音楽の記事を書こうとした #09
イヤフォンをつけてコンビニから帰宅していると、音楽の外側で声が聞こえた気がした。
どうやら近所の中学校からラジオ体操の放送が流れているようだった。
聞こえたと思えば止まり、先生らしき低い声のアナウンス。
運動会?
そういえばそんな時期だ。
秋のにおい。
放送の声が止まると、辺りはとても静かだった。
こんな情勢だから規模を縮小して開催しているのだろうか。
今の子どもたちはどんなことを想っているのだろう。
久しぶりに聞く学校の音に、懐かしく思った。
*
09
高校二年 秋
うちの高校では毎年、体育祭→学園祭準備期間→学園祭当日までかける音楽を全校生徒から募集していた。
選定された曲でプレイリストが組まれ、校内放送で流れ続ける。
選定しているのはたしか行事の実行委員で、基本的にはみんなが喜びそうなその年のヒットソングが選ばれているようだった。
僕は廊下に設置されていた募集箱に、応募用紙とデモテープを入れた。
心臓がバクバクしている。
*
数ヶ月前に僕が立ち上げたバンドの初ライブは、お客さん2人のみという脅威の数字を叩き出した。
初めてだしな・・・と言い訳してみるものの、そのままうだつのあがらない日々が続いた。
学生向けのバンド大会なんかに出ても完全にアウェイだった。
乗ってくれないし、乗せられない。
それを意図的にやってるわけでもなかった。
結成当時、
僕が作っていた曲は無知ゆえのヘンテコな作りで、
今思えば人に聴かせられる段階のものではなかったのかもしれない。
(その感じを”バンドの色”だと思い込んでいたフシもある)
お客さんに楽しんでもらう。
そこまでに、なかなか至ることができない。
自分が作った曲をバンドでやれることや、ライブが出来ることを楽しんではいたものの、 相手から跳ね返ってくるものを感じなかった。
その当時はまだ オリジナル曲をやる高校生バンドが今より少なかったから、 「オリジナル作れるなんてすごいね」と言われることがしばしばあった。
「えへへ、そんなことないっすよ」なんて謙遜しながらも本当は、
その言葉だけで心が満たされそうになっていることに気付いたとき、
「あれ、もしかしてここが俺たちの限界なのか?」と思った。
投げかけて、投げ返されたい。
思い返せば、今までの自分の感動体験は、それだったはずなのだ。
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その頃、僕の中で”カッコいい”や”グッとくる”バンドといえば、
ELLEGARDENや、RADWIMPSや、ASIAN KUNG-FU GENERATIONなど…
コピーで演奏すれば絶対に盛り上がる名曲の数々。
でも、なぜかやりたくなかったのだ。
「コピーすることに興味がない」、とは違う理由が自分には心の奥底にある気がした。
新曲を制作するにあたり、その理由を掘り下げてみようと考えた。
なぜそうしたのかというと、
自分は明らかに彼らの音楽から影響を受けているはずなのに、
出来上がる曲はかなりヘンテコで、
からといって「これぞオリジナル!いいね!」というわけでもなく、
言ってしまえば”中途半端”で、
何を表現したいのか曖昧なものしか作れなかったからだ。
自分の中と外で、何かズレが生じている。
やりたいこと、やれないこと、やらなくていいこと。
そして、やれること。
あのバンドの魅力と、このバンドの魅力。
人から見た自分たちの個性と、
自分たちから見た自分たちの個性や魅力の、違い。
出た答えは、
『やってることが自分を引き出すのに合っていない』だった。
漠然と「コピーをやりたくない」と思っていた理由も掘り下げてみれば、
「俺はELLEGARDENでもRADWIMPSでもASIAN KUNG-FU GENERATIONでもないもん!コピーじゃ勝てねぇ!」だった。
好きゆえに、戦いたかった。(恥ずかしいくらいおこがましい熱い想い)
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ともなれば己を見つめなおさねばいけない。
それによって気付いたことがあった。
今まで作った曲は、背伸びをして複雑なことをやろうとしていた。
僕らは“オルタナティヴ・ロックというジャンルをやっていること”自体に対して魅力的、個性だと思い込んでいた。
はちゃめちゃな曲展開だとか、新しさ、といったものへの”憧れ”の延長で曲作りをしていた。
しかし、本来ジャンルはあくまで”手段”のはず。
(うまい言い方が見つかりませんでしたが・・・)
自分たちにしかない魅力を引き出すためには、改めて考え直す必要あった。
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僕はライブで熱が入ると馬鹿になってぶっ壊れる性質があった。
ドラマーのMは複雑なドラムビートを得意として評判だったが、本人の好みのタイプの音楽ではないようだった。
ボーカルのSの歌声は、なにを言っているのかほとんどわからない発音をしていた。
ベーシストのYは、チャラい感じの縦ノリが好き。
一見ストロングポイントには見えないところにこそ目を向けてみた。
その結果生まれたのは、とても”シンプル”で、”カッコよくない”曲だった。
『嵐のなかで紫式部が踊り狂っている』という今文字で起こしながらも訳がわからない世界観の歌詞。
演奏する側も聴く側も馬鹿になってしまいそうな、中毒性のあるサウンドと縦ノリのダンスチューンがうまいことハマった。
かなり思い切ったチェンジをした。
そもそも方向性なんて考えていなかったのかもしれない。
スタジオで初めてこの曲を鳴らした時、
「俺たち、これじゃん!!!」
と確信した。
何度も言うが、カッコいい曲ではない。
それが俺たちによく似合ってて、イケてたのだ。
正直、元々イメージしていた”カッコいい”とは随分かけ離れたけど、
この選択こそがきっと、俺たちの『オルタナティヴ・ロック』なんだ。
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廊下で生徒会長の友人とすれ違った。
「あ!『あきこ』の曲聴いたよ。『右手が前で左手後ろ〜(歌詞)』あれめっちゃいいな。実行委員に推しといた!」
あの曲を口ずさみながら去っていく。
「マジで?」という気持ちと、「だろ?」という両方の気持ちで胸がざわついた。
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体育祭の日。
リレーの最中にあの曲は流れた。
想像以上に照れ臭くて、歓声の声で聞こえづらいくらいが丁度良かった。
誰も気付いちゃいないけど、確かに『あきこ』の曲が流れてる!うおー!
