タフな愛情をもって愛することを誓う|30歳 娘
この作文は、私の選手宣誓だ。
「幸せな」家族
日本には従来こうあるべき、みたいな「家族」に対する固定概念が存在すると思う。家族は分かり合えるもの、幸せなもの、ずっと変わらないもの…。
私の家族はまさにそうだった。
社長令嬢だった母はちょっと世間知らずなところはあるけれど、家族が大好きで愛情たっぷりだった。大学病院で医師をしている父は、とにかく研究が楽しそうで、そしてよく遊んでくれた。4歳下の妹とは対等に仲が良かった(私はお姉ちゃんと呼ばれたことは一度もない)。小さな頃から毎年数回家族旅行には行くし、夜は4人で食卓を囲むし、何かあれば相談相手はまず家族。
そんな、「幸せな」家族。
でも、私は違和感をおぼえていた。
その「違和感」が何なのか分からないまま、大人になった。
そのモヤモヤを私は時折家族の中でぶつけた。
自分でも何なのか分からないもんだから、日常で嫌なことがあったら小さな喧嘩で済みそうなものでも、なぜか大きな“怒り”エネルギーがわいてきて、ぶつけてしまうのだ。思ってもいないような辛辣な言葉が自分から出てきた時は自分でも驚くし、家族(特に母)を傷つけてしまったと後悔が襲ってくる。でも、何なのか分からない。
ずっと反抗期みたいなものが続いている私は幼すぎるんじゃないか・・・。
私は恵まれているのになんてひどい人間なんだ・・・。
こんなに愛情たっぷりに育ててもらったのに家族に申し訳ない・・・。
私は長らく、家族に対する確かな“息苦しさ”と、それを言語化できない気持ち悪さと、罪悪感の中にいた。
タフラブ(tough love)という言葉
最近、「タフラブ」という言葉に出会った。
もともとはアメリカでアルコール依存者家族の経験から生まれた言葉だそうだ。タフラブとは日本語で「手放す愛」「見守る愛」と訳される。
以下、臨床心理士の信田さよ子先生「タフラブという快刀」から引用する。
「タフ」ということばには、伝統的な「ラブ」の概念をひっくり返す、革新的な意味合いが含まれている。それまでのラブの概念はアタッチメント(愛着)を基本としていたが、それをひっくり返したタフラブはデタッチメント(脱愛着)をうたっている。それが「手放す愛」なのだ。
本書の中でタフラブの例としてあがっていたのは、小さな子どもが目の前でころんだときの話だ。近づき起こして上げるのは簡単だが、手を出したい衝動を抑えて、子どもが自力で起き上がる様子を見守ること、それがタフラブだ。
思えば私の家族は、伝統的な「ラブ」に縛られていたのかもしれない。包み込んで、尽くす愛。家族の誰かの問題は、家族みんなの問題で、家族で解決をした。家族が一番大事だった。
けれどそうではなくて、手放して、切り分けて、断念する愛をもって家族に接すればもう少し風通しがよくなるかもしれない。家族の中でも、一人ひとり別の人間であることを自覚して、問題を家族全体で抱え込むのではなく「あなたの問題」と「私の問題」を切り分ければ、心地よくなるかもしれない。
私がずっとモヤモヤしていたことは、きっとこれだ。
言い得て妙、という感覚だった。
どんな人間関係でも同じ
少しずつタフラブを実践していくうちに、家族以外との関係性も変わってきているように感じている。
例えば職場。
私はずっと対人支援をしてきて、現在は障害者の就労支援をしている。
利用者(クライエント)さんへも、関わりの前提はタフラブなのかもしれない。もちろん専門家としての知識、経験、理論、技法は大事だが、「相手を信じて手放す」という心構えは大切だと思う。
また、私はスタッフのマネジメントをする立場でもあるが、スタッフに対しても、やっぱりタフラブだ。押し付けのコミュニケーションをやめて、相手を信じて手放す。その関わりが、職場の心理的安全性を保つし、その関係性がスタッフ自身の支援にも影響しているように実感している。
職場以外にも、パートナー、友人など、あらゆるところで小さな変化を感じている。
例えば、自分ではどうにもならない困難にぶつかった時、家族でなくて違う誰かにヘルプを求めることができるようになってきた。
例えば、こういった自分の新たな発見を誰かに話すことができるようになった。
これらの行動は、私にとって少し勇気のいることだったけれど、徐々に周りの人たちとより深くて温かい関係をつくれるようになってきた。
少しの寂しさとともに
タフラブを実践するには、自分もタフである必要がある。
これまで密着していた伝統的なラブからタフラブに変化していくプロセスは、実はちょっと寂しい。孤独を感じてしまうのだ。
けれど、距離を置く(相手と自分の境界線をひく)ことで、がんじがらめな苦しい関係ではなく、風通しのよい温かい関係がうまれる。それを信じて、寂しさに耐えながら勇気を持って密着した関係性から少し距離を置く。そうしていくと、心地よい関係性の仲間たちが増えてきて、結果的に温かい関係がたくさん生まれるのだ。
タイトルにもある通り、私はこの作文を「娘」という立場で書いている。
これからもし自分に子どもがうまれて親になったら、きっと見える世界は変わって、色々な葛藤が生まれるかもしれない。そうしたら、また新たな感覚をもって、この作文を読み返してみたい。
私のタフラブ道は始まったばかりだ。
そんなタイミングで作文を書く機会を頂いたので、これを読んでいる方々へ勝手ながら宣言させて頂く。
宣誓。
わたしは少しの寂しさとつきあいながら、タフラブをもって人を愛することを誓います。
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