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2021年夏 私への約束|38歳 留学生

言い訳を、やめてみようと思う。

何か聞かれるたびに、必ず枕詞をつけていた。

「英語が苦手なので」
「頭いい方じゃないので」
「できるかわからないけれど」
「正しく理解しているかわかりませんが」
「私なんかでいいのかわからないけれど」

褒められれば、逆のことを答えた。

「アクティブだよね」「いや、実際は迷ってばっかりなんです」

「海外楽しそうだね」「でも、英語ができなくってしんどくて・・」

何なら、リスクヘッジになる賢い選択だったり、謙虚さの表れとして良いものだと思っていた。そして、ネガティブな気持ちも本当だった。実際、しんどいし、迷ってばっかりだし、外からは明るくポジティブに見えてるかもしれないけど、本音はネガティブで自信なんてまるでない。

本当に頭悪いなあって感じることしょっちゅうあるし、英語ができないのだって、努力不足は否めないし、加えて多分よほどセンスがないのだということを感じざるを得ない。そもそもなんか時間ちゃんと有効に使えればもっとできた話。自己管理力・計画性、本当に低い。

そんなにみんなが期待してるほど面白くないよ、私。実際に会ったらわかるでしょ?ほら、そうだったでしょう。– こんな風に結局思うなら、最初から期待させない方がいい。


反省は得意だった。
リスクヘッジも得意だった。
できないことを見つけるのも得意だった。

でも、反省は、したあとに自分を嫌いになって終わるだけだった。持っているものを認めるのがとても苦手だった。

たまに、素敵だなと思う人が手を差し伸べてくれることがある。不思議だった。だって私何も持ってない。そして、その先に失うかもしれない、ガックリされるかもしれないのが怖かった。

結局、嫌いな自分から抜け出せなかった。


でも、海外に来て、やたらとポジティブで自分勝手で人に興味のない人たちや、孤独や苦悩の中でも強く生きる日本人女性たちと話す中で、気づいたことがある。

戦略的だと思っていたリスクヘッジや、日本人らしいと思っていた謙遜は、
「言い訳」だったんじゃないだろうか。
そしてそれ以上に、自分をできない方向に洗脳していたんじゃないろうか。
呪いをかけていたんじゃないだろうか。

「英語ができない」って言った瞬間に、相手は私をそう見はじめ、私は改めてそれを認識する。
「面白くない人間だ」と頭の中で思った瞬間に、私は私を評価し、その中にはめていく。

下手に出れば、相手に合わせれば、相手といつの間にか上下関係ができていく。私が圧迫されるのは、相手がわがままで偉そうだから、だけじゃないかもしれない。私がそれを作り出してるのかもしれない。
私の限界を作って、私をできない・進めない・嫌いな自分にしているのは、この「言い訳」かもしれない。


明日から、言い訳の代わりに、「ありがとう」と言おう。「できる」と思おう。自分は素晴らしい人間で、可能性に溢れているという呪いをかけてみよう。誰にもバレないし。

何度目の正直か、また同じ言い訳ばっかりの自分に戻っちゃうか、わからないけれど、少しでも変われたら、知らない世界に出会えそうだから。

note Tapestory文集 Season 0 - credit


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