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【むぎ】空になったコーヒーとカフェ・ド・マンシー
先日、家長むぎさんのラジオを拝聴した。タイトルは『このコーヒーが冷めるまで』。家長むぎさんがメインパーソナリティで、毎回ゲストが交代し、視聴者のお便りを基に対話を行う形式だ。初回のゲストは同期の剣持刀也さん。ただのゲストではない。むぎちゃん曰く、「Vtuberを代表して」呼ばれた特別なゲストだ。だから、これはただのコラボ配信ではない、というメッセージ性も込められていると私は受け取った。
BGMはおいし水さん。コーヒーをテーマとした曲作成を依頼されたそうだが、雰囲気は勿論、会話の妨げにならないゆったりとしたBGMで、これまたラジオをより一層引き立たせる一端を担っている。
内容は主に『ふつおた』がメイン。コーナー募集もあるが、基本的にはむぎちゃん自身が考え・回答し・ゲストに振り・時には懐古するかたちなので、ラジオの中でも比較的無軌道に近い。通常であれば、コーナーにそのラジオの特殊性・個性が凝縮されると思うのだが、彼女の場合はトークそのものに個性が凝縮されている。第1回のお相手が剣持さんということもあるが、こればかりはむぎちゃんの持つ『性質』に引っ張られる形でスムーズに進行されていたように思う。
内容の感想は、挙げればいとまがない。いとまがないということは、確実にダラダラ記述することになるので、はやる気持ちを抑えて胸の内に留めておく。ただひとつだけ驚いたのは、他の視聴者さんの感想を見ても、いわゆる「とうむぎてぇてぇ」や「コラボ待ってた!」という感想のみならず、対話している内容について個人的に深堀をしたり、それぞれで少なからず影響を受けている点だった。インターネットは自由だからどんな感想を抱いても、そこに軽重はなく浅い・深いもない。ただ(私も勿論その一人だが)やはりリスナーは配信者に似ているのかもしれない。
各々が人生に思いを巡らす。
コーヒーが冷めてしまうのが勿体なく感じる1時間半を体験した。
いまも心は、ラジオを聴いているときのまま。だから私の心は、2人が退店した後のカフェに置き去りになったままである。「第2回も楽しみだな~」という気持ちになるには、まだ時間が必要なようである。
コーヒーカップの中身は2人に合わせて飲み切った。ただ、カップの底に残ったコーヒーの細かな粒を見つめながら、「ああ、あのときはこう考えていたんだな」「なるほど、ああいう考え方もあったんだな」と思いを馳せている。
カフェ・ド・マンシーというコーヒー占いがある。コーヒーカップに残ったコーヒーの跡で、運命を見定める慣習らしい。余韻が響くいまの私には、おそらく何らかの運命がコーヒーカップの底にきらめいていると思う。私自身が結果占いをできる訳ではないが、誰かに占ってほしいと切に願う。