認められる学校だった。まだ夢をリュックにつめて登校していた高校1年生の4月(5月には周囲のレベルの高さを知ることになり絶望する)に、わたしは3つの部活に入った。生徒会、図書委員会(お菓子食べてるだけ)、そしてクイズ研究部。あー、あのクイズの番組出てたとこ?そこです。という会話をしたことがある程度には、クイズで名の知れた高校だった。某クイズ系YouTuberをよく見ていた私は自然の摂理かのように、クイズ研究部に入った。楽しかった。最初に出た1年生のみの大会も、部活動も楽しかった。授業中には問題集をこっそり読んだし、部員と休日に遊びに出かけることもあった。楽しかった。でも私の飽き性もあって、だんだんクイズでは飽きたらずいろいろな部活に顔を出すようになった。
弱くなった。
元々強かった訳では無い。弱いなりに楽しかったはずなのだ。問題集の「読み込み」を人よりサボったから弱くなった。当たり前のことだった。強くなりたいという願望はそこまでなくて、実際のところはここのメンバーとずっと仲良くしたいだけだったのだ。わたしは本気で取り組む部活というものに向いていないとハッキリわかった。だから「クイズじゃない」と嘲笑気味に言われた全国の高校生が集う日テレ系列の番組には、周りが参加していなくても参加した。楽しいのが1番だった。
冒頭に戻そう。「それはそう」というフレーズは、早押しに勝ち正解した人に、早押しで負けたがこたえが分かっていた人あるいは傍観者が良く発する。ずっとこの言葉って怖いなぁと思っていた。
「それはそう」
正解に対して賞賛でもなく、どこか上からにも聞こえる、「そんなものは知っていて当然ですので」という言葉。正解した時にこれを言われるのが無性に嫌いだった。それはそうって何だ?怖い。知らなかったら無知の烙印でも捺されるのか?わたしがコアな問題に正解して「それはそう」って言ったらどう思うんだろう。そんなことを高校の頃からずっと考えている。
ただの愚痴だ。
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卒業式の袴の前撮りに行った。緑寄りのブルーに、紫の袴。我ながらかなり似合っていると思う。その日にあったどこにぶつけていいか分からない気持ちの話をしよう。
カメラマンは女性だった。なんでもそのスタジオの統括者で、娘が2人いるのだという。暫くは私のテンションをあげられるような撮影をして頂いたが、途中「これであとこういう写真撮るのも結婚式くらいだものね」と言われ、げんなりした。まだ結婚を幸せで美しいだけのものと思っている人がいたのか。まだ「女の子はみーーーんないつか結婚したいよね♡」と思っている人がいたのか。あまりのやり場のない気持ちに白目を剥きそうになった。
生まれてこの方22年。結婚なぞ墓場あるいは地獄だと思っている。両親を見れば家庭内別居、親戚を見れば共依存、世間を見れば不倫。探せば幸せもあるのだろうが、22年で凝り固まった猜疑心は晴らせないのだ。第一結婚などというプライベートもプライベートな話題に突っ込んでくるのは如何なものか。ただ「うん、今の表情いいよ」「いいね〜そのまま!」とか言ってくれればよかったのにやれ結婚出産挙句の果てには両親の話までされ、気が狂いそうだ。あなたの当たり前は私の当たり前じゃない。
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ちゃんみなさんの『NG』が最近の個人的ベストヒットだ。
それはそう、当たり前、結婚しろ、出産しろ?
死ぬ死ぬ死ぬ私が死ぬ。