俺が女子高生なんだ

最近少し、事業が軌道に乗ってきた。業界では閑散期だけど売上を伸ばし続けられている。その一方で、今の生活を維持するということだけなら、少しずつ必要な時間が減ってきた。後々の更なる収益のために...ということで制作系の勉強に費やす時間は結構多いけど、狭義に「働く」をしている時間はどんどん減ってきている。

今の延長線上で、やりたいことは実はいくつかある。本当にある。でも、そこまでの目標を掲げるのは少し怖い。だってそんなことしなくても、今の生活も悪くない。ご飯を作って、アニメ見て、ほどほどに仕事して、趣味や読書に時間を費やして、寝る。事業がアクシデントでぱたりとなくなってしまう可能性がゼロではないものの、会社員時代のプレッシャーやストレスを考えると、贅沢な生活。それでも、今の生活に物足りなさを感じるのは、結局のところ(自分の経験、水泳とかを通じて認識していることだけれど)いろいろな場面で熱を持つということがたぶん好きだからだ。

女子高生と女子児童

先日、「響け!ユーフォニアム」という京都アニメーションの作品を全部見た。恥ずかしながら初見。目標に向かって、個々の実力差はあるものの、熱を持って突き進む女子高生の姿を見た。

何度も何度も「上手くなりたい!」と叫ぶ主人公の圧倒的な熱量にあてられて、感動して結構泣いた。「ア〜これが女子高生!黒沢ともよ(声優)マジ最高!俺も女子高生になりたい!」と口に出しながら、昔、女子高生だった頃の自分のことを考えた。高校生の頃、全国大会がかかった試合で求められる記録を出せなかったとき、会場でめちゃくちゃ泣いた。でもやっていて良かったと思う。いち人間として水泳は相当向いていなかったと思うけど、楽しかったと思うし好きだった。目標を立てて熱を持ってそれに向かうということは、自分の時間を貴重なものにすると思う。(実際にやっていたことはほとんどプールの往復とジムや家とかでのトレーニングで、びっくりするくらい地味なんだけど)

中学も高校も、大学も、大学院も、ある程度はそういう熱の持ち方をしていたけど、今はどうか...。全国大会とかそういうわかりやすい基準が無いことに甘えていないか...何の才能も無いという事実に甘えていないか...そういうことは実際には問題ではなくて、熱を持ってやるということが自分にとっては大事なんだと、なんとなく理解しているんだけれど。

去年就職してからは頻繁に、自分自身が女子児童であるということを主張してきた。周りを見て何の邪念も持たずに「お花屋さんになりたい」「アイドルになりたい」というのが女子児童で、概念としては達成の可能性を考慮せずに憧れや夢を持つことが女子児童であると思うし、その意味で自分も女子児童であり続けたいと思って、心の中の女児を枯らさないように努めてきた。

夢を持つことが女児なら、現実も悔しさも見て知って、その上で自分が立てた目標を達成しようとするのが女子高生だと思う。大学生や大学院生の頃は、あまりに厳しい現実を見ると立ち向かえなくなることが結構あった(しんどいので)。女子高生ではなく悪い意味で女児だった。

ここ何日かで、ドタバタしていた自分の状況の変化が一旦落ち着いた。また頑張り始めようかなと、しっかりと考えられるようになった。そろそろ自分も成らなければいけない。憧れと無知にものを言わす女子児童でもなく、安定に満足する25歳男性でもなく、壁に立ち向かえる熱を持った女子高生に、成らなければいけないんだ。


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