夢みたい、なんて普通体育祭の時に想わないような気分に浸った。
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学園祭準備期間に入ると、選ばれた曲のプレイリストが延々と流れるようになった。
EXILEやAKB48などのヒットソングが青春のひとときを彩った。
その中で一曲、異質な曲が紛れ込んでいる。
ノイズ盛り盛りな音源。
クセの強いベースとギターのメロディ。
日本語であることはわかるが、何を叫んでいるのかはわからない声。
我らが『あきこ』の新曲である。誰も知りやしない。
友人たちにはもちろんよくいじられた。
しかし、日が進むにつれて変化が起きた。
下級生のフロアを通った時、
「右手が前で左手後ろ〜」と歌う声が教室から聞こえてきたのだ。
知らない子たちが、『あきこ』の曲に乗っている!
誰も知らなかった曲が、誰かの曲になりはじめていることに感動した。
推してくれた生徒会長にも感謝だ。
彼はいわゆる、プロデューサーのようなことをしてくれたのだ。
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学園祭当日。
有志発表の体育館ステージに、『あきこ』は立った。
もちろんやるのはあの新曲だ。
ステージの下には大勢の観客がいる。
ほんの数ヶ月前のライブは2人だったのが嘘みたいだ。
「どうもっ『あきこ』です!」
ジャジャジャーン!とギターを鳴らし、ドラムがドコドコバシャーン!と盛り上げる。お決まりの始め方だった。
そのまま、あのクセのあるベースラインが轟きだす。
ライブが始まった。
オーディエンスが揺れ始める。
それを見てこちらもさらに燃えていく。
「右手が前で、左手後ろ!」
揺れていたオーディエンスが、今度は両手を交互に振りはじめた。
すごい。
こちらもギターをハウリングさせながら全力で振り返す。
自分でも意味がわからない歌詞だし、意味がわからない光景だった。
でもこれ、中学生のときに夢見た光景じゃないか。
みんなが僕らの歌を口ずさんでいる。
一緒にこの空間を、この時間を、この曲を、つくっているんだ。
そう思った。
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その曲によって、『あきこ』は少しだけ羽ばたいた。
お手製のデモアルバムを作って売ったり、
ライブに呼んでもらえるようにもなった。
ファンだと言ってくれる人たちまで出来た。
ただ、ヒットソングはあの曲だけだった。
あの後に何曲もできたけど、越えられた感触はなかった。
翌年、
バンドを始めた当初の理由だった、バンドの大会『閃光ライオット』も、
あの曲でデモテープ審査を通過したもののスタジオ審査であっけなく終わった。
だからなのか、
「俺、バンドで飯を食っていく!」とはならなかった。
卒業ライブ。
みんなとあの曲で「右手が前で左手後ろ」をして、
それが『あきこ』への、バンドへのバイバイだったのかもしれない。
威勢があったわりにはあまりにあっけなく、
ちっぽけでささやかな活動と終わり。
素敵な時間だった。
音楽を通して色々なことを学び、経験した。
時にあの日々が、今の僕の力になってくれることもある。
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家に着く頃には、ラジオ体操の放送は全く聞こえなくなっていた。
やっぱり、今日は準備の日だったかな。
あ〜今の学生はきっとBluetoothイヤフォン使ってるんだろうなぁ。
通学でのBluetoothイヤフォン。教室でのBluetoothイヤフォン。ひょえ〜。
やっぱり、彼らの時間に何か変化はあるのかな?ちょっと気になるな。
まぁでも、大人も大人で、時代と共に進化し続けるんだぜ。
タピア、お前もだぞ。
谷口